智頭急行平福駅
 さて、三日月陣屋を堪能した後、出雲街道を北上します。
 ここでちょっと道を間違えまして、佐用で因幡街道(国道373号線)に入らないといけないのに、そのまま出雲街道(国道179号線)を走ってしまいました(^^;
 しかも岡山県境近くまで気がつかないていたらく。
 気がゆるんでたんでしょうか・・・
 佐用まで戻って国道373号線へ。
 中国自走車道佐用インターを過ぎると、間もなく因幡街道の宿場町、平福に到着します。
 まずは道の駅にて一休み。
 智頭急行平福駅を見に行きます。
 

利神(りかん)城
 道の駅平福向かいの山頂に石垣がはっきりと見えます。
 これが「利神城(りかんじょう)」です。
 利神城は、標高373メートルの利神山城に建てられた連郭式のお城です。
 なんと史跡指定されておらず城は崩れるままにまかされています。
(珍しいですねえ・・・)
 利神城は播磨守護赤松氏の庶流、別所敦範によって1349年に建てられました。
 時は南北朝時代。赤松氏の居城白旗城(兵庫県上郡町)の出城として築かれたものです。
 しかし赤松満佑が、室町幕府六代将軍であった
足利義教暗殺事件

を起こします。
これが世に言う「嘉吉の乱」(1441年)です。
 この時、別所氏も赤松氏と一緒にいったん滅亡。
 しかし1466年に別所治定が、城の奪還に成功しています。

 やがて羽柴秀吉による中国攻めが始まります。
 時の城主、別所定道は秀吉に恭順。
 しかし病弱な兄定道の跡を継いだ林治は、
本家筋の別所長治(三木城主)が秀吉に反旗を翻すと、
これに従います。
 1578年、利神城は織田方であった上月城主尼子勝久山中鹿之助に攻められて落城します。
 しかし上月城は毛利方に攻められて落城。
利神城は当時毛利方であった宇喜多直家の持ち城となり、
関ヶ原の合戦までは宇喜多家の領地でした。
 関ヶ原の合戦後、播磨一国は池田輝政に与えられ、
平福には輝政の甥である池田由之が2万2千石で入ります。
(由之は輝政の長兄である紀伊守元助の子。
元助は小牧・長久手の合戦で討死。
由之は当時8歳だったので、家督は次男輝政が継いだ)
 由之は総石垣の城を築き、三層の天守も完成しました。
これが現在遺構として残っている利神城です。
 さらに山麓に藩主居館や城下町を建設。姫路藩領の北の守りを固めます。
 領内巡検に平福を訪れた池田輝政は、城のあまりの立派さに驚き、
幕府の警戒を恐れて天守の破却を命じています。
 由之は1607年に備前下津井(倉敷市下津井)城主として転出。
この時点で天守など城の主要建造物は取り壊されていたと言われています。
 1615年には輝政の六男輝興が2万5千石で平福藩を創設します。
が、赤穂藩主だった兄の政綱が跡継ぎを残さず亡くなったため、
輝興は赤穂藩主を継ぎ、平福藩は廃藩。
 城は破却されてしまいました。
 その後、平福は旗本松平氏の領地となり、宿場町に一角に陣屋が設けられました。

 利神城の縄張りはこちら→http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/rikanzyou-zu.html
 

山麓にある藩主居館跡の石垣
(智頭急行線で分断されています)
 8月のツーリングで平福を通りまして、利神城の存在を初めて知りました。
 ぜひ再訪したかったのです。
 まずは山麓にある遺構から・・・
 山麓には平時の住まいである居館が設けられていました。
立派な石垣が、川に面して残っていました。
 山頂にある城跡には、山の背後から続く林道からアクセスするようです。
 しかし、史跡指定されておらず、城は荒れ放題。
 石垣の崩落が進んでいるため、
「立ち入りは遠慮してくれ」
という看板が出ていました。
 要するに
「立ち入りは自己責任でね。
い、一応警告したんだからねっ!」

ということらしいです。(笑)
自己責任で登ることにしました。

あ、あれは!!
 さて、山の裏手から林道を上り始めます。
 結構傾斜がきつくておっかなびっくりです。
 ものの5分も登らない間に・・・

「なんだあれは!!!」

 なんと
土砂崩れ
で林道がふさがれていました・・・
「むう・・・・」
 

なんという・・・
お〜じーざす!

