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![]() 鏡口交差点 旧鏡宿の真ん中にあります。 |
11月の晴れた週末。 お天気に誘われてふらりとツーリングに出かけました。 やって来た先は滋賀県竜王町にある 星ヶ崎(星ヶ峰)城です。 名神高速道路竜王ICを降りまして、IC出口交差点を右折。 国道477号線を北上すると国道8号線との交差点で左折。 この国道8号線がかつての中山道でして、すこし走るとかつての鏡宿に到着します。 この鏡宿を見下ろす星ヶ峯(鏡山北方尾根)に星ヶ崎城は築かれました。 このお城、鏡久綱によって築かれたとされていますが、築城者・築城時期はよく分かりません。 鏡氏は近江源氏佐々木定綱の次男定重に始まる家系で、 定重の子久綱が鏡庄を領地としたことから鏡氏を名乗りました。 久綱は承久の乱(1221年)の時に上皇方につき、美濃・尾張方面に出陣しますが戦死しています。 その後の鏡氏については諸説があってはっきりしません。 (一般的な説では)久綱の戦死によって途絶えていた鏡氏は、京極宗氏の三男貞氏が名跡を継いで再興。(ちなみに貞氏の弟が有名な婆娑羅大名、京極(佐々木)高氏です) 以後、六角氏(六角氏は佐々木氏の宗家)の旗頭として活躍しますが、1568年の織田信長の上洛戦の時、鏡兵部少輔(鏡高規?)は織田家に鞍替えしたと思われます。 その後、鏡氏は井上と改姓したとも言われ、星ヶ崎城麓にある井上館跡には、今でも井上さんが住んでます。 鏡氏の一族として、安養寺や沢田、山河や長岡氏が伝わっています。 |
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![]() かつての中山道と 鏡宿(小字出町)の街並み |
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![]() 解説板 |
さて説明も終わりましたし(笑)、登城するとしますか。 鏡宿中程にある解説板の脇にある空き地に立つと、大きな砂防ダムが見えます。 ここから星ヶ崎城に登って行きます。 砂防ダム手前には柵がありまして、これを乗り越えて入って行きます。 階段が整備されていましたが、昨日までの雨で草が濡れていまして、かなり滑りました。 |
![]() 柵を乗り越えて行きます。 |
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![]() 砂防ダム |
![]() 階段が整備されていました。 |
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![]() 真横から見る砂防ダム |
階段を登っていくと右手に真新しい砂防ダムがそびえています。 振り返ると国道8号線を見下ろすことができます。 |
![]() 国道8号線を見下ろす |
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![]() かつての八幡神社 |
解説板によれば、ここにはかつて八幡神社がありましたが、明治44年(1911年)に大笹原神社に合祀されたそうです。 しかし合祀された後も、地元出町の方によってお参りされているそうです。 ご神域は柵がされていました。 |
![]() 手水石? |
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![]() 出町の街並みを見下ろす |
ご神域の脇を通り抜け、お城を目指して登り始めます。 傾斜は結構急でして、息を切らせながら登っていきます(笑) |
![]() 登るよ〜 |
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![]() 濡れ落ち葉が一杯 |
昨日までの雨で濡れた落ち葉が一杯なので、滑らないように登っていきます。 | ![]() かなり傾斜が急なんですよ |
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![]() 案内板が整備されていました。 |
所々に案内板があるので、安心して登っていきます。 | ![]() 結構急なんですが、 雰囲気伝わるかな??? |
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![]() わかりやすくて助かります。 |
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![]() アンテナ発見! |
急な斜面を登り切った所で空が見えまして、アンテナが建てられていました。 ここには星ヶ崎城の物見台があったらしいと言われています。 が・・・鉄柱にかけられた看板を見てびっくり! 古墳の上にアンテナ建てちゃったのでしょうか??? |
![]() え?古墳の上に建ってるの? |
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![]() やや下ります。 |
物見台?跡からは少し下りになり、平坦な道が続きます。 | ![]() 案内板あり |
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![]() 土橋跡? |
少し低くなった所の道が細くなってまして、土橋の跡だと言われています。 堀切がはっきりしないので、ほんとにそうなのかは疑問ですが。 土橋跡?を過ぎると再び登りになりまして、尾根が見えてきました。 いよいよ星ヶ崎城に到着のようです。 |
![]() 道は再び登りに |
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![]() 星ヶ崎城説明板 |
北郭?の所に解説板が建てられていました。 | ![]() 星ヶ崎城地図 |
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![]() 主郭跡 |
主郭跡は結構広くて意外でした。 途中の登山道から主郭まで、下草や細木がきれいに刈られていて、とても歩きやすかったです。 立派な石碑も建てられていましたよ。 |
![]() 石碑 |
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![]() 城の北方 琵琶湖方面の眺め |
当たり前の話ですが、お城は眺めのいい場所に建てられています。 星ヶ崎城もかなり眺めがいい場所でして、琵琶湖や国道8号線(中山道)、観音寺山や湖東平野が一望出来ました。 |
