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![]() 坂の上の雲 |
国道33号線を南下し続けまして、途中のコンビニで一休み。 一六タルトで買って来ていた 「坂の上の雲」 と、最近流行りの街カフェのコーヒーで一休みです。 「坂の上の雲」は伊予柑とミルクの餡のお菓子で美味しかったです。 おすすめですな。 国道33号線から440号線に入りました。以前来た時は林道のような細い道がうねうねと続いていましたが、今は改修工事も進んでいて、かなり快適になっていました。 |
![]() 中はこんな感じ |
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![]() 県境にて |
そんな訳で思っていたより早く、 四国カルスト に到着しました。 ここは愛媛県と高知県の境にあり、有名な秋吉台と同じ風景が広がっています。 なんか久しぶりにツーリングらしい風景ですねえ〜(爆笑) |
![]() 地形を利用して牛が放牧されていました。 カルスト地形は農業には適しませんからね(^^; |
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![]() ニョキニョキと石灰岩が顔を出してます。 |
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![]() 天空にも続きそうな道 |
この日はいい天気で、山々が広がっていました。 牛がのんびりと草を喰んでいました。 「いやいや、日頃の行いですな〜」 いい加減にカルストを堪能しましたので、地芳峠を越えて国道440号線を高知側に下りました。 途中で国道197号線と合流。そのまま197号線を走ります。 197号線は2車線の国道で、交通量も少なくて快走できました。 途中の道の駅「布施ヶ坂」で、ゆずシャーベットを食べました。かなり美味しかったですよ〜 気温が低かったので、かなり寒かったですが。(^^; そのまま国道197号線で山を下っていくと、須崎市で国道56号線に合流します。 |
![]() 高知県側の山々を望む |
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![]() この日はいい天気でした。 |
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![]() ゆずシャーベット |
合流した交差点のところに 「鍋焼きラーメン」 というでかい看板が上がってました。 ケータイでちょっと調べてみると、須崎市のB級グルメのようです。 B級グルメとあればほっとけませんね〜 地元の名店と言われているお店を何店か回ってみましたが、営業時間外ばかり。 しかし好奇心が抑えられないので、最初見かけた看板のお店(道の駅っぽい建物の二階)で食べていくことにしました。 注文してしばらく待つと、「鍋焼きラーメン」とご対面(^^)/ 土鍋のなかでグツグツと煮えて美味しそうです。 「いっただきまーす!」 さっそく食べてみます。 「うーん、まあ大騒ぎするほどの味ではないかな?」 (注:個人の感想です) 具はネギと生卵、ちくわと鶏肉(親鳥)といたってシンプル。 鶏がらの醤油味のだしに、少し固めの細麺が入っています。 鶏肉はあくまで「だし」のためのようで、かなり硬かったです。 なぜか箸休めにたくあん(酸味の強い)がついてました。 元は谷口食堂(昭和55年に閉店したらしい)で出されていたラーメンだそうで、 今は須崎市内の各店で食べることができるようです。 「ま、寒くて体冷えてたからいいか〜」 再びバイクにまたがって走り出しました。 高速道路に乗ろうかとも思いましたが、下道でひたすら走ります。 国道56号線は、記憶と違ってかなり道が良くなっていてびっくりしました。 国道56号線はやがて国道32号線と合流。 国道32号線と55号線の分岐を東に走ってすぐ左側にあるビジネスホテルに投宿しました。 |
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![]() 鍋焼きラーメン |
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![]() ちょっとわかりにくい場所にありました(^^; 「志ら菊」の看板が見えます。 |
ビジネスホテルは設備は少々古かったですが、とてもいいホテルで朝ごはんも美味しかったです。アールビジネスホテルというホテルでした。 朝ごはんを済ませて再び出発。 国道55号線を東に向かいます。 芸西村和食というところにある 仙頭酒造を訪ねました。 仙頭酒造は明治36年創業の蔵で、 「しらぎく」 という日本酒を醸しています。 |
![]() 蔵の入口にはこんな看板が (ホーロー製?) |
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![]() 立派な建物です。 |
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![]() 特徴的な高知の蔵 |
高知県でよく見かけたのが水切り瓦をつけた蔵です。 雨の多い土地柄のせいか、雨対策を特にしっかりしたようです。 他の地方には見られない蔵で、独特の景観でした。 高知に来たら、ぜひ見てくださいね。 |
![]() 煙突と飛行機雲 |
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![]() 安芸土居前の堀 |
国道55号線をさらに東に走り、阪神タイガースのキャンプで有名な安芸市にやって来ました。 安芸川沿いの県道29号線を北上していくと、左手に安芸土居が見えて来ました。 |
![]() 大手門 |
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![]() 小さいながらも石垣造りの枡形が |
安芸城は1308年頃に安芸親氏によって築かれたとされています。 その後安芸氏の本拠地となりました。 安芸氏は安芸川の水運を押さえて発展し、土佐七雄の一人となります。 その後、西隣の香宗我部氏を破り、安芸国虎の代には土佐中村の一条氏と縁戚となって全盛期を迎えます。 しかし土佐中部に起こった長宗我部氏と対立し、一時は長宗我部家の居城岡豊城に迫りますが、形勢逆転。 安芸城は長宗我部勢に包囲されます。 攻城戦は24日に及び、兵糧が尽きたところで家臣の横山民部が城の井戸に毒を投げ入れて長宗我部勢を手引きします。 国虎は城兵の助命と引き換えに城を出て菩提寺で自刃したそうです。 その後の安芸城には長宗我部元親の弟である香宗我部親泰が城主となり、 阿波攻めに活躍しました。 関ヶ原の合戦では元親の子盛親が西軍についてしまい、改易されてしまいます。 その後、土佐には山内一豊が入りますが、長宗我部の遺臣がこれを受け入れられるはずもなく、土佐国内は不穏な空気に包まれます。 これに対し、一豊は領内の要所に城を築いて重臣を配置。領国支配の拠点としました。 安芸城には五藤為重が1100石で入り、城主となりました。 五藤為重の兄為浄(ためきよ)は1573年の朝倉家との刀禰坂の合戦で、一豊の頬に刺さった矢を抜いたことで有名です。 為浄は賤ヶ岳合戦の前哨戦の伊勢亀山城攻めで戦死したため、弟の為重が跡を継いで山内家の重臣となりました。 |
