この番組結構好きです。
 翌朝は松江城へと向かいます。
 松江城は1600年の関が原合戦の後、出雲・隠岐24万石を与えられた堀尾忠氏が築いたお城です。
 忠氏は当初月山富田城に入ったのですが、山城なのでこちらに居城を移したのです。
 1611年に城は完成しますが、堀尾氏は三代で無嗣断絶(跡継ぎがいないこと)
 後には京極忠高が入ります。
 京極家は出雲に縁がありまして、室町時代は出雲の守護でした。
 有名な尼子氏は、京極家の出雲守護代(守護の代わりに現地で政治をおこなう)から発展したお家なんですよ。
 京極家は一代で無嗣改易。忠高の甥が跡を継ぎ、竜野、丸亀と移っていきます。
 京極家の後には松平直政(徳川家康の次男結城(松平)秀康の三男)が18万6千石で入りまして、幕末まで続きます。

大手門前から二の丸と堀を見る

県庁が建っているのが旧三の丸です。

堀尾吉晴像
 前に来たときはなかったと思う、堀尾吉晴の銅像がありました。
 逆光で、ちょっと撮りにくいです・・・

松江城地図

大手門跡
 大手門の前には勢溜まりがありました。
 城外へ出撃する兵が整列する場所です。
 勢溜まりを二の丸上の段にある中櫓と太鼓櫓が見下ろしています。

大手門礎石
石垣の上には太鼓櫓(復元)が

なんじゃもんじゃの花
 松江城には珍しいなんじゃもんじゃの木がありまして、花を咲かせていました。
二の丸上の段への石段
太鼓櫓が睨みを利かせています。

二の丸下の段
 二の丸下の段には、かつて蔵が並んでいたそうです。
 石垣には堀尾家の別紋である分銅の刻印が残っていました。

石垣に残る刻印

二の丸上の段から天守を見る
 松江城では最近復元工事が盛んで、平成6年に二の丸と三の丸を結ぶ廊下橋と北総門橋が、平成12年から13年にかけて二の丸上の段にある太鼓櫓、中櫓、南櫓と土塀が復元されています。
太鼓櫓から勢溜まりを見下ろす。

中櫓
 二の丸上の段には御殿があり、松平家の二代目藩主松平綱隆までは藩主が住んでいました。
 その後、藩主は新設された三の丸(現県庁)に移りました。

中櫓内部

南櫓
 二の丸上の段南側にある南櫓です。
 城下を見下ろす櫓で、城下から見られることを意識しているせいか二重二階のつくりになっています。

南櫓内部

南櫓から城下を見る
 松江城は天守が奥にあるせいか、なかなか見通せないため、城下からはこの南櫓が良く見えたことでしょう。
二の丸井戸

天守
 二の丸にある東照宮へのお参りも済んだので、いよいよ本丸に向かいます。
本丸南面の石垣

本丸一の門

松江城天守
よくみるアングルです。
 松江城の天守は下見板張りの重厚感あふれる天守で、いわゆる豊臣系の黒の城です。
 外観四重内部五階で地下に穴倉があり、付け櫓が付属しています。

もう少し寄ってみました。

付け櫓にある矢狭間と鉄砲狭間
 天守へは付け櫓にある入り口から入ります。入り口上部には狭間があり、寄せる敵を頭上から攻撃できるようになっています。
付け櫓の内部にも狭間があります。

天守入り口側面にも狭間が
 付け櫓に入ると、石段を登って正面に天守入り口があるのですが、その入り口の正面と側面にも狭間が開いていて、付け櫓内部に侵入した敵を攻撃できるようになっています。
地下にある井戸

地下の天守土台
 天守最上階からは城下と宍道湖を見ることができます。
 さわやかな風が吹き抜けていました。

最上階から宍道湖を見る。

本丸西側にある鉄砲櫓跡
 かつては本丸のほぼ全周囲が多門櫓で守られており、非常に高い守備力を誇っていました。
天守西側面

乾隅櫓跡
 本丸を北に抜けていきます。
 本丸西北隅には櫓があり、その脇には北の門がありました。

本丸北側石垣
 本丸北側の珍しい構図です。
 本丸北側から東側にかけてはこ腰郭が本丸を取り囲んでいました。

帯郭への虎口

虎口全景
 腰郭を二の丸下の段まで降りてくると、馬洗池があります。馬を洗った故事からその名がついたようです。
 篭城時の生活用水用のものでしょう。

馬洗池

ぎりぎり門跡
 深く掘った井戸がぎりぎり(頭のつむじ)に似ていたことから、ぎりぎり井戸、ぎりぎり門という名前がついたようです。
本丸腰郭北側の石垣

本丸帯腰郭北側の石垣
 松江城の本丸北側には深い堀切がありまして、その北側には北の丸があります。
本丸北側には堀切があります。

堀切の北側には北の丸
 松江城は石垣が段々に築かれた東側から南側に対し、北側から西側に対しては防備が薄く、特に本丸西側はむき出しになっています。
 このため、松江城は未完成の城という説があります。
 しかし本丸と堀切をはさんで向かいあう北の丸は、本丸に近い面積があり、その位置も本丸西側に寄せる攻め手に対し、側面から攻撃できる場所にあります。
 意外に完成された城ということが出来るかもしれません。

現在、北の丸には松江護国神社があります。
 北の丸北側にも切り通しがあり、切り通しをはさんで城山稲荷神社のある高台があります。
北の丸北側の切りとおし

北の丸北側石垣
 搦め手から侵入する攻め手に対して北の丸と連携して挟撃できる位置に稲荷社があるのは偶然ではないでしょう。
搦め手門跡から城山稲荷神社を見上げる

城山稲荷神社と北の丸の位置関係
 松江城の北側は山続きであったところを掘り下げて堀としたところで、かつての尾根続きを、稲荷社のある場所が睨みを利かせています。
城山稲荷神社はこの上にあります。
二の丸下の段北側にの石垣  城山稲荷神社から二の丸にかけては切立った崖が続き、途切れた場所には高い土塁が築かれています。 
二の丸と北の丸にある谷をふさぐ土塁

二の丸北側の通路
奥に見えるのは北の丸
 防御が手薄そうに見える松江城北側も、実は手ごわいですよ〜というお話でした。
北の惣門跡

松江城北側の堀
 松江城北側は、お堀めぐりの遊覧船の通る道になっています。
 乗船したらぜひ松江城北側の地形を観察してみてください。

北の惣門橋

松江城

南櫓、中櫓、後ろに小さく天守が見えます。
 松江城の大手門前には、島根のお土産がそろう島根ふるさと館があります。
 そこでお土産を買いまして、ようやく松江を離れることになりました。 
 右は自分用に買ったお土産です。
 松平家7代藩主の松平治郷が茶人として有名でして、その影響で松江は和菓子が有名です。
 私は「薄小倉」というお菓子が大好きなんです。
 一度ご賞味ください。

島根お土産
お菓子詰め合わせ
走れ!れんと山陰へ 続く
2014.8.31作成
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