![]() 城の東方の眺め 国道8号線と観音寺山が見えます |
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![]() 主郭西側の石垣 |
さて、星ヶ崎城の最大の見所は、主郭西側に残された石垣です。 | ![]() 結構整然と積まれています |
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![]() 現状でも高さはあります。 |
現状で高さは2mから3m。長さは30メートルほどでしょうか。 他にも何カ所か石材が散乱している箇所があるので、石垣のお城であったことは間違いないようです。 |
![]() 一部崩落した石垣 |
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![]() 引き気味に撮ってみる |
ただいつ頃作られた石垣なのかは分からないようです。 | ![]() 北西隅部? |
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![]() 東郭に点在する岩 |
主郭の東側には小さな曲輪があるのですが、そこには大きな岩が突き出ていました。 星ヶ崎城の石垣はここから切り出されたのかもしれません。 東郭からの眺めも良かったです。 |
![]() 東郭からの眺め |
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![]() 主郭東側の石垣 |
東郭から背後の主郭を見ると、そこにも石垣の跡を見つけることが出来ました。 西側に比べると崩落が進んでしまっています。 |
![]() 埋もれてしまった石垣 |
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![]() 南郭方面 |
南にも曲輪があって堀切もあるようなんですが、通り道で アオダイショウと遭遇! 蛇嫌いな私は、早々に退散いたしました(笑) 主郭の南西部には大きな窪みがありました。 かつての貯水池跡だろうと言われています。 手前の巨石が水くみ場の石ではないでしょうか? 籠城には水は欠かせませんからねえ・・・ 十分にお城を堪能したので下山することにしました。 |
![]() 主郭南西部にある窪み |
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![]() 近くのファミマから星ヶ崎城を見上げる |
時刻はお昼を過ぎていたので、国道8号線沿いにあるファミマでおにぎりを食べました。 星ヶ崎城が目の前に見えていました。 国道を行く車は、こんな所にお城があるなんて知らないんだろうなあ・・・(笑) お昼を済ませてちょっとだけ場所移動。 旧鏡宿の中程にある鏡神社に来てみました。 |
![]() 鏡神社 |
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![]() 源義経烏帽子かけの松 参拝した義経が、烏帽子をかけたと伝えられる松 明治6年に折れたんだって・・・ |
ここ鏡神社は、元服したばかりの源義経が参詣した場所だと伝えられています。 都から奥州を目指した義経は、旅の途中で烏帽子親もなく、一人で元服したそうです。 その昔、都を早朝出発した旅人は、ここ鏡宿を最初の宿泊地とすることが多かったそうです。 義経もそうだったんですね。 |
![]() 境内にあった散策マップ |
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![]() 鏡神社 |
鏡神社の祭神は 天日槍命 (あめのひぼこのみこと)です。 天日槍命は日本に渡ってきた新羅の王子だと言われています。 付近には須恵器を焼いた登り窯の跡地もあることから、鏡一帯は渡来文化と深い関わりがあったと思われます。 鏡が納められたので鏡神社というそうですよ〜 本殿は室町時代中期に建てられたもので、滋賀県に多い「前室付三間社本殿」なんだそうです。(国重要文化財) |
![]() 鏡神社 |
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![]() 宿場町の雰囲気を伝える建物 |
参拝も済んだので、鏡宿をぶらぶらと歩いてみることにしました。 鏡は平安末期から東山道(中山道の前身)の宿場町として栄えてきましたが、江戸時代に入って中山道六十九次が整備されたときに選に漏れ、「間の宿(あいのしゅく)」(宿場と宿場の間にある宿)になってしまいました。 |
![]() 本陣跡 |
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![]() 源義経も泊まったそうです。 平安時代の館「白木屋」跡 |
しかし本陣や脇本陣もあって、引き続き宿場町として栄えていたそうです。 鏡宿は紀州候の定宿 だったそうですよ。 |
![]() コチラは江戸時代の旅籠「枡屋」跡 |
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![]() 古びた土蔵 |
先にも書きましたが、京都〜鏡はおよそ35キロほどあり、京を早立ちすれば最初の宿泊地は鏡宿だったようです。 ちなみに手前の守山宿は26キロほどでした。 |
![]() 煙出しのある屋根 |
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![]() 真照寺 |
お寺を発見。 屋根瓦がものすごかったので、思わず写真を撮ってしまいました。 |
![]() 瓦がすごいことに |
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![]() 国道8号線 |
国道8号線となった今でも交通量は多いのです。 | ![]() 大津まで29キロ(7里) |
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![]() 道の駅から星ヶ崎城を見る |
道の駅で少し休憩しまして、次の目的地に移動します。 | ![]() 道の駅 「竜王かがみの里」 |
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れんとの歴史街道 つづく | |||
2011.11.13作成 | |||
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