高島城堀
(市役所前)
 さあ今年もやって参りました
  「れんとの夏休み」
 相変わらず世間様からずれまくった6月上旬の夏休みでございます(笑)
 一部の友人には無敵艦隊のように思われていますが、
やはり寄る年波に抗うのは大変でございます・・・
 と言うわけで、土曜日から始まった夏休みではありますが、
半日をアジトで空しく浪費する事態に・・・
 16:00、ようやくココロのエンジンに火が入り
愛車ジェベルのエンジン始動。
ようやくツーリングに出発です。
 浪費した時間をお金で解決すべく、いきなり高速道路へ。
いきなりスペ○ウム光線を放つウル○ラマンみたいですが、仕方ありません。
 阪和から西名阪名阪国道東名阪伊勢湾岸と足早に移動します。
名阪国道を挟む辺りが、少しでも安くあげようという弱い抵抗を感じます(笑)
 19:30に刈谷SAにて初休憩。ここまで3時間弱走りっぱなしでした。
 約30分の休憩の後に再び走り出します。
 豊田JCT手前で、東京方面にちょっと気持ちが揺らぎましたが、
今年は東北になるべく長く居ようと思い直し、
東海環状
を選択しました。
 豊田松平IC手前でジェベルのトリップが72、000キロを超えました。
 71,000キロが鹿児島県垂水市牛根だったことを思いだし、
自分で自分が可笑しくなりました。
 土岐JCTで中央自動車道へ。
 東海環状を走っていた辺りから、少し気温が下がり始めました。
 これから山岳越えでもあることだし、恵那峡SAで二回目の小休止(21:30)。
 Tシャツの上に薄いフリースを着込み、ホットコーヒーで一息入れます。
 私的難所の恵那山トンネルも、夜間で交通量が少なかったせいか、
排気ガスも少なくて快適でした。
 長野県に入ったことだし、そろそろどこかに泊まろうかなあ〜と思いましたが、
惰性で走り続けます
 遠くにルート○ンのネオンが見える度に後悔しながら先を急ぎます。
 で、ま〜た今回地図を忘れて来たんですよねえ・・・
 松本に行きたかったんだけど、ちょっと遠いような記憶があったので、
諏訪付近で宿を探すことにしました。
 23:30、諏訪SAに入ります。バイクから降りもせずにお宿検索。
 諏訪市内に宿が確保出来たので、諏訪IC下車。
  日付変更直前、ようやくチェックインいたしました。
 やっぱり気温13度はちょっと寒いですね・・・・
 浴槽にお湯を張ってどっぷりっと浸かります。
「いや〜」
硬直した筋肉がほぐれていくのがわかります・・・
年は取りたくないですねえ・・・
 この日は440キロほど走りました。
高速代8200円・・・
 天気が良くて助かりましたね。
 

高島城堀
 翌日の諏訪地方は快晴
 7:00にサービスの朝食をさっさとかき込み、7:30には宿出発です。
 せっかく諏訪に来たんだし、高島城に寄ってくことにしました。
 まだ若かりし頃に一度来たことあるんですが、写真もないような状態ですので・・・・

〜高島城の歴史など〜

 諏訪湖周辺には出雲神話の神、タケミナカタを祀る諏訪大社があります。
 ここの神官として力をつけたのが諏訪氏です。
 戦国時代に甲斐の武田氏の侵入を受け、総領家は滅びています。
 ちなみに諏訪氏の娘を母に持つのが信玄の4男である勝頼で、
諏訪氏の通字である「頼」を名乗ってます。
 織田氏の侵入、本能寺の変の後、諏訪地方は徳川家の所領となり、
諏訪氏は徳川に臣従します。
 徳川家の関東移封にも従い、諏訪氏も関東に移住。
 諏訪地方には秀吉子飼いの日根野高吉(信長の野望にも出てくる日根野弘就の子)
が3万8千石で入り、現在の高島城を7年がかりで築城します。
 諏訪湖畔に作られた湖上の城であったため、軟弱な地盤にいかだを組み、
その上に石垣を築くなどの難工事であったようです。
 関ヶ原の合戦後、諏訪氏が再び諏訪地方2万7千石を与えられ、
高島城に入城。以後、明治維新まで諏訪氏が続きます。
 二の丸、三の丸は宅地化してますが、本丸が公園として残っています。

