小山城
 翌朝も早起きです。
 ホテルの朝食を平らげて、8:00には出発しました。
 向かった先はホテルからもほど近い
小山城
昨日のうちに目をつけていました(笑)
 小高い丘の上に犬山城もどきが建っているのが印象的なお城です。
 今川氏によって築かれた砦があった場所に、武田氏が1571年(元亀2年)が築城しました。縄張りは馬場信春と伝わります。
 城将は大熊朝秀です。
 今川領を徳川家と分割する際、大井川東岸(駿河)は武田領、西岸(遠江)は徳川領との密約があったのですが、武田は大井川西岸に進出。
 諏訪原城とともに、大井川西岸の防衛ラインを形成したのです。。
 高天神城攻略の拠点となり、高天神城が武田家のものとなってからは、その補給路となりました。
 1582年(天正10年)、織田信長の甲州攻めに呼応した徳川家康に攻められて落城。そのまま廃城となりました。
 台地の先端を利用した縄張りで、戦闘正面に三重堀を持つのが特徴です。
他にも武田家の城らしい三日月型の馬出もあります。
 

ルートは二つ
 城跡の麓には能満寺がありまして、城跡も現在は能満寺公園と呼ばれています。
 お寺の前には結構広い駐車場があり、車で来ても大丈夫です。
 バイクを駐車場に置いて石段を登り始めました。

漢なら石段でしょう(笑)

案内板
 石段を登りきったところにお堂がありまして、それを回り込むように歩いていくと城跡に到着します。
 城跡は発掘整備が進んでまして、空堀がありました。

空堀が発掘・整備されています。

武田氏流の三日月堀と馬出
 空堀の前には、武田流の三日月堀を持つ馬出がありました。
 その先は三の丸だったと言われている場所で、物見台があったと言われているところには、現在は郷土資料館を兼ねた模擬天守があります。
 模擬天守はたくさんありますが、なぜかみんな犬山城風なのはなんででしょうか?(^^

歴史資料館と展望台を兼ねた模擬天守
よりによって休館日でした(^^;
入場料は200円

本丸から焼津方面を見る
 城からは大井川流域と焼津方面を一望することができます。
 かなりの好立地ですね。
 城の戦闘正面にある三重堀は圧巻でした。

三重堀

木が茂って見にくいですが、三重堀です。
 小山城の三方は切り立った崖で、尾根続きの西からしか攻めることができませんでした。
 そこに三重堀が立ちふさがる訳で、小山城がなかなか落なかった理由がわかります。

それぞれかなりの深さがあります。

勘助井戸
 城跡には山本勘助が掘ったと言い伝えのある井戸がありました。
 三重堀外側には模擬大手門として冠木門が建てられていました。

小山城と諏訪原城位置関係
小山城が台地の先端に築かれているのがよく分かります。

磯自慢酒造
 小山城を後にして、国道150号線県道416号線を走って焼津市内にやって来ました。
 ここには私の大好きな
「磯自慢」
というお酒を醸している
磯自慢酒造があります。
 海にほど近い川の近くに磯自慢酒造がありました。
 結構小さな建物でしたよ。
 

橋の上から写真撮る

杉井酒造
 HPをみると、磯自慢酒造は創業天保元年(1830年)です。
11代将軍家斉の頃ですな。杜氏さんは南部杜氏です。
 それはさておき、酒蔵に着いたのはいいのですが、
朝早すぎてまだ開いてませんでした(笑)
 近所を散歩して時間を潰していました。近くのスーパーで座っていると、
「バイクの方ですか?」
と女性に声をかけられました。
 磯自慢のお店の方で、お店の駐車場にバイクが停まっていたので、ライダー風の人を探してくれていたようです。
 「お待たせしてすいませんね〜」と言って、早めにお店を開けていただきました。
勝手に早く来ただけなのにすいませんでした(^^;
 自分用と、同じく磯自慢ファンの友達にお土産を購入しました。
 焼津からは県道222号線を西に走ります。
 途中、藤枝の杉井酒造に立ち寄りまして、
「杉錦」
を買っちゃいました(^^;
杉錦は美味しいのでファンなんです。
 杉井酒造の創業は天保13年(1842年)です。12代将軍家慶の頃ですな。
最近多くなってきた杜氏さんのいない蔵で、社長さん自ら造りの指揮をとっているそうです。
 杉井酒造は山廃に力入れてるイメージがあります。
 静岡県は酒造りに熱心な県でして、静岡酵母という県独自の酵母を使っての酒造りをやってたりします。
 いい蔵も多いですな。

松並木が素敵です。

菊久酔の青島酒造
 松並木の続く県道222号線を走っていると、またも酒蔵を発見しました。
 菊久酔(きくよい)の青島酒造でした。
 創業明治元年(1868年)
 この辺りは東海道があったので、酒蔵がたくさんありますね〜
 

蔵の壁がボロボロでした。

旧東海道の松並木
 県道222号線はやがて国道1号線に合流。
 国道1号線は島田市内で右に折れます。
国道は行かず、直進すると県道381号線
 県道はやがて大井川にぶつかります。
 大井川橋を渡らず、堤防上の道へと左折すると、島田市立博物館が見えてきます。
 この辺りが東海道の23番目の宿場町、
島田宿の跡になります。

島田宿の看板
 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
 と謳われた大井川。
 その大井川の川べりにあるのが島田宿です。

なんとなく風情が残ってます。

島田大堤
 大井川には軍事上の理由から橋が架けられていなかったため、人々は川越人夫に負われての大井川越えを余儀なくされました。
 川が増水すると川止めが行われ、旅人は島田宿に滞留したので、島田宿はそれは繁盛したそうです。

国指定遺跡 川会所の建物

川会所の中
 川会所は、川越事務を司った役所のことです。
 今の建物は1856年のもので、何回かの移転の末、元々あった場所近くに戻されました。
 中は川越えに関する資料が展示されています。

川越えの料金
水位によって料金が違います。
股下は48文(1440円)
脇下までだと94文(2820円)
かかったそうです。

連台
(高級なもの)
 お金がある人は
連台と呼ばれる輿に乗って川を越えました。
 一人乗りだと川越え料金6人分の値段だったそうです。
(人足4人と連台の使用料)

連台
(普通のもの)

島田宿の風景
 島田宿ではかつての建物が残されていて、風情がありました。
 内部を見学できる建物もあります。

中を見学できる建物も

宿場から川方面を見る。
今は堤防があるので川は見えません
 宿場の端には市立博物館があるのですが、大井川の川越え関係や、島田宿の展示が充実していておすすめです。
かつての堤防跡。
川が増水すると板を差し込んだそうで、
その溝が残っています。

朝顔の松
 かつては宿場町の外れが大井川の河原でしたが、今は堤防があるので川を直接見ることはできません。
 堤防からみた大井川は、石ころの多い河原でした。
 島田宿を堪能したので、大井川を再び越えて遠江へと戻ります。
遠州・駿州城巡り つづく
2013.4.29作成
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