本丸東側
本丸東門跡
 さあ熊本城を巡って午後もイイ時間になってきました。
 まだまだ回りますよ〜

本丸東門跡から本丸を見る
 本丸東門跡を降りると東竹之丸に出ます。

東門跡
  東竹之丸には平櫓が連続して建てられていまして、そのうち七間櫓内部が特別公開されていました。

特別公開中
 大勢の観光客で賑わう本丸とは違い、人もまばらでした。
 ゆっくりと見物していくことにします。

七間櫓内部の木組み

七間櫓の柱
 櫓の内部は倉庫だったので、特に見るものはないのですが、江戸時代に建てられた建物内部の木組みなんかはなかなか楽しいです。
七間櫓石落としから下をみます。

田子櫓、七間櫓、十四間櫓
  東竹之丸をでて飯田丸へと向かいます。
東竹之丸の虎口

有名な二様の石垣です。
加藤時代の石垣に細川時代の石垣が
追加されました。
 二様の石垣を見て竹之丸五階櫓台の下を巡ります。

竹之丸五階櫓台

竹之丸をぐるりと回って七間櫓を下から見上げます
 竹之丸をぐるりと回ってお城の東側へ
須戸口平櫓

源之進櫓
 東お城の東側は比較的手薄で、本丸がほぼむき出しに近い状態だったりします。
七間櫓を下から見る

東十七間櫓
 東十七間櫓が城東面の守りを固めています。
まだまだ歩きます。

けっこう急な坂です。
 その下を回って平櫓下から登って不明門へ。
不明門

古城の石垣
石垣下にはかつて堀がありました。
 再び城内へ戻り、本丸を突っ切って西出丸に停めたバイクへと戻ります。
 いよいよ出発・・・ではなく、熊本城の離れた場所を見に行きます(笑)

解説板
 熊本城南西部にある古城です。
 ここにはかつて隈本城がありました。
熊本城が築かれると、その城域に組みこまれて古城と呼ばれる様になりました。
 現在の熊本第一高校が古城跡です。
高校は石垣に囲まれ、かつては堀であった公園に囲まれています。

石垣下の堀跡はグランドに
 現在、堀を復元する計画があるようですが、地震の被害でそれも難しくなったのではないですかねえ・・・
熊本第一高校

熊本城うろうろの図
この日はなぜか念入りに回りましたね

八代城
磨櫓台と欄干橋
 14:00過ぎにようやく熊本市内を出発。
 国道3号線を南に向かいます。
 夕刻、ようやく八代市内に到着。
 先にチェックインを済ませて市内を散歩します。

八代城
本丸大手にあたる頬当門です。

本丸大手門
 向かった先は八代城
 一国一城令の例外として認められていたお城です。

頬当門櫓跡

頬当門跡
 同じ八代市内にあった麦島城が元和5年(1619年)に地震で倒壊したあと、加藤忠広が幕府から許可をとって築いたお城です。
大手搦め手になる
埋門跡

小天守台
 完成は元和8年(1622年)2月です。
 規模は東西500m、南北582m。総構えは東西1655m、南北1037mでした。

天守台

小天守穴蔵
 本丸、二の丸、三の丸、北の丸、出丸、総構で構成されていました。
小天守穴蔵

小天守穴蔵
 加藤家改易後、細川家の時代になると、細川忠興の隠居城になりました。
小天守台から天守台への土橋

天守台穴蔵
 忠興は四男立孝に隠居領の跡を継がせたかったようですが、立孝は父に先立ってしまいました。
 その後は筆頭家老を務めていた松井家が城代となり、明治維新まで続きました。

こちらは結構広いです。
 本城の熊本城も立派ですが、こちらもかなりの規模のお城です。
天守台から北の丸を見る

搦め手口
 貿易港であった徳淵の津を押さえ、南の島津家をにらんだ位置にあったことから、とくに立派に築かれていたと思われます。

天守台から小天守台を見る

広々とした内堀
 天守台上で日没を迎えました。
 晩ご飯を求めて彷徨うことにします。

夕焼けが映えます

搦め手門から出てきました
 携帯でよさげなお店を見つけたので、てくてく歩きます。
天守台

本丸
 今日は一日よく歩きます(笑)
北の丸石垣
堀は失われれています。
 秀岳館高校の向こうまで歩きまして、ようやく晩ご飯にありつきました。
けっこううまかったですよ。
 

八代城
201503九州城巡り 続く
2017.1.9作成
2015年ツーレポトップへ
Home