裏手からの利神城
 取りあえずバイクを置いて偵察。
 走って乗り越えられなくもなさそうでしたが、
そこはへたれ(笑)
取りあえずバイクを置いて歩き出します・・・
 しかし城まではかなり距離がありそう。
登城はあきらめることにしました。 
 国道に戻って峠を越えて岡山県に入ります。

利神城アクセスマップ

田中酒造場販売部
(国道沿い)
 岡山県に入るとそこは美作市大原
 剣豪宮本武蔵の生まれ故郷です。
 ここに田中酒造場という蔵元があり、その名も
「武蔵の里」
というお酒を醸しておりますので、
とりあえず購入。
 帰宅後の楽しみといたします(^^) 

こちらが蔵元

古い家並みが残っています。
 平福同様、ここ大原も因幡街道の宿場町でした。
 因幡街道は因州鳥取藩(池田家32万石)の参勤交代ルートでもあり、日本海と瀬戸内をつなぐルートとした栄えていました。
 殿様が泊まった本陣が残っていました。
立派なものです。

本陣跡

そこはかとなく江戸時代が香ります。
 街道沿いに旧家が並び、江戸時代の名残をとどめていました。
 因幡街道は大原を出ると、もう一つ峠を越えて鳥取県の智頭宿へと続きます。
 智頭宿は「鵬」で有名な諏訪酒造のある町です。

ポストも粋な感じです。

利神城遠景
 利神城をあきらめきれず(笑)、再び平福に戻ってきました。
 「そういえば登山道もあったような・・・」
 
 智頭急行のガード下をくぐると廃屋があり、
そこを右に折れたところが登山道のようです・・・
 「おいおいマジですか・・・」
 夜には絶対来たくない場所です。
昼でもなんか出そう(熊とか)
 「かなわんな・・・」
 10分ほど登ったところで引き返しました。 
 と、畑から帰る地元の方を発見。
呼び止めて利神城へのルートを教えてもらいます。

まとめると・・・
 利神城へは45分くらいの登り。
 熊は見たこと無いが、イノシシはうじゃうじゃいる。
 しかも鹿もいます(おやぢギャグ)
 早めの時間から登ろう。
 山には二人以上で入ろう。
という事らしいです。

 ふむふむ、と聞いていると、
「学校の先生ですか?」
と逆取材(笑)
「ええ?違いますけど(^^;」
「いやあ、学校の先生か警察官かと思った」
って言われました。
 そんなに公務員臭が染みついちゃっているのかなあ・・・
ちょっとショックでした。(笑)


デジカメ最大望遠!

有名な平福の街並み
 取りあえず今日の登山はあきらめて、
平福の街並みを見物。
 平福は霧の名所でもあり、先ほどの利神城も霧の中に浮かぶ様は神秘的ですらあり、
「雲突城」
の別名を持つそうです。
 あと平福は、
宮本武蔵が初決闘した場所
でもあるそうです。
 宿場町の外れ。川にかかる橋のたもとで決闘は行われました。
 13歳(!)の時、この金倉橋のたもとで、新当流の達人有馬喜兵衛を
一刀のもとに
切り捨てたそうです。
 おっかない中学生ですな・・・

武蔵初決闘の場所

まいどこんにちは
ホルモンうどん
 さて、日も暮れてきたので佐用でホルモンうどんをいただきます。
 佐用でホルモンうどん食べるの2回目なんですが、
どこの大将もなんであんなに愛想ないんだろう・・・
 客商売じゃないみたい(笑)
 で、常連客と釣り談義中・・・
 接客はアルバイトのお兄さんがやってました。
なんだかな〜

 味は8月に食べたところのほうがうまかったかな?
でも一番おいしかったのは津山のお店ですけど(笑)

