焼サバ寿司
 さて、毎年恒例のお誕生日連休ですが、
2011年はツキがありませんでした。
 せっかく4連休を確保したのに、二日間雨に降られまして・・・
 3日目にようやく雨があがったので、あわてて出発しました。
二日間でどこまで行ける事やら・・・
 とりあえず米原から北陸道に入って北上。
地元は晴れてたのに、北へいくほど雲が多くなってきて不安が募ります・・・
 南条SAで、焼サバ寿司でお昼ご飯。
この日はちょっとひんやりしたので、暖かい越前蕎麦も食べてみました。

 おそばで暖まったところで北上を再開。
 石川県に入ったところで加賀ICを下車しました。

江沼神社の灯籠
 加賀ICから県道61号、141号を走って行くと、大聖寺市街に到着します。
 ここはかつて加賀藩の支藩である
大聖寺藩
(7万石のち10万石)の城下町でした。
 大聖寺藩祖は前田利治で、
加賀藩主前田利常の三男です。
 当初7万石でしたが、8代藩主利孝(としやす)の時代に、新田打ち出しの1万石と本家から2万石の援助を併せて10万石となりました。
 
 

江沼神社の灯籠

屋形船が大聖寺川を下っていました。
 格式を重んじてのことだったのですが、家格が上がれば出費が増えるということで、藩財政を圧迫。
 11代藩主利平は10万石格を返上しようとしています。(笑)

長流亭
(国重要文化財)

長流亭
 旧大聖寺川のほとりに立つ長流亭は、大聖寺藩第3代藩主前田利直の休息所として、
1709年に藩邸庭園の一隅に建てられました。
 藩邸は明治9年の大火で焼失しましたが、長流亭は火災を免れて現存しています。
「長流」とは利直の雅号から名付けられたそうです。

大聖寺城古図
 さて、大聖寺藩は10万石でありながら城を持たず、陣屋を政庁としていました。
 しかし陣屋の裏山にはかつて
大聖寺城
というお城があったのです。

大聖寺城現状

大聖寺藩の偽金造りの洞窟
 大聖寺城は、鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと言われています。
 建武4年(1337年)には新田義貞方の軍勢が大聖寺城を攻め落としたと記録にあります。
 戦国時代には一向一揆の拠点となっていましたが、越前の朝倉家との紛争地になりました。

尾根の間を登っていきます。

大聖寺城から街並みを望む
 やがて織田家の勢力が加賀にも及び、佐久間盛政などが大聖寺城主になっています。
 柴田勝家が羽柴秀吉に敗れたのち、越前は丹羽長秀の所領となり、
大聖寺には溝口秀勝が4万4千石で入ります。
 秀勝は丹羽家、続いて堀家の与力大名となり、堀家が越後の春日山城に転封となると、
それに従って越後の新発田に移ります。
 越前には小早川秀秋が入り、その家臣であった山口宗永が6万3千石で大聖寺に入城します。
 小早川秀秋はわずか1年で旧領の筑前名島へ戻りますが、
宗永は大聖寺に残って豊臣家の直臣となりました。
 関ヶ原合戦で山口宗永は西軍についたため、前田利長に攻められて城は落城。
宗永は自刃しました。
 大聖寺城はそのまま前田家の持城となりますが、元和の一国一城令で城は廃城。
 寛永16年(1639年)の大聖寺藩立藩時には、城跡の麓に陣屋を構えて政庁としました。
 しかし有事には城として再利用するつもりだったようで、
江戸時代を通じて城山への一般人の立ち入りは禁止されていました(笑)

土塁の残る曲輪

本丸と櫓台
 大聖寺城は標高70m余りの錦城山に築かれ、谷を挟んだ二つの尾根に曲輪を置いていました。
 本丸西北隅には櫓台らしきものがあり、石垣の裏込めに使われていたらしい石が散乱していました。

