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![]() ホテルから津山駅を見下ろす |
天気予報では翌日雨だったのですが、夜の間に降ってくれたようです。 これはツイてます 今日の天気は回復傾向だっていうので、雨を避けて8:00に出発。 小雨の中を走り始めます。 |
![]() 津山城備中櫓も見えました |
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![]() 津山駅構内 |
![]() ディーゼルカーが動き出しました。 |
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![]() そういえば人形峠でしたね |
なんかツーレポらしくなってきましたね(笑) 津山からは国道181号線を走り、院庄からは国道179号線を北上します。 小雨は上がりましたが、空はどんよりと曇っていました。 奥津温泉に心引かれつつ、さらに北上。 ウランが採れるという人形峠までやって来ました。 原発事故あったとこだし、「ウランの村」っていうアピールはちょっと微妙ですね・・・ |
![]() 峠の風景 |
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![]() 残雪がありました |
人形峠付近の気温は低く、冬用のジャケットでちょうどいいくらいでした。 道ばたには残雪がありましたしね・・・ 峠を越えると鳥取県に入ります。 岡山通過に二日かかりました(笑) 峠から下っていくと、いきなり風が強まりまして、ごうごうとえらい勢いで吹いていました。 国道沿いは 八重桜が満開 でした。 |
![]() ふもとは八重桜が満開でした。 |
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![]() 湯梨浜町にある東郷池 |
温泉で有名な三朝町や倉吉市を通過。 県道199号線で東郷池湖畔までやってきました。 ここには 「はわい温泉」 があります。 一時期 「日本のハワイ」 とかって話題になってましたよね。 友人にウケるかと思い、 「はわいなう」 とかつぶやいてみましたが、思いっきり無反応でした・・・ 小ネタを仕込みたくてわざわざ寄り道したのに・・・ 傷心を癒すべく、足湯に浸かってみました。 いやいや、暖まりましたよ〜 |
![]() 足湯でまったり |
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![]() 長和田の川をさかのぼります |
不発に終わった小ネタは諦め、本来の目的地を目指します。 県道185号線で東郷池湖畔を走り、県道22号線を倉吉に向かってちょっと走ると、 「羽衣石(うえし)城」 の看板があります。 案内に従って川沿いの道を上流に向かって走ると、天守っぽい建物が山上に見えてきます。 これが羽衣石城趾です。 信長の野望風雲録でも出てましたね。 |
![]() 羽衣石城発見 |
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![]() 東屋のある三辻を左折 |
羽衣石城は中世から戦国時代末期までのお城なので、天守はありませんでした。 今建ってるのは、あくまでも城風建築物です。 案内板に沿って走り、赤い屋根の東屋がある三叉路を左折すると、2段に分かれた駐車場で行き止まりになります。 ここが登城口になります。 |
![]() 駐車場にあった地図 |
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![]() いよいよ登山開始です |
羽衣石城は室町時代初めに、伯耆国(鳥取県西半分)に所領を得た南条貞宗によって1366年に築かれました。 以後、南条氏歴代の居城となりました。 1524年、出雲から尼子氏が侵入し、城は攻め落とされてしまいます。 |
![]() おお!石垣発見 |
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![]() 巨大な岩盤が露出しています |
時の当主の南条国清は羽衣石城を奪われ、以後尼子配下として働くことになります。 しかし尼子VS大内・毛利の抗争に乗じて尼子配下を離れて毛利方になります。 やがて毛利氏の援助を得て1562年に羽衣石城を奪還。 旧領を回復しました。 以後、東伯耆の国人衆を家臣団として組み込み、毛利氏配下の豪族としての地位を確保しました。 |
![]() 息切れしまくりです(笑) |
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![]() 切り通し 岩に挟まれた狭い通路は、 人1人通るのがやっとです。 |
1575年に国清は死去し、嫡男であった元続が家督を相続します。 この頃には織田家の勢力が因幡・伯耆にまで及んできていました。 元続は1579年には毛利方と決別し、織田方に付くことになります。 羽柴秀吉による鳥取城攻めの時は、出雲方面からの毛利氏による救援を妨害し、鳥取城落城を早めたと言われています。 このため、1582年には羽衣石城は毛利方の猛攻撃を受けて落城しています。 しかし1584年に毛利氏と羽柴氏との間に和睦が成立。 これにより、南条元続は羽衣石城に返り咲き6万石の所領が認められました。 1591年、元続が死去。跡を元忠が継ぎます。 当時の元忠は13歳で、家中も動揺していたようです。 関ヶ原には西軍で参加。大津城攻めにも加わってますが、 敗戦により所領は没収されて浪人になります。 この時、羽衣石城は廃城になりました。 元続は、大坂冬の陣(1614年)では旧臣を率いて大坂方で参加。 兵3000を率いて平野橋口を受け持ちます。 この時、藤堂高虎に伯耆一国を餌に寝返りを勧められて、これに応じようとします。 しかしこれが露見。 元続は大坂城内千畳敷で切腹させられ、南条本家は断絶しました。 「裏切りの 伯耆侍古畳み 南条もって 役にたたばや」 と落首された元続。享年37歳でした。 |
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![]() 天の羽衣伝説の解説板 |
羽衣石城には、 天の羽衣伝説 がありまして、地名の由来になっています。 大石に羽衣を掛けて水浴びしていた天女を、通りかかった百姓が見初めて羽衣を隠してしまいます。 天に帰れなくなった天女は百姓の妻となり、二人の子をなします。 子供の唄から羽衣の隠し場所を知った天女は羽衣を取り返し、夫と子を置いて天に帰っていったという・・・ |
![]() これが羽衣石なんだそうです |
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![]() 模擬天守が見えました |
