平島
出瀬中之島を出る辺りからようやく雨が上がりました。
次に向かう島は平島です。
しかし鹿児島港を出る前からお知らせがあり、悪天候のために平島には最低限の時間のみ寄航になるとのこと。
どうも港の向きが悪いらしく、波をまともに受けているためなんだそうで。
小さい島だと風よけ港なんか作れませんからね・・・
仕方のないところです。
出瀬
平島平島もまた火山島(噴火の記録はない)のため、海岸には流れ出た溶岩らしい岩に波が打ち寄せていました・・・
平島
崖沿いに船は進みます。平島について少々・・・
トカラ列島の中央に位置する平島。
壇ノ浦から落ち延びて来た平家の残党が、一番最初に上陸した島との伝説があります。
平家の残党が暮らしたという「平家の穴」と呼ばれる洞窟や、
追っ手を監視した望楼の跡が史跡として残っているそうです。
ちなみに島の名前も、平家落人伝説から来ています。
昔からの風俗が色濃く残っている島で、お祭りはすべて旧暦で行われ、
中世から続く元服の儀式が今なお行われているそうです。
島の面積は2平方キロ、島の周囲は7キロちょい。
最高地点は御岳(242.9メートル)、人口は80人ほどなんだそうで。
桟橋に打ち寄せる波港の中にまで、大きな波が打ち寄せていました。
これは厳しいですよね・・・
ばしゃーん
岸壁の様子狭い港内で、少しずつ向きを変える
フェリーとから。
じりじりするほど慎重な操船です。
ウェルカムボード?
早くも離岸ようやく接岸したフェリーとから。
あわただしく荷役が行われ、二人が下船しました。
それが済むと急いで出港。
船は平島を後にしました。
平島から離れます。
諏訪之瀬島次の諏訪之瀬島が近づいてきた辺りから、少しづつですが波が穏やかになってきました。
船内では、隣の席になった鹿児島県の職員さんと、NTTの社員さんと仲良くなり、話をするようになりました。
岸壁
ウェルカムボード?諏訪之瀬島には13:30頃の入港になりました。
さっそく船から下りて歩き出します。
案内板
荷役中トカラの島で気がついたのは、港の近くに必ずセメント工場があるってこと。
アスファルトの工場はないので、舗装道路はすべてセメント舗装なのです。
右の写真にもセメント工場が写っているんですが、わかるかな?
岸壁をてくてくと歩きます。
島の様子諏訪之瀬島(北緯29度36分)までくると、ちょっと暑くなってきました。
半袖半ズボンの出で立ちで、てくてくと歩きます。
海の様子
切石港全景島の道路を歩いていると、カラスの大群が電線にとまっているのに出くわしました。
ヒチコックの映画みたいでちょっと怖かったです。
島の風景
(琉球松?)
島の標識島の標識は、すべて手作りの木製でした。
飛行場と表示があるのは、バブルの頃にYAMAHAがリゾート開発のために建設した飛行場のことで、現在はヘリポートとして使用されているそうです。
バブルってスゴイね・・・
こんな島までリゾート開発しようとするなんて・・・
登ります
ヤギがいました諏訪之瀬島は、もともと有人島だったのですが、御岳が1813年に大噴火を起こし、当時の住民は島外に逃れて無人島になっていました。
明治に入って奄美大島出身の藤井富伝という人が入植し、島を開拓しました。
苦労が多かったらしく、藤井さんは晩年は失明していたそうです・・・
島の開拓者の物語
子ヤギ民家の庭に、子ヤギがつながれていました。
メーメー鳴いてかわいかったですよ。
でも、奄美からの移民の島って事は・・・
食べちゃうんでしょうか?
島にあった出張所は無人でした・・・
十島村役場
諏訪之瀬島出張所
案内板ここでも百合が咲いていました・・・
ゆり
御岳は雲隠れ御岳(799メートル)は、今も活発に活動していて、火口付近は立ち入り禁止になっています。
道でぬこに出会いました。
とっても人なつっこくてかわいかったですよ。
ぬこ
平島小中学校
諏訪之瀬島分校島には小さな分校がありました。
島の学校らしく、学校の隣には教職員住宅が建てられていました。
ここに転勤となると大変だろうなあ・・・
校章?
平島が見えました。分校前の坂道からは、平島が見えました。
意外と近いんだなあ・・・
海
港に戻ってきました。出港時間が近くなってきたので、港まで引き返すことにしました。
溶岩が顔を出してます。
まもなく出港最後になりましたが、諏訪之瀬島のお話・・・
最高峰は現在も噴火している御岳(799メートル)です。
島の面積は27平方キロ余り。周囲は27キロちょい。
人口は60人ほどらしいです。
諏訪之瀬島に限らず、トカラの人たちは車をどうやって動かしているのかというと、
ガソリンスタンドがないので、各家庭でガソリンをドラム缶買いしているそうです・・・
スゴイですよね(^^;to be continued・・・ 2010.5.31作成 2010ツーレポトップへ Home