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![]() 徳島市 |
6月、梅雨の合間を縫ってお出かけでございます。相方さんが訪れたことがないという、高知県を目指して出発です。 早朝5:30発の徳島行きフェリーに乗り込みました。 が、前日の低気圧通過のため、海上が微妙にうねっておりまして、相方さんがあっさりと沈没・・・ 心配しつつ、徳島港に上陸いたしました。国道55号線を南下。途中で県道24号線に入り、国道195号線を走ります。 |
![]() 那賀川の風景 |
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![]() 国道195号線 |
高速を避けて徳島から高知を目指すとなると、このルートが一番早いと思います。 | ![]() 国道195号線 |
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![]() 長安口ダムあたり? |
長安口貯水池で、国道193号線との重複区間に入ります。 | ![]() ダム湖を渡ります。 |
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![]() 那賀川の風景 |
大殿というあたりで再び国道193号線と分かれます。 那賀川の渓谷美を楽しみながら走り続けます。 相方さんは船酔いの影響もあって、ちょっと調子が悪そうです・・・ |
![]() 山の中腹に集落があります。 |
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![]() 那賀川の渓谷 |
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![]() ようやく高知県に入りました。 |
有名な剣山スーパー林道入り口を通過し、ようやく高知県に入りました。 この国道195号線はあじさいの花がきれいだと地図にありましたが、ちょうど見頃を迎えていて、とてもきれいでした。 |
![]() あじさいが見頃 |
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![]() すごい橋ですね |
国道195号線とはお別れし、県道31号線を南に走ります。 気持ちいい田園風景の中を走り、高知龍馬空港の下をくぐります。 |
![]() 時折車を駐めてはあじさい見物 |
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![]() やや?これはもしや? |
と、稲の緑が美しい田んぼの真ん中に、ツタなどに覆われたコンクリートの物体発見! | ![]() どう見ても掩体壕ですね。 |
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![]() 田んぼの真ん中にぽつんと残っています・・・ |
帰宅してから調べてみますと、やはり掩体壕でした。 掩体壕というのはですね、敵の空襲から航空機を守るために造られたもので、格納庫兼シェルターといったところでしょうか。 実は高知龍馬空港の前身は旧日本海軍高知航空隊の基地でして、ここから特別攻撃隊も出撃しています。 この掩体壕はそのときのもので、現在7基残っているそうです。 |
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![]() 桂浜への分岐点 |
さて、県道31号線は14号線にぶつかります。ここで右折。 ひたすら14号線を走ると浦戸大橋を渡ります。 橋を渡って左にカーブしていくと、桂浜への分岐点。ここを左折します。 道なりに走って行くと有料駐車場に着きますので、ここに車をおいて桂浜を目指します。 |
![]() リョーマの休日ののぼり |
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![]() お久しぶりですリョーマさん |
桂浜にやって来るのは2回目かな? 前回は坂本龍馬像の前に足場が組まれて上から見ることができましたっけ。 今回は下から見上げます。 それにしても梅雨時期には珍しい晴天。 日頃の行いの勝利です。 |
![]() 太平洋は大きいなあ |
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![]() 足摺方面を見る |
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![]() 松と海 |
桂浜を後にしまして高知市街へと向かいます。 県道34号線を走ると路面電車がやってきました。 土佐電鉄の車両です。 車両の横には土佐の偉人、板垣退助が描かれていました。 登別の熊牧場のCMを思い出してちょっと笑ってしまいました。 |
![]() 路面電車 |
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![]() ちょっと登別を思い出しました。 |
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![]() 高知城大手門と天守 |
さて、高知と言えばやはり高知城は外せないでしょう。 土佐国主山内家の居城でございます。 土佐はもともと長宗我部家の領国でしたが、長宗我部盛親は関ヶ原合戦で西軍についてしまい、領国没収。 遠江掛川から山内一豊が土佐一国9万8千石を得て入国しました。 |
![]() 大手門南側の堀 |
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![]() 大手門北側の堀 |
