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![]() 大阪南港の「さんふらわあきりしま」 |
さて夏がやって参りました。 木曜日に半日休みを取りまして、おうちで荷造り。 15:00自宅を出発し、大阪南港に向かいました。 17:00に大阪南港かもめ埠頭に到着。 いつものように志布志行きと宮崎行きのフェリーが接岸していました。 |
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![]() 大阪南港の「おおさかエクスプレス」 |
どちらに乗船するか迷いましたが、明日の夜に志布志のお友達とご飯を食べる約束をしていたので、宮崎行きに乗船することにしました。 18:00に乗船開始でしたが、この日はトレーラーが多くてバイクの乗船が遅れまして、 乗船したのは19:00前でした。 フェリーに乗ってすぐに晩ご飯を食べまして、芋焼酎(黒若潮)をちびちび飲みながら寝てしまいました・・・ |
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![]() 宮崎港の「おおさかエクスプレス」 |
この日、バイクの乗船は私の他には1名だけ。 奈良ナンバーのバイクに乗ったライダーさんでした。 宮崎から北上して阿蘇を走るんだとか。 この時期の阿蘇は楽しいでしょうねえ〜 お互いの無事を祈りつつ、下船しました。 県道367号線から国道220号線を南下し、日南市で県道434号線から国道222号線へ。 鹿児島県に入って県道71号線を走り、鹿屋市輝北町を目指します。 県道71号線から国道504号線を南下。 目指すお店に到着しました。 |
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![]() ときわ食堂 |
お店の名前は「ときわ食堂」 「おにぎりあたためますか」でも紹介されたお店でございます。 輝北町は星空がきれいな場所でして、それにちなんだ 「スターポーク」 というブランドの豚肉を出荷しています。 この「スターポーク」、いわゆる黒豚くんではないのですが、 白豚くんの中では高級品なんだそうですよ。 スターポークはほとんど県外に出荷されてしまうそうで、ときわ食堂はスターポークを地元で食べることの出来る数少ないお店なのです。 |
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![]() カツ煮定食 (1000円) |
あらかじめ「カツ煮定食がうまい」という情報を得ていたので、 さっそく注文いたしました。 来ました〜さっそくいただきますよ〜 「うん、うまい!」 鹿児島特有の甘い醤油で煮込んだ卵とじトンカツが最高にうまかったです。 幸せ〜 しかし段々量が食べられなくなってきています・・・(苦笑) 学生時代ならぺろりと平らげたことでしょう・・・ |
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![]() 焼き芋シェイク |
お腹も一杯になり、再び走り出します。 垂水道の駅前にある「マミーズカフェ」さんにやって来ました。 最近有名になった、安納芋の焼き芋を使ったシェイクをいただきます。 この日は店長さんがいなかったので、静かな店内でございました(^^ |
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![]() 解説板 |
マミーズカフェから国道220号を北へしばらく走ると、解説板が目につきました。 バイクを停めて読んでみると、ここにあった島津家家臣の平野屋敷で、関ヶ原から逃げ延びてきた 宇喜多秀家 が隠れ住んでいたそうです。 関ヶ原合戦後、秀家が島津家にかくまわれていたことは知っていましたが、ここに住んでいたんですね。 ちなみに碑の後にある大きなおうちは平野さんでした。 江戸時代からずーっとこちらに住んでるんですかね? |
![]() 碑が建ってました |
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![]() 犬飼の滝 |
宇喜多と言えば岡山県。 岡山の友達を煙に巻こうと思いつき、とある場所を目指します。 霧島神社にもほど近い、妙見温泉のそばにあるんですよ。 その場所とは・・・ |
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![]() 和気神社 |
和気神社でございます。 備前和気出身の朝臣、和気清麻呂は、宇佐八幡宮神託事件で称徳天皇の不興を買い、別部汚麻呂と改名され、大隅国に流されたことは以前ご紹介しました。 その和気清麻呂の流刑先が、この鹿児島県の和気神社なのでございます。 幕末の薩摩藩主島津斉彬が調査を命じ、この場所が特定されました。 ここに和気神社を建てよう!という運動の結果、昭和18年に和気神社が建てられたという訳です。 本家和気神社から送られた藤が植えられていて、こちらの和気神社でも藤祭りが開催されているそうですよ! |
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![]() 鹿屋農業高校産茶葉使用 青春100%茶 |
