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![]() 豚ホルモン焼き |
桜島を堪能した後、県道72号線、71号線を走って曽於市岩川へ。 市街地の入り口は交通規制が始まっていたので、警備員の誘導に従って迂回路へ。 いったん道の駅「おおすみ弥五郎伝説の里」で小休止。 おいしい匂いが漂っていたので、思わず買ってしまいました。 「豚ホルモン焼き」 300円くらいだったかな?とってもおいしかったですよ〜 やっぱりうどんだけじゃもの足りないですからね(笑) |
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![]() これが弥五郎どん |
大隅地域振興局曽於庁舎裏の駐車場にバイクを停めまして、お祭りを見に歩き出しました。 鹿児島三大祭りの一つ、 「弥五郎どん祭り」でございます。 弥五郎どん祭りの由来には諸説ありますが、 その昔この辺りに住んでいた曽於族と、その酋長であった弥五郎が、 大和朝廷との戦いに敗れて征服され、その鎮魂のために始まったお祭り というのが一番しっくりくる説ですね。 日本の文化は怨霊と鎮魂の文化ですから・・・ |
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![]() 高架下をくぐります |
現在の弥五郎どん祭りは、鐘や笛の音もにぎにぎしく、岩川市街を練り歩くお祭りです。 見物客の数もかなりのものですが、 地元のお祭りとしての趣を失っていない ところが一番の見所でしょうか。 一番の見所は、 市街の中央を走る国道269号線の高架下をくぐるところ。 今は秘密のからくりがあって、わりとあっさりとくぐって行くのですが、そのからくりがなかったころは本当に大変だったそうです。 (syunさん情報) |
![]() 無事成功 |
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![]() でかい・・・ |
あ、そういえば友人syunさんも親子連れでお祭りを見に来ているようです。 メールで現在地を交換しながら見物します。 |
![]() 岸和田だんじりくらいの高さがありますね |
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![]() 弥五郎どんの後には大傘を捧げ持つ人が |
毎年11月3日の深夜2時に、弥五郎どん起こしから祭りが始まります。 起こし太鼓を打ちながら神事が始まり、3時頃から 全長4m85cm ある弥五郎どんの組み立てが始まります。 13:00から浜下りが始まり、岩川の街中を弥五郎どんが練り歩きます。 お祭りでは柔道・剣道などの武道大会が奉納され、神社の境内では甘酒やこんにゃくが振る舞われるそうですよ〜 |
![]() 高台から狙います |
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![]() 5メートル近いですからね・・・ |
ようやくsyunさんと合流。 ちょっとした高台から弥五郎どんを狙います。 行列が近づいて来るにつれ、どこからともなくカメラをぶら下げたおっさんがやってきて、 先に場所取りしていた我々にお構いなしで写真を撮り始めます。 おっさんがじゃまで写真が撮れない・・・ あまりの所行にsyunさんが静かに怒り爆発。 おっさんをたしなめ始めます。 しかし、それを聞いているおっさんの表情を見ていると、 残念ながら 「馬の耳に念仏」 という格言が私の頭の中を飛び回ってました・・・ 実に残念です。 浜下りも終わったので、syunさん親子はお家に帰宅。 私はお子さんにお菓子をいただいてしまいました。 いいお父さんには、いいお子さんが育つ ものですね(*^▽^*) その後、岩川のファミマで地図を見ていたら、 小さいお子さん連れの女性に話しかけられました。 なんでも自分もバイクに乗っているので、思わず声をかけたとのこと。 近くに温泉がないか探していたと答えると、 ダグリ岬にある国民宿舎で日帰り入浴できると教えていただきました。 お風呂から志布志港が見渡せるので、 出港するさんふらわあを見ながら入浴 できるそうです。 お姉さんにお礼を言ってお別れし、さっそくダグリ岬へ向かいます。 お風呂からは志布志港がばっちり見えまして、 天気がよければ夕日も拝める絶好のロケーションでした。 お姉さん、どうもありがとうございます。 鹿児島の人はいい人多いんですよね〜 まだ嫌な思い出がないのです・・・ |
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![]() 曽於市岩川付近の地図 |
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![]() 松尾城 |
翌日はあいにくの雨空。 しかしお休みを取ったsyunさんが、 マイカーでお城巡りに連れ出してくれました。 曽於弥五郎ICから高速に乗り、粟野ICで下車。 湧水町にやって来ました。 ここには松尾城というお城があるのです。 勇将 島津義弘が天正年間(1573〜1592年)頃に居城としていたお城です。 朝鮮遠征の時も、義弘はこのお城から出陣しています。 松尾城は、鹿児島からえびのに抜ける街道を押さえる位置にあり、 その押さえとして義弘が入ったものと思われます。 特筆すべきなのは、このお城には石垣が築かれていること。 鹿児島を始め、南九州ではシラス台地に空堀を刻んだ群郭式が多く、 そのほとんどが土の城なので、織豊時代に築かれた石垣造りのお城は、 ここでしか見られない珍しいものなのです。 |
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![]() 石垣の解説板 |
九州征伐後、豊臣政権と近かった島津義弘。 上方の城を見る機会もあったでしょうから、 その影響で石垣を築くことにしたのかもしれませんね。 |
![]() お城の解説板 |
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![]() 松尾城本丸付近 |
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![]() 城北面の石垣 |