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![]() 解説板 |
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![]() ローマの休日をもじった宣伝用のぼり |
その後、元和の一国一城令を受けて安芸城は 「安芸土居」 と名称を変えますが、右の絵図でもわかるとおり、内実は立派なお城でした(笑) 規模的には日田城くらいでしょうか? 五藤家はそのまま明治維新までこの地を治めました。 安芸土居内には現在歴史民俗博物館と書道美術館があります。 歴史民俗博物館には、一豊から抜いたと言われる矢尻が、五藤家の家宝として所蔵されています。 |
![]() 博物館内にあった安芸土居の絵図面 |
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![]() 解説板 |
安芸城は北と東を流れる安芸川を外堀とし、標高60mの小山上に築かれました。 小山の南面には古くから館が築かれていたようですが、五藤氏時代にも居館や馬場が置かれました。 五藤氏は他に石垣造りの枡形や土塁・堀を整備。 安芸土居は現在の姿になりました。 |
![]() 小山南面には石垣が (館を拡張するために山を削り取った跡) |
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![]() 登城道 |
博物館を見学した後、城山に登りはじめました。 少し登ったところに江戸後期の絵図面に「丸山」と書かれている場所がありました。 こんもりと土が盛り上がっていますが、絵図面には建物は描かれていません。 安芸氏時代の曲輪跡でしょうか? |
![]() 丸山 |
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![]() 南二壇目 |
さらに少し登ると絵図面に「南二壇目」と書かれた曲輪に到着します。 ここもさほど広くありません。「上壇」と書かれた本丸南面の馬出的な役割を果たしていたのでしょうか? 絵図面では、ここから本丸東側に沿って帯曲輪状の通路が描かれていますが、この時は見つけられませんでした。 |
![]() さらに登ります。 |
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![]() 上壇(本丸) |
山道を登りきった場所に広場がありました。絵図面によると「上壇」と呼ばれた本丸跡のようです。 南北20間(36m)東西13間余(24m)ありました。 |
![]() 上壇北側にある段差 |
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![]() 安芸土居絵図 |
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![]() 北三壇目 |
上壇の北はしには段差があり、一段低くなったところが北二壇目です。 ここは絵図面では南北12間(22m)と記載があり、さらに北側に北三壇目があって南北19間(34m)あったようです。 |
![]() 北二壇目から上壇を見る。 左手に土塁らしき盛り上がりあり。 |
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![]() 毒井戸跡 |
山から降りてきました。 山下の書道美術館脇に井戸の跡がありました。 解説板によれば、長宗我部氏による城攻めの際、寝返った横山某が毒を入れた井戸なんだそうです。 |
![]() 解説板 |
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![]() 藤崎神社 |
書道博物館の奥、絵図面では脇壇と描かれている場所に、藤崎神社がありました。 解説板によれば、五藤氏の先祖を祭っているそうです。 先にも書きましたが、山内一豊の頬に刺さった矢を抜く際、五藤為浄は許しを得てわらじを履いたまま主君の顔を踏みつけて抜いたそうで、その時のわらじが神社の御神体なんだそうです。 余談ですが、安芸土居は現在も五藤家の所有なんです。すごいですね〜 |
![]() 解説板 |
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![]() 花が咲いていました。 |
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![]() 城の東側 |
城の東側、馬場のあったあたりに土塁が残っています。土塁の内側に石垣が築かれていました。土留めでしょうか? 城の東側から城を見てみました。 中央の小山が安芸城です。 |
![]() 少し離れたところから安芸城を見る |
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![]() 安芸土居周辺の武家屋敷 |
安芸土居の周辺には武家屋敷が残っていて、風情があります。 安芸土居周辺には家臣の武家屋敷が構えられましたが、町人街は土居から900mほど南の本町(土佐くろしお鉄道安芸駅南側)に造られました。 このため城下に町人地がない珍しい城下町となったのです。 |
![]() 風情のある町並みが残ります。 |
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![]() 武家屋敷をくるくる回ったら、 お城に戻ってきてしまいました(笑) |
安芸には有名な野良時計があります。 これは安芸の大地主畠中源馬が明治20年ごろに自宅に作った自作の時計です。 源馬はアメリカから八角掛時計を取り寄せて分解・組立を繰り返して仕組みを調べ、パーツを一つ一つ自作してこの時計台を作ったそうです。 ものすごい人がいたもんですねえ・・・ 安芸には他に岩崎弥太郎(三菱財閥の祖)の生家もあり、見所たくさんです。 |
![]() 野良時計 |
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![]() ![]() ![]() 山内家の家紋「土佐柏」 岩崎家の家紋「三階菱」 二つ合わせると・・・ 三菱のマークに(笑) スリーダイヤの由来でした。 |
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四国一周の旅 つづく | |||
2013.2.11作成 | |||
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