この日は曽於地方の中心地岩川で宿を取りまして、友人と合流。 楽しい時間を過ごしました。 友人は体調が悪かったそうで、かなり痩せて体積が半分になった?!という感じでしたが、今はかなり回復したとのことで安心しました。 相変わらず話題も豊富で楽しい話をたくさん聞かせていただきました。 いつもありがとうございます! |
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![]() 高隈山 |
翌朝、割とゆっくり9:00に宿を出まして、県道71号線を走り、国道504号線を南下します。 大隅湖をかすめ、高隈山を望み、北海道のような直線道路を走ります。 で、走ってる途中で目的地を思いつきまして、途中で県道67号にそれます。 |
![]() ちょっと北海道ぽい風景 |
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![]() 御弊園城跡 高山本城に次ぐ規模を誇る肝付氏の城 |
国道220号、県道73号と走ってやって来た先は、肝付町です。 察しのいい方はお気づきでしょう。 ここには戦国時代に大隅国で勢力を張った 肝付氏の本拠地 があったのです。 |
![]() この上です。 |
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![]() 肝付氏歴代の墓 |
私が肝付氏を知ったのはコーエーのゲーム「信長の野望」シリーズです。 ゲームではお隣薩摩の島津家にあっさりやられる苦しいポジションですが、実際には島津家を圧倒していた頃もあったのですよ。 肝付氏は伴氏の末裔でして、伴兼行が968年に薩摩国掾となり、薩摩にやってきたのが始まりです。( 「掾」(じょう)とは、守、介に次ぐ国司の三等官のことです。) 兼行のひ孫の兼貞が大隅国肝属郡弁済使になり、肝属郡に勢力を拡大します。 (弁済使とは、荘園などで年貢の取り集めをする役人のこと) また兼貞は息子のなかった平季基の娘婿となり、その所領である島津庄などを引き継ぎ、現在の都城市や日南市などもその勢力圏に入ります。 兼貞は要所に次男以下を配置し、本家を支える体制を整えました。 この流れが変わったのが鎌倉幕府の誕生から。 平家の勢力が強かった九州各地に、源頼朝は御家人を送り込みます。 この時薩摩・大隅・日向守護となったのが惟宗忠久(島津忠久)で、以後肝付氏は在地勢力として幕府勢力との軋轢に悩むことになります。 南北朝時代には肝付氏は南朝方に付き、北朝側の島津家などと争っています。 戦国時代の当主肝付兼続は島津忠良(日新公)の娘を正室に迎え、妹を島津貴久に嫁がせるなど島津家と手を結んでいましたが、1561年に島津家と戦闘状態に入ります。 兼続は高山から内之浦への街道を整備するなど経済政策にも意を用い、島津家と一進一退の戦いを繰り広げました。 兼続没後、肝付氏は急速に勢力を弱めていき、やがて島津家に臣従。 その後、所領も薩摩国に移され、肝付氏は薩摩藩士として幕末を迎えます。 この肝付氏の庶流は早くから島津家に臣従しており、江戸時代は喜入を治めていました。 有名な小松帯刀は、この喜入肝付家から小松家に養子に入りました。 あ、アニメドラえもんのスネ夫の声優さん(二代目)も肝付氏の末裔らしいですよ〜 |
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![]() 小学校跡の公園が目印 |
高山市街から県道542号線、561号線と走っていくと、右手にお店があり、その前に小学校跡を利用した広場があります。 ここが目印になります。 広場の片隅にバイクを停めて奥に歩いていくと、高山城の案内板がありました。 |
![]() 解説板 |
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![]() 大手前の風景 |
その案内板の奥にある田んぼのあぜ道を道なりに歩いていくと・・・ 大手口と書いた看板に遭遇。 ここが高山城の入り口になります。 |
![]() ここが大手口 |
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![]() 登城道 |
ここから整備された遊歩道を歩いて城内へと入っていきます。 以前紹介した志布志城と同じく、シラス台地を削った空堀で各曲輪を区画した、群郭式(南九州型とも)と呼ばれるお城です。 しばらく歩いて行くと通路が狭くなった切り通しがあり、そこが大手門跡でした。 |
![]() 大手門跡 |
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![]() 大手門を城内側から見る |
大手門跡の幅は狭くて、大人二人並んで通るのが精一杯です。 一度に侵入してくる敵を少なくする工夫です。 |
![]() 空堀 |
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![]() 深い空堀 |
シラス台地は比較的土木工事が楽なので、高山城にも深い空堀が刻まれていました。 お堀の底は通路として利用されました。 空堀を渡った先には枡形跡がありました。 ここは城外へ打って出る際、城兵が整列した場所です。 |
![]() 枡形跡 |
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![]() 本丸はこちら |