真っ暗(^^;
 無計画ブリをさらけ出し、この後の行き先に困ってしまいました。
 10分ほど悩んだ後、岡山まで足を伸ばし、室町酒造を見に行くことにしました。
 佐用から国道179号線を走って岡山県入り。
 県道46号線、県道90号線、国道374号線、県道53号線、県道27号線と継いで、赤磐市へ。
 途中景色のいい集落や、
岡山国際サーキットの看板も見ましたが、すべてパス
(笑)
 しかし目指す室町酒造に到着したときは真っ暗・・・
 11月の18:00過ぎはもう真っ暗でございます。
 取りあえずフラッシュで写真撮って岡山市内へ。
 岡山市内のビジホで泊まって、翌朝仕切り直しです。


 翌朝は霧雨状態。
 岡山市街から県道27号線を北上します。
 途中の旭川沿いは、
ものすごい霧

しかしとても美しい光景でしたよ。
 日本は美しいなあ・・・
 さて、室町酒造に着いたのは8:30。
 当然開いているはずもなく、写真撮っただけで退散でした。
 室町酒造は、
赤磐産の雄町
を使った仕込みで有名なところ。
 赤磐産の雄町といえば、高級米。
機会があればぜひ飲んでみたいですな。

改めまして
おはようございます。

こっちが蔵元?

こちらも古い家並み
 地図を見てみたら、雄町のふるさとである雄町はわりと近くにあるようです。
 ちょっと行ってみよう〜ってことで足を伸ばします。
 県道27号線を岡山方面に戻り、途中で県道81号線に左折。
 峠を越えて県道96号線へ・・・と思ったら、
曲がるところ間違えたみたいで、
えらい路地に侵入してしまいます。
 が、これが結果オーライ。
 感じのいい家並みの続く路地でした。

このうちなんかすごい
 細い路地の奥に、呉服屋さんだったらしい建物がありました。
 かつての街道筋だったのでしょうか・・・?
 県道96号線に合流し、頭高山を過ぎてしばらく行くと、県道96号線は消失・・・
 しばし地図とにらめっこし、適当に走ります(笑)

呉服屋さんだったようです

雄町アクアガーデン
 まずは雄町アクアガーデンなる公園を発見。
 日曜日の9:00なのに、水をくみにきている方がいました。
 おいしいんでしょうねえ・・・
 雄町郵便局前を直進。
 二つ目の路地を左折したところに、
雄町の冷泉
がありました。
 江戸時代には水奉行が置かれ、この井戸の水は殿様(岡山藩主)専用だったんだとか。
 すごい名水なんですね〜



 ・・・飲んでくるの忘れました(笑)
また行ってきます!

雄町の冷泉

雄町はこんな感じの場所
 酒造好適米「雄町」のふるさとはこんな感じの場所。
 岡山市街に近いので宅地化が進んでいますが、まだまだ広々とした田んぼが広がっていました。
 さて、「雄町」誕生のエピソード
 備前の国高島村雄町の住人岸本甚造さんが、
伯耆大山参りの帰り道に珍しい品種の米を見つけ、
二株譲り受けて栽培を始めたのが始まりだとか。
 雄町は栽培が難しいため、一時は6ヘクタールまで作付け面積が落ち込みましたが、
現在は復活傾向です。
 雄町の凄いところは、五百万石山田錦など酒造好適米と呼ばれる品種の2/3が、
この雄町の血を引いているところでしょう。

本田商店
 さてここから折り返し。 
雄町からは県道96号線を走ります。
 三石で国道2号線に合流。
峠で鹿が撥ねられてました。びっくりしました。
 竜野で県道441号線へ。王子橋を渡って県道133号線27号線と継いでJR網干駅裏に。

 ここに「龍力」というお酒を醸している本田商店があります。
 日曜日でお休みでして、お酒買えませんでした。残念。
 また後日のチャンスを狙います。
 しかし本田商店の前は網干駅の踏切でして、立地にちょっとびっくりしました。

 というわけで
夏休みの宿題の残りを、
11月に片付けたツーリングはこれにてお終いです。
 

自宅?
夏の続き 完
2010.12.18作成
2010ツーレポトップへ
Home