とはいっても総石垣で築かれている訳ではありません。 尾根続きになる本丸北側と、本丸への入り口(虎口)にのみ石垣は積まれています。 |
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![]() 石垣隅部 自然石ですが算木積みになってます。 |
本丸への入り口には敵の攻撃が集中しますから、石垣を築いて防御力を上げたのでしょう。 石垣隅は自然石を簡単に加工した石材で算木積みになっていました。 全体的には自然石を積み上げた野良積みになっています。 |
![]() 本丸虎口の石垣 右に折れているのがよく分かります。 |
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![]() 本丸から見た虎口 |
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![]() 本丸現況 |
本丸内はこぢんまりとしていました。 ところどころに礎石らしい平らな石材が露出していました。 本丸には義弘の住む館が、二の丸には奥方の住む館があったと言われています。 |
![]() 松尾城趾の碑 大正時代に建てられたもの |
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![]() 礎石が残っています。 |
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![]() 本丸の縁には灌木が植えられました |
本丸縁には、城外からの視界をさえぎるために灌木が植えられていました。 義弘公お手植えと伝わっています。 城外からの視界をさえぎる為に植物を利用するのは割とよくある手でして、 和歌山城では三の丸土塁の上に竹が植えられていました。 ので、和歌山城の別名は「竹垣城」だったりします。 (今では想像出来ないですが) 竹は戦時には矢の材料になりましたので、城跡ではよく見かけます。 |
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![]() 険しい山々が見えます。 |
本丸から城の北方を望みます。 この先は京町を経てえびの高原。 その先の人吉との間には険しい山々がそびえています。 |
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![]() 本丸石垣 |
本丸から降りてきました。 syunさんと二人で 松尾城を攻めるならどこから? などという談義をしながら城跡を歩きます。 見かけはおじさん二人ですが、 中身は小学生なのです(笑) |
![]() 本丸を見上げる 手前は土塁で、奥が虎口の石垣です。 |
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![]() 本丸と二の丸間の空堀 |
本丸から空堀を隔てて二の丸がありました。 廃城前は木造の橋がかかっていたそうです。 二の丸は崖崩れということで立ち入り禁止になっていて入れませんでした・・・ |
![]() 二の丸 |
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![]() 汽笛まんじゅうのお店 みやした |
松尾城を離れてJR肥薩線吉松駅を目指します。 快適そうな国道を横目に、ナビが指し示す細い道に文句を言いつつ二人で走ります・・・(笑) 現在の吉松駅は肥薩線と吉都線という二つのローカル線が分岐する駅なんですが、かつては鹿児島本線と日豊本線の分岐駅でして、機関区が置かれ、駅周辺には国鉄職員も多数住んでいました。 貨物と旅客が行き交う、それは賑やかな駅だったそうです。 しかし昭和2年に水俣〜出水などを経由する海岸廻りの現:鹿児島本線(一部肥薩オレンジ鉄道)が開通し、八代〜鹿児島間は肥薩線としてローカル線に格下げされてしまいます。 昭和7年には都城〜隼人を経由する現:日豊本線が開通。 都城〜吉松間は吉都線としてこれまたローカル線に格下げになってしまいます。 以後の吉松駅はかつての活気が失われていきました・・・ |
![]() 吉松駅方面 |
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![]() 汽笛まんじゅう |
かつて吉松駅で駅弁などと一緒に販売されていた 汽笛まんじゅう です。 今でも駅近くの 「みやした菓子舗」 で購入する事ができます。 石炭に見立てた揚げまんじゅうで、地元農家の方のおやつにも愛用されているとは、店主の奥さんのお話。 |
![]() 揚げまんじゅうで、 中身はあんです。 |
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![]() こちらはハッタイもち ハッタイ粉と砂糖を固めたもの ハッタイ粉とは芋の粉のことです。 これは麦でしたが。 |
店主はかなり高齢の方ですがまだまだお元気で、 SLの説明をし出すと商売そっちのけで話が止まりません(笑) でもとっても暖かいご夫婦で、揚げたてをおまけしてもらっちゃいました。 店内にはSLを中心に鉄道関係の展示が多数。 syunさんはSLの動輪の肉抜きというかなりマニアックな説明を聞いていました。 私は奥さんの 「子供は鹿児島市内で菓子店をやってるので、 汽笛まんじゅうも私たちでお終い」 という言葉が深く心に残りました。 今は鉄道ファンに知られた「汽笛まんじゅう」も、 あと100年もすれば語る人もいなくなるのでしょう・・・ そうやって消えてきた歴史というのもたくさんあったのでは・・・ お店を後にした車中で、しばし感慨にふけったのでした・・・ |
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![]() 吉松駅がかつて鉄道輸送の要衝であったことがよく分かります。 (松尾城の重要さもね!) |
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かごんま大好き! つづく | |||
2011.12.10作成 | |||
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