枡形跡のさらに奥に、本丸への分岐がありました。 本丸への坂道を登ります。 |
![]() 坂道を登ります |
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![]() 本丸の様子 |
本丸は割と広さがあり、かつてはここに肝付氏の館があったのでしょう。 高山城(肝付城)が築かれた時期ははっきりしていませんが、肝付氏はここに400年間拠点を置き、大隅最大の勢力を誇りました。 高山城は、南に本城川、北に栗山川、西は高山川、東はシラス台地の急崖という「天然の要害」に立地してまして、島津忠昌に二ヶ月にわたって攻められても落城しなかったという記録が残っています。 島津家への降伏後しばらくして肝付氏は阿多(現在の南さつま市金峰町)へ移封され、高山城は廃城となったのです。 |
![]() 本丸東側〜南側には土塁が残っていました |
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![]() 枡形跡 |
城内には城の鎮守であった大来目神社の跡がありました。 城内でもかなり重要な位置にあり、大手門へとやってくる敵兵を見下ろす位置にあります。 |
![]() 大来目神社参道 |
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![]() 高山城縄張り図 |
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![]() 高山城廃城後、江戸時代の外城は弓張(ゆんばり)城跡に置かれました。 島津忠昌の高山城攻めの際、柳井谷陣に島津勢の本陣が置かれました。 城攻めの際、双方から放たれた矢が空中でぶつかって折れ、谷に散乱したことから、 「矢折れの谷」が訛って「柳井谷」になったのだとか。 激戦の様子が偲ばれます。 |
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![]() 涼しげな滝を発見 |
県道561号線に戻って内之浦を目指します。 長くて涼しい国見トンネルを抜けると、広瀬川沿いに涼しげな滝がいくつかありました。 涼しそう〜 |
![]() もう一つ |
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![]() 内之浦市街手前の風景 |
内之浦市街からは国道448号線を走ります。 集落を抜けると峠道に差し掛かります。 振り返ると黒尊岳や、内之浦市街が見えました。 |
![]() 黒尊岳 |
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![]() 内之浦市街 |
内之浦のロケットセンターは以前に来たことがあるのでパス。 気持ちのいい海岸沿いの道を快走します。 |
![]() 岸良海岸 |
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![]() 岩場 |
日差しは厳しかったですが、風は爽やかで気持ちよかったです。 | ![]() 岸良海岸 |
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![]() 岸良海岸 |
美しい砂浜が見えてきました。 岸良海岸です。 こんなにきれいな浜なのに、3組しか泳いでませんでした。 もったいないですね〜 |
![]() 岸良海岸 |
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![]() 県道74号との分岐あたり |
鹿児島のお友達syunさんに教えてもらったスポットに到着。 道路を下っていくと、 そのまま海にダイブ するように見えませんか? 海も空も青くて、最高の気分でした。 |
![]() いい眺めですよ! |
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![]() 海へダイブするように見える道路 |
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![]() 開聞岳が見えました。 |
国道448号線は、国道269号線と合流してお終い。 対岸には開聞岳が見えました。 国道269号線から県道68号線、国道220号線を走って垂水に向かいます。 |
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![]() マルエーフェリー乗船券 |
またもマミーズカフェで一休み。 日本一周中のライダー(ショウゴ君だっけ?)と一緒になり、しばらく話し込んでました。 もう一年も旅しているそうです。沖縄・先島の離島巡りを終えて折り返しに入った所だそうです。 うらやましいなあ・・・ 話し込んでたら時間が過ぎてしまい、奄美行きのフェリーに残り5分で滑り込みました。 危なかったです・・・ (^^; |
![]() 一年ぶり!合鑑です。 (バイクは手荷物扱いなのです) |
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れんとのバカンス つづく | |||
2011.7.31作成 | |||
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