ここにも大雨の被害が
 翌朝は9:00に宿を出発しました。
 さて、奄美大島は昨年の10月20日に
記録的豪雨

に見舞われ、大きな被害がでました。
 その爪跡は大きく、島の幹線道路である
国道58号線
でさえ、未だに対面通行が何カ所かで続いていました。
 この日は名瀬から県道79号線で島の西海岸を走りましたが、ここでも対面通行がありました。
一日も早く復興するといいのですが・・・・
 

大和村の海岸
 さて、この日は午後から雷雨の予報。
 晴れている間に走ろうとがんばりますが・・・
 やっぱり寄り道しちゃうんですよね(笑)
 国道海岸でしばし海を眺めておりました・・・

国道海岸

ここにも豪雨の爪跡が
 対岸の山肌が白く露出していました。
豪雨による崖崩れでしょう。

恩勝湾

恩勝湾
 道は海岸線に沿って右左のカーブを繰り返します。
 バイクには楽しい道です。
 途中、蛸ゴモリ(とほごもり)の看板を見ました。
 この看板の沖150m地点に、蛸ゴモリ(たこの住み家の意)という淵があるそうです。
 昔、この淵には40〜50mもある大蛸が住んでいて、浜辺を通る人たちを食べていたそうです。
 大蛸は源為朝に退治されたそうですよ。

蛸ゴモリの由来解説板

高倉
 大和村役場の近くに
高倉
が保存されていました。
 かつての奄美にはこの蔵がたくさん建てられ、穀物などが保管されていました。
 ネズミの害を防ぐために高いところに蔵を設け、柱をつるつるに磨いてネズミが登れないようにしたそうです。

解説板

東シナ海
 大和浜から大棚、峠を越えて戸円と走ります。
 右手には青い東シナ海です。
 

阿山崎が見えてきました

阿山崎はきれいですね
 峠にバイクを停めて、美しい大和村の海を眺めておりました。

ヒエン浜
 阿山崎の根元にヒエン浜があります。
 この浜からは兼久式土器という、古墳時代から平安時代にかけて使われていた土器が出土しているそうです。
 掘っ立て柱の柱穴らしきものも見つかっているので、集落があったと考えられているそうです。
 どんな人達が暮らしていたのでしょうか?

解説板

ものすごい崖
 奄美大島の海岸は切り立った崖が多いのですが、中でもこの崖はすごい迫力です。
 前をゆく軽自動車との比較で、その高さが分かっていただけると思います。
 北海道の雄冬岬あたりの海岸に匹敵しますねえ〜

いい景色
 県道79号線は今里の集落で海岸を離れて峠越えになります。
大和村今里

焼内湾
 峠を越えると宇検村に入ります。
 道はやがて細くなり、焼内湾へと下っていきます。
 海にぶつかったところが宇検の集落です。
 藩政時代には役所が置かれ、この辺りの政治の中心でした。
 ここには1702年に建立された厳島神社があり、今でも大切にされています。
 ちなみにこの神社を建立したのは碇さんです。

厳島神社解説板

枝手久島
 この辺りの道路は新しくトンネルが開通したりしていて、かなり走りやすくなっていました。
 焼内湾に浮かぶ枝手久島は、今日もきれいです。


焼内湾
 あ、そうそう。
 宇検村と言えば、「れんと」の故郷なんですよ(お酒の方です)
 「れんと」を造っているのは、奄美大島開運酒造さんです。
 もともとは戸田酒造所として昭和29年に名瀬市で創業。
 平成8年に奄美観光ホテルに譲渡されて奄美大島開運酒造になりました。
平成9年に工場が宇検村に移りまして、現在に至ってます。

 

奄美大島開運酒造
(事務棟)
平成17年にできました
 という訳で、ちょっと寄ってみました。
 受付で、
「工場見学出来ますけど、どうしますか?」
と聞かれたので、見てくることにしました。

奄美大島開運酒造
(工場棟)

黒糖のブロック
 黒糖からお酒を造るのは簡単でして、サトウキビから絞った原液に酵母を入れればお酒になります。
 「糖化」などという余分な行程が必要ないですからね〜
 でもそれじゃあ「ラム酒」になりまして、酒税法上「スピリッツ」に分類されて高い税金がかかっちゃうのです。
 黒糖酒は奄美の生活のお酒。嗜好品ではないのです。
 で、困った国税庁は、「米麹を使えば焼酎として認めてあげる」と言いまして、現在の黒糖焼酎が誕生しました。
 で、特例なので奄美群島にのみ認めますって話なのです。
糖化が必要ないので、本来麹なんか必要ないんですけどね〜

 さっそく工場見学です。
 まずは原料の黒糖から。
 沖縄産の黒糖ブロックが原料です。
 先ほどの酒税法なんかのからみで原液からの製造が認められていませんで、
わざわざブロックで購入するそうです。
 で、黒糖を溶かして液体状にします。

