宮崎カーフェリー船上にて
 宮崎カーフェリーから会員さまにということで、
運賃50%オフのクーポン券
が送られてきました。
 お得なクーポン券でして、毎年利用しているのですが、今回は車で利用することにしました。
 洋上は天候が悪くて少し揺れまして、相方さんが軽い船酔いに・・・
 手のひらの船酔いのツボを、高橋名人並に連射して事なきを得ました。(笑)

雨です・・・

雨です。
 八時半の定刻に、宮崎港に接岸。
宮崎市内もあいにくの雨模様でした。
 こんな時は車が楽ちんですよね〜
 宮崎市内から国道10号線を走りまして、そのまま国道268号線を走ります。
 途中のローソンでトイレ休憩。
 コーヒーと変なポテチを買いました。
 

コンビニで買った変なポテチ

人吉ループ橋
 えびの市からは国道221号線を北上。
 宮崎県にあっさりと別れを告げ、熊本県内に入ります。(宮崎県側で取り締まりやってました)
 久しぶりに人吉ループ橋を走りました。車で走ってもなかなか楽しいですね。
 熊本県内は、雨は降ってませんでした。

迫真の写真?!
(撮影:相方)

人吉市内のうなぎ屋さん
(うえむらうなぎ店)
 昼食時間より少し早めに人吉市街に到着。
 人吉城内をつっきり、うなぎ屋さんへと向かいます。
 久しぶりにおいしくいただきました。

骨せんべい

白焼き


しめ
 うなぎをお腹いっぱい堪能しまして、人吉を出発。
 国道219号線を郊外へと向かいます。
 車窓からは名高い球磨川の急流が見えます。

球磨川

球磨川の流れ
 国道にある駐車スペースに車を停めて、河原まで降りてみました。
 近くでみるとかなり流れが速いことが分かります。
 目の前を川下りの舟やゴムボートが次々と下っていきました。

急流下り

けっこう激しいです。

佐敷を走る薩摩街道
 途中で国道を離れ、県道27号線へ。
 熊本県は芦北町佐敷までやって来ました。
 この町は薩摩街道・相良往還が分岐し、八代海に面した港を持つ交通の要衝でした。
 古くは南北朝時代に佐敷氏が本拠を置いていましたが、戦国時代に入って八代の名和氏と人吉の相良氏が争い、結局薩摩から勢力を伸ばした島津氏が佐敷を含む芦北地方を支配しました。
 

佐敷城入り口

二の丸石垣
石垣隅部が丁寧に破壊されており、破却を受けたことが分かります。
 豊臣秀吉の九州制圧の後、佐敷を含む芦北の地は熊本城に入った加藤清正の飛び地領となりました。
 加藤清正は石垣造りの佐敷城を築き、芦北支配の拠点としました。
 その後、城代となった加藤重次が文禄の役で不在となった隙に、島津歳久の家臣梅北国兼が佐敷城を占領する事件が起こります。(梅北一揆)
 城は加藤側が奪還に成功し、国兼は討たれ、その妻は肥前名護屋で火あぶりとなりましたが、佐敷城は肥後・薩摩国境の城として、その後も緊迫した空気の中にありました。

二の丸搦め手側の門跡
石垣はかなりの高さがあったようです。

搦め手側から登ると食い違い虎口があります。
ここから桐紋の鬼瓦が出土しています。
 佐敷城はその後も改修が続けられますが、果たして関ヶ原合戦の際、芦北は八代の小西氏、薩摩の島津氏という西軍勢力の中に孤立し、島津忠長の軍勢に包囲されます。
 攻城戦は一ヶ月に及びますが、関ヶ原本戦の敗北を知った島津軍が引き上げたため、落城を免れています。

ルートは右に折れ、さらに左に折れます。

八代海を見下ろす絶妙な場所に佐敷城は築かれました。
(城から八代海を望む)
 緊張地帯に置かれた佐敷城ではありましたが、元和の一国一城令のため1615年に城は廃城となりました。
 天草・島原の乱後の1638年、城の再利用を防ぐため、再度の破城(城の破壊)が行われています。
 昭和54年に石垣の一部が発見され、平成5年から13年にかけて発掘調査が行われ、城の様子が明らかになりました。
 肥後国絵図に描かれた三重天守を再現する話もあったようですが、礎石等が発掘されなかったため、石垣を復元するにとどめることになったようです。

二の丸から本丸への入り口
(搦め手側)

絵図に描かれた佐敷城

本丸への入り口も食い違いとなっています。
 城は、北東西を佐敷川に囲まれた城山山頂に築かれており、東に走る薩摩街道、西の八代海を見下ろす場所にあります。
 やはり城はいいポジションに建ってますよねえ〜

本丸中ほどに露出している石垣

本丸から本丸大手門跡を見下ろす
 お城はかなりコンパクトにまとめられています。
 少ない人数で守ることを想定していたのでしょうか?