高島城隅櫓
 建物は明治維新の時に取り壊されていますが、
写真を元に、天守、隅櫓、本丸門、塀が外観復元されています。
 朝も早かったので、市役所前にバイクを停めて、
お堀端をてくてくと歩きます。
 高島城の建物は瓦葺きではなく、柿葺きでした。
 寒冷地では瓦は凍結で割れることがあるためだと思います。

本丸大手門
 天守は三重五階の建物でした。
 外観復元されていて、内部は展示館になっていますが、時間が早すぎて開いていませんでした(笑)
 高島城は北方に向かって二の丸、三の丸と順番に並ぶ連郭式のお城でした。
 上諏訪駅に近いところに
「大手」
という地名が残っているので、この辺りに三の丸大手があったと思われます。

高島城天守

宮坂醸造
(味噌蔵)
 城の北側には白壁の味噌蔵がありました。
 道はおおきく右に折れ曲がり(大手門の跡?)
 踏切を越えると国道20号線です。

JR中央本線踏切
(この南側が大手)

千歳橋
(松本城大手門跡)
 諏訪から松本までは30キロほど。
 ちょーっとした距離ですが、昨日高速代を使いすぎた(笑)こともあって、
地道に下道を走ることにします。
 高ボッチキャンプ場への分岐点を過ぎて塩尻市へ。
 ここで国道19号線に入って松本を目指します。
 途中で国道19号を離れて旧道へ。
 うまい具合に松本城大手門跡にやって来ました。

松本城下地図
 松本城は、湿地帯に造られたお城です。
 本丸と二の丸が並び、そのまわりを三の丸が取り囲むお城でした。
 松本城は、信濃守護であった小笠原氏の本城である林城(松本市南東部)の支城として築かれました。
 当初は深志城と呼ばれたようです。
 小笠原氏は、武田信玄の前に敗れて逃亡。
 武田信玄は松本地方の支配に、山城の林城ではなく平城の深志城を選び、
これを大改修しています。
 今は消滅している三日月堀と丸馬出は、武田氏諸城の大きな特徴です。
 武田氏滅亡後、徳川の家臣となった小笠原氏がこの地に復帰。
 松本城と名前を改めています。
 しかし小笠原氏は徳川家の関東移封に従い、その後に石川数正・康長父子が松本に入ります。
この石川氏の時代に現在の松本城の姿になったといわれています。
 石川康長は大久保長安事件に連座して改易され、再び小笠原氏が8万石で入ります。
 小笠原秀政、忠脩父子は大坂夏の陣にて戦死。
秀政次男の忠真が家督を相続します。
忠真以下の小笠原氏は播磨明石から豊前小倉に移っていきます。
 松本城には、
松平氏(戸田家)→松平直政(付櫓と月見櫓を増築)→堀田氏→
水野氏と続き、再び松平氏(戸田家)が入って明治維新を迎えました。
 連立式天守が残っていて、国宝指定されています(現存12天守の一つ)
 この貴重な天守群が残ったのは、明治の解体危機のとき、
地元で起こった買い戻し保存運動のおかげなのです。
 松本市民エライ!
 

二の丸堀
 三の丸大手は南向きですが、二の丸大手の太鼓門は東向きです。
 土塁造りの二の丸は、太鼓門周辺のみ石垣造りで固められています。
 太鼓門は木造で復元されており、往時を偲ぶことができます。

太鼓門
(復元)

太鼓門二の門
 太鼓門は枡形門形式で、一の門と二の門(櫓門)の二重門となっています。
 門の隅には玄蕃石と呼ばれる巨石が使われています。
 これは、大手筋には巨石を用い、城主の権威を示すためのものです。
 大阪城にもありますよね〜

玄蕃石

二の丸御殿跡
 二の丸には御殿が設けられ、本丸御殿焼失後は藩主が暮らし、政務を執り行う場所でした。

松本城鳥瞰図
 松本城の本丸は総石垣で固められています。
本丸堀

二の丸から見る天守群
 本丸には黒門(復元)を通って入ります。
 門には五七の桐の紋がありました。
石川時代のものですかね?

