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![]() 不明門跡 |
本丸から二の丸に降りまして、南西隅にある不明門から本丸西側に出ます。 ここからは本丸西面の石垣を見上げることが出来ます。 |
![]() 本丸南面の石垣 |
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![]() 本丸南面の石垣 二段に分けて積まれています。 |
本丸西面石垣の下を歩いていくと、出丸跡に着きます。 現在の出丸跡にはトイレと駐車場があります。 歩いて登るのが大変な人は、ここまで車で登ってくることができますよ。 |
![]() 井戸跡 |
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![]() 出丸解説板 |
出丸は元禄年間に新たに作られた曲輪で、二重櫓が二基、多門櫓が三基、本丸側に門が構えられていました。 二重櫓の一つには太鼓が置かれ、城内に非常事態が発生したときは鳴らして知らせることになっていました。 また、多門櫓の一つは大工小屋として使われ、城内の建物の維持管理が行われていました。 |
![]() 出丸からは城下町を望めます。 |
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![]() 岩村城主要部 北が左になります。 (現地解説板より) |
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![]() 南曲輪跡の解説板 |
出丸のそば、本丸の南側には南曲輪と呼ばれる場所があります。 江戸時代の絵図には屋敷として描かれていますが、中世岩村城の跡でして、二重の堀切と土橋の遺構があります。 |
![]() 堀切の跡 |
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![]() 二の丸跡 |
本丸北側にある二の丸には、弁財天が祀られていた弁天池や、先ほどご紹介した菱櫓の他、二重櫓や番所が置かれていました。 現在は私有地らしく、ロープが張り渡されていて中には入れませんでした。 |
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![]() 追手門と三重櫓台再び |
岩村城を堪能しましたので、下山を開始します。 帰りは下りなので楽ちんです。 |
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![]() 藩主邸跡 左から太鼓櫓、表御門、平重門 |
岩村城は標高721mの城山に築かれた山城でして、城内で住むのは大変だったらしく、藩主は江戸時代を通じて城下に構えられた藩主邸で暮らし、政務を執りました。 藩主邸跡には登城を告げた太鼓櫓と表御門、平重門が復元されています。 藩主邸跡には駐車場と岩村歴史資料館がありまして、岩村藩関係の資料が展示されています。(月曜休館) |
![]() 外側から |
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![]() 岩村の城下町 |
岩村藩は2〜3万石であったため、城下町もこじんまりとまとまっています。 「女城主」というお酒を醸している岩村醸造もありましたが、次の目的地に向かうことにします。 |
![]() 明知鉄道 |
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![]() 御嶽が見えました。 |
岩村から国道257号線を北上。 阿木川湖を通過して恵那市街に入ります。 遠くに噴火したばかりの御嶽が見えました。 |
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![]() 大津やさん |
恵那市街は中山道46番目の宿場町であった大井宿でした。 大井宿と言えば、2013年秋にもやってきまして、名物の「くりこ餅」をいただいた思い出の場所です。 ちょうど新栗の時期ですし、寄っていくことにしました(^^; いつ食べてもうまいですね。 |
![]() くりこ餅でございます。 |
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![]() 中津川市街の案内板 |
昼飯前のおやつをすませると、国道19号線を東に向かって中津川市街へとやってきました。 中津川は中山道45番目の宿場町。 中津川郵便局なんかは今でも中山道に面した場所に建っています。 |
![]() この道が中山道。 和宮が通った道です。 |
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![]() 鶏ちゃん丼 |
中津川と言えば鶏ちゃんのエリア。 こちらも2013年に初めて食べたのですが、そのうまさが忘れられず、今回もお昼ご飯にいただきました。 今回はどんぶりでしたが、地元特産だという 「あじめコショウ」 をかけていただきました。 おいしゅうございました。 あじめコショウというのは、中津川の名産なんだそうで、飛騨・美濃伝統野菜にも指定された、この地方特有の在来品種の唐辛子なんだそうです。 辛さの中に甘さがあるそうですよ〜 |
![]() 地元特産 「あじめコショウ」 |
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ふらり歴史旅 近江・美濃・尾張編 続く | |||
2015.4.5作成 | |||
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