本丸大手門跡を二の丸から見る

二の丸から薩摩街道を見下ろす
 大手門側は大きく作られていますが、搦め手側は大人一人通る幅くらいしかありません。
 石垣造りのお城で、ここまで小さい門はあまり記憶にないです。

二の丸大手門跡
ここから「天下泰平」と書かれた瓦が出土しています。

二の丸虎口を見る。
礎石があるのがわかります。
 破却されているため、余り石垣の高さはありません。
 本丸の中心には東西に走る通路があり、通路の中程に本丸に上がる石段が設けられています。
 本丸にはかつてどんな建物が建っていたのでしょうか?

二の丸大手門外
二の丸の石垣を見上げる

二の丸大手門外から、二の丸と本丸の石垣を見上げる。
 熊本城と同じ黒っぽい石を積み上げた石垣は見事です。
 領内の支城にこれほどの石垣を持った例はあまりないのではないでしょうか?

三の丸大手門外
この上には長屋門が建っていたのでしょうか?

三の丸にわずかに残る石垣
 この日はお城で観月会が開かれるとかで、地元の方たちがイベントの準備をしていました。
 幔幕とか張っていたので、ちょっとお城が見にくかったのが残念です(^^;
 お城へは芦北郵便局などがある東側からも登れますが、佐敷中学校の交差点から山の中腹まで車で登れる道があります。
 城のすぐ下に駐車場があるので、こちらを利用するのが便利だと思います。

二の丸から舌状に突きだした石垣跡

西側から二の丸に上がる石段

登城口にあった看板から

佐敷城立地図
三方を川に囲まれ、薩摩街道を見下ろす位置にあるのがよく分かります。

亀萬酒造
国道3号線沿いにあるので、すぐ分かります。
国道を挟んで反対側でお酒を販売しています。
 芦北町から国道3号線を南下。
 津奈木町に、亀萬酒造という日本最南端の日本酒蔵があるとの情報(syunさんいつもありがとうございます)を聞いていたので、寄ってみることにしました。
 (沖縄でも日本酒を造っているところはあるらしいのですが、そちらは空調の力を借りているとのことで、天然醸造ってことになると、最南端ってことになるらしいです。)
 結構強気な値段設定でしたが、ものは試しとばかりに300mlの純米吟醸酒を買ってみました。
 その日の宿で飲んでみたのですが・・・
 ちょっと私の口には合わないかな?(^^;
 ゼリーは非常においしかったのですが・・・

純米吟醸酒「萬坊」

酒ゼリー

八代海を左に見ながら北上
 津奈木町から国道3号線を、左に八代海を見ながら北上します。
 ひたすら下道を走りまして、八代工業高校の角を左折。
県道42号線に合流し、植柳橋を渡ります。
どこに向かっているのかって?
それはですね・・・

麦島城天守台跡
(中央右の盛り上がりがそうです)
 麦島城跡です。
 麦島城は1588年に小西行長によって築かれました。
 小西行長は肥後半国(宇土・益城・八代・天草)で20万石余を与えられ、宇土城を築いて本拠地としました。
 それとは別に、南に球磨川を控え、北に徳淵之津(豊臣秀吉の直轄港と伝わる)を持つ水上交通の要衝、ここ麦島の地に城を築きました。
 先ほども書いた梅北一揆の際、麦島城も攻撃を受けていますが、これを退けています。
 関ヶ原合戦時、麦島城は加藤清正の軍勢の攻撃を受けます。
城代はよく守り、城はなかなか落ちませんでしたが、関ヶ原本戦で小西行長が敗北したため開城しました。
 その後、小西行長の旧領は加藤清正に与えられて麦島城は加藤清正の持城となります。一国一城令の際も存続を許されましたが、思わぬ事態が発生します。

天守台跡前にある解説板
 1619年に発生した地震で麦島城は倒壊しました。
 城の建物が石垣ごと崩れ落ちるという大被害だったようです。
(倒壊した櫓の部材が、組み上げられた状態で発掘されています。)
 このため、加藤清正は徳淵之津の北側に新城を建設します。
これが今に残る八代城です。
 廃城となった麦島城からは石材などが八代城に転用され、城跡はやがて埋もれていきます。高度成長期に宅地化が進んだため、現在は微妙な土地の高低にかつての城跡を偲ぶほかない状態となっています。

八代市シルバー人材センター
ここに出土した麦島城の石垣が展示されているそうです。
(平日のみの展示なんだそうで・・・)

八代城と麦島城の位置関係

トマトぴーえん
 この日は3連休初日で熊本市内に空室なし。
 八代市で泊まることにしました。
 

太平燕

トマト餃子
 熊本といえば太平燕(たいぴーえん)が有名。
 要は春雨スープなんですが、せっかく熊本まで来たので食べていくことに。
 「王張」というお店で食べることにしました。
で、メニューを見ていると「トマトぴーえん」なるものを発見。
なんでも八代市はトマトの名産地なんだとか。
トマトぴーえんも注文しました。
 食べてみた感想なんですが、パスタの代わりに春雨が入った
イタリアンっぽい味
でした。意外とありなんじゃないかな?(笑)
 あと、トマト餃子も食べてみました。
トマト入ると餃子ってあっさりするんですね〜
こちらも意外とありなのかも。

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