黒門
(復元)

本丸内から見た天守群
 真っ青な空にそびえる5重6階の天守群
 漆が塗られた下見板張りのその姿は、烏城の異名にふさわしいものです。

天守、付櫓、月見櫓
 天守、小天守は石川時代創建(松平直政改修)
 付櫓、月見櫓は松平直政の創建によるものという意見が有力です。
 ちなみに
松平直政

は結城秀康の3男で、後に出雲松江藩主になってます。
 松本城と松江城、どちらも黒い城ですね。

天守、乾小天守

天守内
 現存天守の例にもれず、松本城天守の階段も急です。
 しかも室内は薄暗いので、足下に注意が必要ですよ。
 天守の4階は内装にも力が入っていて、柱もきれいに仕上げられていて、壁も白壁造りです。
 このことから、有事の際には、ここが殿様の御座所になる予定だったと考えられています。

4階は藩主の御座所

天守からの眺め
 天守から北アルプスを眺めてみました。
 写真右側に見える緑の尾根筋には、戦国時代の城である犬甘城のあったところです。
 小笠原氏の居城である林城の支城でした。

 月見櫓は平和な時代に建て増しされた建物で、とっても開放的な造りになっています。

月見櫓内部

水門跡
 月見櫓下には、堀に出るための水門跡がありました。
北側から見た天守群

二の丸からの天守群
 本丸堀にかかる印象的な赤い橋は、江戸時代にはなかったようです。
 二の丸北西にある若宮八幡は、小さいながらも馬出の役割があったようです。
 武田氏時代の名残かもしれません。

若宮八幡宮

有名なアングル
 以前松本城に来たのは20世紀のこと
(こういう言い方するとものすごく前の事みたいですね(笑))
 10数年ぶりの松本城を堪能しました。
 若いときは天守にしか目がいきませんでしたが、
この年になると縄張り(設計)とかいろんな知識があるので、
楽しみが倍増でした。
 年を取るのも悪くないですね(笑)

大名小路で見かけた古本屋
 さすが城下町。
 えらく立派な古本屋さんを見かけました。すごいですね〜

 あ、結婚式も見かけました。orz

三の丸堀
 松本城東側には三の丸堀の一部が残っています。
 当然チェックしていきますよ〜(笑)
 江戸時代の三の丸は、松本藩重臣の屋敷地でした。

三の丸堀

お堀端には立派な洋館
 三の丸の堀端には、立派な洋館がありました。
 どうやらお医者さんの建物のようです。
いつ頃建ったんでしょうかね?

ビーナスラインにて
上田方面を望む
 次の目的地へ向かうルートですが、地図がないなりに考えまして。
 有料道路を避けるためにビーナスラインを走ってみる事にしました。
 たまにはこういうところを走らないと、
「ツーレポじゃないYO!城レポだYO!」
とか、
「ほんとにバイクで行ってるの?」
とかいう声に対抗できませんからね・・・

上田まで42キロ
標識の向こうは北アルプス
 ただ、こういうところを走ると、下手なりに走るのに一生懸命になっちゃうので、
写真が激減します(笑)
 尾根筋はちょうど新芽の季節でとってもきれいだったのですが、
写真はなし(笑)
 まあスカイラインは途中停車しにくいですからね・・・
 ヘアピンカーブの写真もなしです。
 と言うわけで、ビーナスラインの写真は2枚しかありません(笑)
 気になる方は自分で走ってみよう!(楽しいよ!)
この日も結構走りに来てましたね。
to be continued・・・
2010.6.22作成
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