鳥海山
 酒田の街で泊まろうかなあ〜なんて考えたんですが、
まだ時間が早いので(14:30)、もう少し先まで行くことにします。
 よく考えてみると、山形県・秋田県の日本海側を北上するのは、
初めての東北ツーリング(2002年)以来8年ぶりのことで、
そんなに間が空いたのか〜と思いながら、走り続けます。
 鳥海山を右手に見ながら走っていくと、秋田県との県境を越えました。

鳥海山
(象潟にて)
 8年前は鳥海スカイラインを走ったのですが、
今回は先を急ぐので7号線をひたすら走ります。
 秋田県に入ってまもなく、にかほ市象潟に着きます。
 ここは江戸時代まで、松島(宮城県)のような景色が広がっていたそうです。
 九十九島、八十八潟という景勝地があり、松尾芭蕉も歌に詠んでいます。
 しかし1804年の象潟地震で海底が隆起して陸地化。
 現在のような景色になりました。今でも水田の中に102を数えるかつての小島があります。
 写真撮りたかったんですけど、低速車の後につくのがいやで、
つい走っちゃいました・・・(笑)

永泉寺山門(たぶん)
 国道7号線は、やがて由利本荘市に入ります。
 真新しいルートイン前の交差点を右折。
 国道107号線を経てかつての本荘市街に入ります。
 本荘市は本荘藩2万2千石の城下町として発展してきました。
 今は由利郡の7町と合併し、由利本荘市になりました。
 その市域は神奈川県の半分の面積があり、
秋田県最大です。
 天気予報も、由利本荘市沿岸部内陸部は別に発表されているそうです。
 ここにも気になる酒蔵がありまして、どんなところかとやって来たのです。

齋彌酒造店
 本荘城下から子吉川にかかる橋を渡ったところに、その酒蔵はあります。
酒蔵はモダンな洋風建築の建物でした。
 齋彌酒造店というのがその名前です。
 「美酒の設計」という本をたまたま読んでみまして、
どんなお酒を造っているのかなあ〜という興味をそそられまして、
訪ねてみました。
 「由利正宗」「雪の茅舎」「美酒の設計」という銘柄のお酒を造っています。
(直販あります)

看板
 中はとても清掃が行き届いていまして、感心させられました。本に書いてある通りですねえ・・・
 店内でパンフを読んでいると、社長さんらしい方が通りかかりまして、えらく丁寧に事務室に案内してくれました。
 折り目正しい物腰の方で、さぞや社員教育も行き届いて居るんだろうなあ・・・と思いました。
 事務室で、事務員さんに説明していただきまして、自分用に自宅に発送する分と、日本酒大好きな友達ガンスさんに持参する分とを購入しました。 

本荘城三の丸堀
 酒蔵の近くに本荘郷土資料館がありまして、寄ってみたのですが、
なんと16:00閉館ということで間に合わず。
 しかし職員の方のご厚意で、特別展「絵図で見る江戸時代の本荘」を5分だけ見せていただくことができました。ありがとうございます。
 本荘郷土資料館は、9:00〜16:00まで、月曜日休館(5月3日は開館)です。
入館料は100円ですので、おすすめですよ〜

 で、あわてて移動してやって来たのは本荘城趾、本荘公園です。

模擬城門
いつものお城話(笑) 

 関ヶ原の合戦後、由利郡は最上義光の領地となり、
重臣であった楯岡満茂が本荘に入り、
対佐竹氏の城として1610年に本荘城を築城しました。
 満茂は4万5千石を与えられ、最上家一番の大身でした。
 しかし最上家改易に巻き込まれ、1622年には改易されてしまいます。
 この時、山形城受け取りに来ていた本多正純が、宇都宮の所領を召し上げられ、
本荘5万5千石への転封を命じられる事件(いわゆる宇都宮城釣り天井事件)が起こります。
 これに対して正純が反論したことから、本荘5万5千石も改易となりました。
 この時、本荘城は破却されています。
 翌1623年、六郷政乗(六郷氏は出羽の国仙北郡六郷邑の出)が、
常陸府中から2万2千石で入って本荘城を改築。
 以後、明治維新まで六郷氏がこの地を治めました。
 六郷氏は明治維新の際、官軍側に参加したために鶴岡藩の攻撃を受けまして、
藩主は城に火をかけて逃亡しています。
 このため、お城には遺構らしい遺構は残っていません。