櫓台には石垣が築かれていたようです。

本丸土塁
 櫓台からは、高さ4mほどの土塁が続いていました。
 かつては多聞櫓でも建てられていたのでしょうか?
 本丸裏手には馬洗池と呼ばれる池がありました。
 城の生活用水だったのかもしれません。

馬洗池

山口宗永の碑
 大聖寺城で自刃した山口宗永の碑が、本丸に建てられていました。
 宗永は有能な人だったらしく、小早川家に養子に入った秀秋の補佐役として豊臣家から小早川家に移っています。
 宗永は関ヶ原合戦の時に自刃していますが、子孫は松江藩松平家に仕えて明治に至ってます。
 余談ですが、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞中将(空母飛龍の艦長)は、
この宗永さんの末裔だったりします。

大聖寺の町屋
 大聖寺の街並みは古い商家がたくさん残っていて、
とても風情がありました。
 一日ゆっくりと巡ってみても楽しそうです。
 しかし私には二日しかありません(笑)
 先を急ぐ事にします。
県道145号線から途中で右に折れ、加賀温泉駅の南側を走ります。
加賀温泉駅東口交差点を東に走り、七日市町の信号を左折します。
 跨線橋の手前を左に入っていきます。

白水の井戸
 そこには白水の井戸がありました。
 蓮如上人が加賀を布教して歩いていたときのこと、上人はのどが渇いたので米を研いでいた女性に飲み水を求めたそうです。
 が、女性は米の研ぎ汁を与えたので、上人はその水を投げ捨て、杖を地面に突き刺すと水晶のような水がわき出た、という伝説の井戸です。

井戸のすぐそばには鹿野酒造
 この白水の井戸水を仕込みに使っているのが、鹿野酒造さんです。
 「常きげん」と言えば、知る人ぞ知る銘酒ですが、この鹿野酒造さんのお酒です。
 まわりを田んぼに囲まれた、とても静かな場所にありました。
 対応していただいた奥さんも、とっても感じの良い方でした。
 一度造りの時期に行ってみたいですね〜

「常きげん」で有名な蔵元です。

小松城本丸堀石垣
 鹿野酒造を出発し、箱宮町で国道305号線に合流。
 符津本町で県道11号線に入り、しばらく走ると県道4号線と合流。
 そのまま北上を続けると、国道360号線にぶつかります。
 国道を西に走ると右手に小松市役所が見えますが、実はこの辺り一帯には、かつて小松城がありました。

この石垣の左側が本丸堀でした。

小松城縄張り図
 小松城は梯川と前川の合流点にほど近い湿地帯に築かれました。
 始めは一向一揆の城であったようですが、柴田勝家によって攻め取られ、
村上氏、丹羽氏が城主となっています。
 江戸時代には加賀藩の持ち城となりますが、一国一城令でいったん破却されます。
 が、加賀藩主前田利常の隠居城として再び整備され、
利常亡き後も一国一城令の例外として存続が認められ、
城番が管理して明治維新を迎えています。

小松城天守台
 さてこの小松城、平城の悲しさで市街地化が進んでまして、遺跡はほとんど残っていません(^^;
 天守台と本丸石垣の一部が残っています。

切り込みハギの美しい石垣

石段
 小松城の天守台は本丸内に独立して築かれています。
 その大きさは10間(約18m)四方あり、ゆうに
5重天守が建つ大きさ
です。
 しかしこの巨大な天守台に建てられたのは
二重三階の数寄屋造りの櫓

でした。
 天守の代用だったのですが、なんと屋根が寄せ棟造りでして、全国で唯一なんです。
 さすが前田利常
 人を喰ってますますな(笑)

石段は雑草に覆われていました。

天守台から二の丸方面を見る
 天守台はかなりの高さで、小松市街を見渡すことができます。
 小松市街の向こうには、遠く白山山系を望むことができました。

天守台下には井戸が

本丸堀跡
石垣の右側が堀跡
 天守台脇の本丸石垣跡に戻ってきました。
 この石垣は、かつて水面から6mの高さがありました。
ということは、4mほど石垣が埋まっている計算になりますね。