黒糖ブロックを溶かしたもの

製麹機
 で、本来は必要ない米麹を投入します。
 米麹は写真の製麹機で造られるそうです。
 醸造タンクに水と酵母を入れ、さらに米麹を投入し、25〜32℃で6日間培養されてもろみになります。
 

醸造タンク

発酵タンク
 んで、溶かして冷やした黒糖液を2回に分けてもろみに投入します。
 酵母が糖を食べてアルコールと炭酸ガスに分解してお酒になります。
 で、これを蒸留したものが黒糖焼酎です。
 これを貯蔵タンクに入れて熟成させるのですが、この時にクラシック音楽を聞かせて熟成するのが
「れんと」のウリ

 約3ヶ月熟成させます。

スピーカー付き貯蔵タンク

れんとのできあがり
 「れんと」の名前の由来は、音楽記号「Lento」から。
「ゆるやかに、ゆっくりと」という意味だそうで、音楽で熟成させることからついた名前です。
 現在は空調の効いた工場で作っているので、年中造りをやってるそうですよ。

 でも工場ってなんか風情がないなあ・・・

奄美の山々
 宇検村からは県道85号線で峠を越えて住用町へ。
 国道58号線へ向かいます。
ここから瀬戸内町に向かおうと思ったのですが、雨がぱらついてきたので名瀬方面に引き上げることにしました。

西平本家
 名瀬市街まで戻りまして、もう一軒酒蔵見学です。
 名瀬市街にある「西平本家」さんです。
 西平本家さんは大正14年に喜界島で創業。
昭和2年には名瀬に移転してきまして、現在に至ってます。
主な銘柄は
「八千代」
で、私の好きなお酒の一つです。
瓶仕込み、黒麹、常圧蒸留の黒糖焼酎です。

(「れんと」は減圧蒸留(香水などで使われる)です)

スイーツのお店発見
 この日のお昼ご飯は「ひさ倉」で鶏販でした。
 ひさ倉からの帰り道、国道58号線沿いに新しいお店を発見。
さっそく入ってみました。
 「こっこ屋」さんというお店なのですが、笠利で養鶏されている方のお店らしく、
店内では卵や鶏肉なんかも販売されていました。
 が、目を引いたのは新鮮な卵を使ったスイーツの数々!
ロールケーキとかもあったんですが、量が多いのでシュークリームとプリンにしてみました。
 シュークリーム、卵をふんだんに使った濃厚なクリームが最高でした!
オススメですよ〜

シュークリームがうまかった!

富田酒造場
 名瀬市街に戻りまして、もう一軒酒蔵を訪ねてみました。
 富田酒造場です。
 名瀬の繁華街屋仁川(やんご)通りほど近い場所にありました。
蔵の背後が山になってまして、お水に恵まれていそうな感じでした。
 背後にある山はらんかん山といいまして、かつてはオランダ商館があったそうです。
(阿蘭陀の商館→蘭館→蘭館山)
 富田酒造場のある場所には、江戸末期に白糖製造工場があり、イギリス人の技師が招かれていたそうです。
 瓶仕込み、黒麹、常圧蒸留の蔵でして、
「龍宮」
「まーらん舟」
「らんかん」

などの黒糖焼酎を造ってます。
おいしいですよ! 
 

龍宮という焼酎を造ってます。

屋仁川(やんご)通り
 その後は名瀬市街をぶらぶら。
 アーケード街を歩いたりしていました。
 アーケード街の外れに
ヤマア

のお店を発見!
 お家に帰っても奄美を食べるべく、お土産を買ってきました。
(ヤマア・・・奄美でお味噌やお醤油を製造・販売している会社)
 港にも行ってみましたよ!
 巡視船が接岸していました。

巡視船「かいもん」

さしみやさん
 夕方にかけて段々雲行きが怪しくなってきました。
 昨日お刺身を買った小宿のお店で晩ご飯にすることにしました。

めにゅう

まぐろ丼
500円
 今日は店内でご飯を食べました。
 写真はマグロ丼です。
結構ボリュームありましたが、500円とお手頃価格でした。
古仁屋港直送をうたっているだけあっておいしいマグロでしたよ〜
 オススメのお店だと思います。

名瀬新港待合い室
 晩ご飯も済ませたので港へ移動。
 乗船までの間を待合い室で過ごします。
 この日は夏休み中なこともあって、学生さんの乗船が多かったです。
 フェリーあけぼのが名瀬に姿を現した頃、名瀬は土砂降りの雷雨になりました。
 時折空が白く輝く中、接岸したあけぼのに乗船。
 奄美大島に別れを告げました。

接岸直前のフェリーあけぼの

チケット売り場

大活躍の手ぬぐい
 今回も活躍したのが写真のかわいらしい手ぬぐい。
 マフラー代わりに首に巻いたり、帽子代わりに頭に巻いたり、汗を拭いたりと大活躍でした。
ちゃっくさんありがとうございます。

帽子代わりに使用中の図
安来節っぽいね(笑)
れんとのバカンス つづく
2011.8.21作成
2011年ツーレポトップへ
Home