三の丸御殿跡から本丸を見上げる
 本郷城には石垣はなく、土塁と堀のお城でした。
 また天守も建てられず、本丸にあった2基の二重櫓がその代わりでした。
 本丸には諏訪神社が建てられ、藩主の居館はふもとにある三の丸にありました。
 現在の本丸には、神社と「本丸の館」という展示施設があります。
 本丸の館にある本荘城の模型は、お城ファンなら一見の価値ありますよ。

本丸虎口跡
 本丸にはコの字型の虎口を通って入ります。
 本丸内には諏訪神社が残っています。

諏訪神社参道

二の丸にあった齋藤彌太郎の胸像
 二の丸跡には、
齋藤彌太郎の胸像
がありました。
 この人が齋彌酒造店の創業者ですよ〜
 酒造業で成功を修めた彌太郎が、本荘城を買い取って寄付したので、城跡が本荘公園として整備されることになったのです。
 明治の人はエライです。

 二の丸にはわかりにくい解説板がありました。
 これ見て分かる人なんかいるのかな???

わかりにくい解説板

城の裏手はため池堀
 本荘城の裏手はため池になっていて、堀として機能していました。
 また本丸西側には同じくらいの高さの丘があるため、切り通しを通して守りを固めていました。

切り通し

本丸土塁
 本丸下西側には、小さな三日月堀がありました。
 守りを固めるにしては規模が小さいので、籠城時の生活用水を想定していたのかもしれません。

三日月堀跡

由利本荘市役所
 かつて藩主居館と政庁のあった三の丸は、市役所と広場になっていました。
 ちなみに由利本荘市には他にも城下町があります。
 亀田には、佐竹氏の秋田転封に巻き込まれた岩城氏2万石(もと磐城12万石。佐竹氏の親戚だったので巻き込まれた)の城下町があります。
 矢島には、讃岐高松17万石の大名だった生駒氏の陣屋がありました。
(高松を改易後、矢島1万石を与えられたが、弟を分家させたために8千石となり、旗本になった)
 生駒さん、こんなとこに来てたのね・・・
知らなかったです。勉強になるなあ・・・

三の丸

横手駅前の居酒屋さん
 この時点で17:00を回っておりました。
 本荘で1泊したかったのですが・・・
 どうしても

横手焼きそば

を食べたくなって、ここから移動することにしました。
 国道107号線をひた走りに走ります。
しかし、さすがは神奈川県の半分の面積を持つ由利本荘市。
 なかなか横手市に着きません・・・
 よく考えたら本荘から横手まで58キロあるんですよ・・・
「どりゃー」
 食欲だけを燃料に走り続けます。
 18:30頃に横手市街に到着、焼きそばののぼりが立っているお店を探しますが、
なかなか見つかりません。
 「しかしえらい寂れた街だなあ・・・」
 そうです、地方都市のご多分に漏れず、横手市の中心街はかなりの寂れぶりでした。
 「駅前で聞こうか」
 横手駅前にやってきました。
 駅前で焼きそばののぼりを発見。居酒屋さんのようですが、入ってみます。
 「すいませーん、横手やきそば食べられますか?」
OKとのことなので、さっそくお客さんになります。 

横手焼きそば大盛り
 居酒屋さんだったので、宿にチェックインしてバイクおいてきたらよかったのですが・・・
 しょうがないのでビールは我慢(笑)
(お店の人も飲ませたそうでした(笑)3回も「飲み物は?」って聞かれました)
 横手焼きそばの大盛りを注文します(680円)
 「きたー!!!」
 おいしそうな焼きそばがやって来ました!
 さっそく食べてみます。
 「おいしー!!!」
 ソースが微妙に違うのか、なんかおいしいんですよね・・・ 
 お腹空いてたし、がっつりいただきました。
「ごちそうさまでーす。」

 津山でホルモンうどんを食べてから、
ずっと気になっていた横手焼きそば
とってもおいしかったです。

 (横手焼きそばのMAPがありますので、市内観光スポットで手に入れてからお店探すと効率的です。私は30分市内をうろうろしましたが・・・w)

夕焼けの横手駅前
 お腹いっぱいになったら動きたくなくなったので(笑)、高かったんですが、駅前のホテルに宿をとりました。
 夕焼けがとってもきれいでしたよ・・・
 夜の横手駅もいい雰囲気でした。
 鯉川を飲んで、さっさと寝ました・・・ZZZ

夜の横手駅
to be continued・・・
2010.7.18作成
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