一豊ははじめ浦戸城に入りますが狭隘のため、高知城を築いて居城としました。 長宗我部の勢力が根強い地のため、入国当時はかなり強引な手段で抵抗勢力を排除しています。 のち、検地をやり直しまして土佐一国20万2600石が表高となり、その領主として幕末まで続きました。 幕末期は山内容堂、後藤象二郎、武市半平太、坂本龍馬などの人材を輩出し、薩摩・長州藩とともに日本をリードしました。 |
![]() 大手門脇土塀 |
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![]() 大手門石垣 |
高知城は海抜44m余りの大高坂山に築かれた平山城です。 南北朝時代には城があったようですが、近世のお城としては、長宗我部元親が築城して岡豊城から移ったのが始まりです。 土佐に入国した山内一豊が築城をすすめ、二代忠義の時代に完成を見ました。 |
![]() 大手門門内 |
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![]() 大手門内から本丸を見上げる |
大手門をくぐると、馬場や厩のあった曲輪に入ります。 そこから石段を登ると杉の段と呼ばれる曲輪になります。 杉の段には、かつて鬱蒼とした杉が茂っていたそうで、名前の由来になりました。 長崎で購入したものを収めた長崎蔵などがあったそうです。 三の丸の腰曲輪としての機能がありました。 |
![]() 雨樋 雨の多い高知で、雨水が石垣を崩落させることがないよう、石垣から離れた位置で排水していたそうです。 |
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![]() 馬とお千代さん |
杉の段には、賢婦人の呼び声高い、山内一豊の奥さんの銅像があります。 夫のためにへそくりで名馬を買いまして、その馬に乗った一豊が馬揃えで織田信長の目にとまり、出世の糸口をつかんだ、という有名なお話です。 |
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![]() 三の丸の石垣 |
杉の段の上には三の丸があります。 三の丸に向かう前に、アイスクリンを買いました。 |
![]() 杉の段でアイスクリン買いました。 |
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![]() 三の丸石垣 (横矢がかりと呼ばれる突き出しがあります) |
杉の段から三の丸へ向かいます。 このルートには頭上から天守が睨みを効かせていました。 攻め手を見すえる頭上の天守が美しいですね。 |
![]() 杉の段から天守を見上げる |
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![]() 三の丸への石段 |
三の丸には櫓が1基と大書院があったそうです。 大書院では年頭や節句の行事などが行われていたそうです。 また、三の丸では埋め込まれた石垣が発見されていまして、一部見学ができるように整備されていました。 長宗我部期の石垣だそうで、長宗我部元親が高知築城をあきらめて浦戸城を築いたとされる説に一石を投じるものとなりました。 |
![]() 三の丸 |
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![]() 鉄門跡 |
![]() 三の丸から天守を見る |
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![]() 鉄門内 |
![]() 長宗我部期の石垣 |
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![]() 鉄門内の石段 奥に詰めの門が見えます。 |
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![]() 三の丸排水溝 |
高知は日本でも有数の降雨が多い場所です。 その雨水が石垣を崩壊させることがないよう、雨樋は石垣から突き出しています。 |
![]() 雨樋の先は石垣から長く突き出しています。 |
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![]() 二の丸への石段から天守を見る |
三の丸から二の丸へのルートは、天守に背後を見せる作りです。怖いですね〜 鉄門を入った敵は、右手の二の丸への石段と、正面の詰めの門、どちらが本丸へのルートか戸惑う形となっています。 |
![]() 二の丸入り口から天守を見る |
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![]() 天守には忍び返しが |
二の丸には表御殿と奥御殿があり、藩主が暮らし、また政治を見た場所になります。 二の丸には城内唯一の三階櫓があり、さながら小天守のように睨みを効かせていました。 二の丸からは詰門の二階(家臣の詰所になっていた)を渡って本丸に入ります。 |
![]() 本丸御殿と天守 |
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![]() 打ち分け波の意匠の欄間 |
本丸には御殿と天守を始め、1753年に建てられたすべての建物が現存しています。 天守は天守台を設けず、本丸に礎石をおいて建てられています。 |
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![]() 本丸御殿上段の間 |
本丸御殿と天守の内部は博物館になってまして、高知城にまつわるいろんなものが展示されています。 | ![]() 高知城模型 |
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![]() 高知城模型 |