 他にめぼしい遺跡もないので、この辺で小松城を出発することにしました。

吉田酒造
 小松城から国道360号、305号、県道4号、県道157号、県道58号線を経て、白山市安吉町にやって来ました。
 ここには
「手取川」
というお酒を醸している吉田酒造店さんがあります。
 吉田酒造さんも、廻りを田んぼに囲まれた集落の一角にありました。
 
 吉田酒造店さんは創業明治3年です。
手取川の伏流水と良質の米が穫れたことから、この辺りは酒造りが盛んだったそうです。
しかし大正後期の大恐慌の中で廃業する蔵が続出。
昭和10年には吉田酒造店さんだけになっていたそうです。

 さて、事務所の女性の方に説明を受けたのですが、
吉田酒造では杜氏さんが仕込んでいるお酒と、社員さんが仕込んでいるお酒があるそうです。
 最近は杜氏さんも後継者不足だといいますからね・・・
後継者を育てるために蔵を二場体制にして、
それぞれで酒造りをしているそうですよ。
 そうこう話をしていると、杜氏さんが通り過ぎました。
 蔵入りしたばかりとかで、これから近所の会合に出席するんだそうです。
杜氏さんを初めて生でみました〜

のれんがいいですね!

かなり日が傾いて来ました。
 日が傾いてきて寒くなってきました。
 吉田酒造店さんを出発し、県道22号線(山側環状)を走って県道10号に入りたかったのですが、曲がるところを間違えまして
大桑町に降りてしまいました・・・(笑)
 犀川を渡ったところで現在地をロスト。
 かなり迷ったあげく、ようやく石引にある福光屋さんにたどり着きました。
 兼六園の裏手にある福光屋さんは、寛永二年(1625年)創業の古い蔵元です。
 年間生産高が万石以上の大手蔵でありながら、
全量純米酒生産の蔵
でもあります。
主な銘柄は「福正宗」「黒帯」「加賀鳶」で、辛口が多いかな?

 県道10号線に面したところに小売り店がありました。
 かなりおしゃれな内装で、ブランドショップのようでした〜
 そこでお土産を買いつつ、店員さんに情報収集。
 ちょっと気になってた食べ物があるんですよ。
ばっちり情報をゲットしましたよ〜
その食べ物とは・・・
 

福光屋さんの建物
辺りはもう真っ暗・・・

純米吟醸「加賀鳶」by福光屋


すぎの実さん
 それは、
「ハントンライス」
といいます。
金沢市の郷土料理として知られています。
いわゆる「B級グルメ」になるんでしょうか?
 福光屋さんの近くにも食べられるお店があるということで、行って参りました。

これはうまそう

カツハントン
 ハントンライスとは、
「ケチャップで味付けしたバターライスの上に、半熟の薄焼き卵と白身魚のフライを乗せ、
タルタルソースをかける料理」です。

(お店によっていろいろバリエーションはあるようです)
 すぎの実さんでは
「カツハントン」
をいただきました。
 バターライスの上に半熟の薄焼き卵、トンカツとデミグラスソースがかかってまして、
とってもおいしそうです・・・
「いただきまーす!」
写真を撮ってから一口・・・
「うん、うまい」
 加古川の「かつめし」とか、根室の「エスカロップ」とか、
あっち系の料理ですね。
 誕生までのいきさつや名前の由来はWikiにも載ってますんで、
興味のある方はどうぞ(笑)
 私はおいしければOKです(爆笑)
 さて、この後ホテルに向かったのですが、そこでも道に迷いまして、
星陵高校(松井の母校ですな)まで行ってしまったのは内緒にしといてください・・・
orz
北陸の酒と城 つづく
2012.1.1作成    
2012.6.17写真追加
2011年ツーレポトップへ
Home