30分ほど歩いたでしょうか。 休み休み歩いていると、いきなり木立がとぎれ、目の前に天守風の建物が見えました。 ようやく本丸下までたどり着いたようです。 この帯曲輪にも物見台風の展望台があり、日本海から東郷池、山陰道が一望できました。 |
![]() 日本海と東郷池が一望できます |
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![]() 虎口跡 |
しかし山頂はものすごい強風で、まるで台風通過後のようでした。 本丸は長方形で、そこそこの広さがありました。 |
![]() 本丸の様子 |
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![]() 本丸にあった地図 |
本丸には地図と解説板がありました。 |
![]() 本丸にあった解説板 |
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![]() 本丸から二の曲輪を見る |
本丸の東側には一段下がった曲輪があり、これが二の曲輪なんだそうです。 | ||
![]() 羽衣石城縄張り図 (現地の案内板) |
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![]() 体は大人!頭脳は子供! その名は・・・ |
羽衣石城を堪能した私は、県道22号線まで戻って倉吉市内まで戻ります。 倉吉市内からは県道320号線(旧山陰道)を通って西に向かいます。 途中の北栄町でちょっと寄り道です。 |
![]() あ、逆でした(笑) |
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![]() コナン大橋 |
鳥取県東伯郡北栄町はですね、 「名探偵コナン」の作者である 青山剛昌さんの出身地なんですよ。 で、道の駅に青山剛昌ふるさと館なんてのがあるんですよ。 で、道路脇にもコナンのブロンズ像や、各巻の表紙イラストなんかがあるのです。 なんと橋の名前にもなってるんですよ! かなりふるさとに思い入れがあるんですね・・・ |
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![]() 浦安駅 近くにネズミーランドはありません(笑) |
県道320号線は、琴浦町で国道9号線に合流します。 国道沿いのスパー(コンビニ)でお弁当を買って昼食にしました。 スパーはお弁当買うと、レジでご飯を詰めてくれるんですよ。 電子レンジで温めたのとは違う、暖かいご飯が食べられるのがGOODです。 で、山陰本線浦安駅に向かいます。 ここにはネズミーランドはありません。 ひなびた、でも雰囲気のある駅でした。 この近くには・・・ |
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![]() 大谷酒造 |
「鷹勇」というお酒を醸している大谷酒造さんがあります。 創業明治5年。 山田錦や玉栄、五百万石や強力でお酒を造ってます。 2007年まで杜氏(酒造りの責任者)を務めた坂本俊さんが名物杜氏で、 現代の名工にも選ばれた方なんです。 鷹勇の由来は、愛鳥家だった初代が、大空を舞う鷹に魅せられて付けた名前だそうです。 大山の名水を使った名酒を生んでいる蔵なんですよ。 |
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![]() うっすらと大山が見えました |
駅前のお店で鷹勇を購入しまして、再び国道9号線を西に向かいます。 天気が少し良くなってきて、大山がうっすらと見えました。 天気が良ければすごくいい景色なんですけど・・・ |
![]() 大山と山陰本線 |
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![]() 国道431号線 |
米子の手前で国道431号線へ。 流れの悪い皆生温泉付近を通過し、境港に向かいます。 |
![]() 境港に到着 千代むすび酒造 |
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![]() すっかりおみやげ物屋さん化してます。 |
境港には、千代むすび酒造という蔵があります。 鬼太郎ロード(朝ドラのおかげでさらに人出が増えてました)に面したところに蔵があります。 とある酒屋さんの話では以前は水道水で仕込んでいたそうですが、 最近は奥出雲の山奥から水を汲んできて造りをしているとのこと。 それで味も以前からは良くなったとのことですが・・・ 土産物屋さん化した直販所の窓際には、 ワンカップなどの日本酒が並べられていました。 いくら北側の窓と言っても・・・ 紫外線に弱い日本酒の扱いが悪いなあという印象でした。 とある酒屋さんは、 「あそこはおみやげ物屋化してますから・・・」 と多くを語りませんでした(笑) しかしせっかくなので、純米の強力300ml瓶を買ってきましたよ〜 で、境港の酒屋さんで、日本酒情報をいろいろ教えていただいてきまして、 オススメのお酒を多数購入してまいりました。 日置桜とか、鷹勇、いなば鶴強力の中汲生原酒、晴緑などです。 帰宅後が楽しみです(*^o^*) |
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![]() 稲田本店 |
境港からの帰り道、稲田本店さんにも寄ってきました。 米子高専にほど近い場所にありました。 稲田本店の創業は1673年だそうで、その頃は因幡屋という商号だったそうで。 元禄中頃に米子市紺屋町に移転し、その時に稲田屋という名前になったそうです。 大正7年に紺屋町から久米町に移転。 昭和6年には冷酒用の日本酒を販売したそうです。 (トップ水雷) 昭和42年、当時珍しかった精米歩合50%の純米酒造りを開始。 昭和62年に鳥取大学医学部付属病院の拡張工事のため、 現在地に移転したようです。 どうりで建物が新しい訳ですね。 面白いのは多角化?のため保育園も経営しているそうですよ。 この日は米子市内のビジネスホテルで泊まることにして、 米子天満屋で、稲田本店の純米酒「稲田姫」とハマチの刺身を買ってきて晩酌しました。 いい感じでしたよ。 |
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![]() 稲田姫と地物のハマチ |
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2011年GWの旅(続く) | |||
2011.5.29作成 | |||
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