城郭模型が大好きなので、結構長い時間みていました。 | ![]() 鉄砲狭間 |
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![]() 東多聞、廊下門、詰門 |
天守最上階は高覧になっていて、いい眺めでした。 城の要なので、城内のいろんな場所を見通すことができます。 |
![]() 天守から二の丸と二の丸入り口を見る |
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![]() 三の丸を見下ろす |
天守の大きさは、一階で東西14m、南北12mで、最上階は三間四方となっています。 | ![]() 杉の段 |
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![]() 大手門 |
ひとしきり見ましたので、天守を降りることにします。 | ![]() 本丸御殿の屋根と 改修中の黒鉄門 |
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![]() 高知の町並み |
帰り道は行きとは違う道にします。 二の丸から水の手御門跡を通って二の丸北側に降ります。 |
![]() 二の丸北側の石垣 |
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![]() 乾櫓跡 |
城内唯一の三階櫓だった乾櫓下を通って行きます。 | ![]() 本丸西側、 左から詰門、廊下門、西多聞 |
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![]() きのこと気持ち良さそうなコケ |
本丸裏側にある獅子の段を通り、さらに下っていきます。 獅子の段は本丸、二の丸西方の守りを固める重要な曲輪で、かつては櫓が3基おかれ、黒門付近は多門櫓が置かれていました。 |
![]() 獅子の段石垣 |
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![]() お台所屋敷跡 |
獅子の段下にはお台所屋敷跡があります。 絵図面にはなんの建物も描かれていないため、どんな建物があったのか分からないそうです。 お台所屋敷の下が西ノ口門跡。高知城の裏門(搦め手)となっていました。 |
![]() 高知城の裏門 西ノ口門 |
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![]() 藩校「致道館」の門 奥に見えるのは武道館 |
西ノ口門外には藩校跡があり、今でも門が残っています。 お城の北側をぶらぶら歩いていくと、証文倉跡にでます。 城内の建物からぽつんと離れたところにあった証文倉は、類焼を防ぐためにここに建てられたのでしょう。 |
![]() 城の北側、証文倉跡から三の丸石垣を見る |
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![]() 三の丸北側の石垣 |
城の北側はうっそうとした林になっていて、とても静かでした。 散歩気分で歩きます。 |
![]() 三の丸北東隅 鬼門のため、石垣の隅を欠いています。 この上に艮櫓がありました。 |
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![]() 雨樋 |
再び大手門まで戻ってきました。 今から宿にチェックインです。 |
![]() 山内一豊像 |
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![]() 日本三大がっかり名所 はりまや橋 |
はりまや橋近くの宿に泊まりまして、高知名物を探すべく、街に出かけます。 高知大丸前のお土産物やさんや、大丸のデパ地下をうろうろし、さらに帯屋町を歩きます。 昔懐かしい商店街です。 |
![]() 高知の繁華街 帯屋町 |
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![]() ひろめ市場 |
以前来たときはただの市場だったところが、「ひろめ市場」という地元の人が集まる場所になっていました。 市場の真ん中がフードコートのようになっていて、市場内の商店で買ったものを、その場で食べられるようになっています。 これはいいアイディアですよね〜 インド料理のお店や餃子のお店など、いろんなお店がありました。 私たちはせっかく高知まで来たので、 カツオのたたき丼 をいただきます。 観光客だけでなく、地元の方も仕事帰りにちょっと一杯飲んでるみたいでしたよ。 |
![]() いただきまーす! |
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帰り道、角にあったお肉屋さんでコロッケ買ってみました。 おいしかったですよ〜 |
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![]() 相方さんは顔ハメ看板がほんとに大好きです。 |
酒も飲んだし、宿に帰ってゆっくりしますか・・・ | ![]() 四国限定発売のはちみつゆず |
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![]() 高知城 |
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梅雨の合間に高知でござる 続く | |||
2014.9.30作成 | |||
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