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![]() 朝のフルーツ |
おはようございます。 弘前で朝を迎えました。シルバーウィークも終わって一安心です。 今日はのんびり回れそうです。 |
![]() 相方さんはヨーグルト |
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![]() 弘前の朝 |
宿から坂を上り、弘前城北東にあるねぷた村の駐車場に車を駐めました。 そこから御城見物に出かけます。 |
![]() 古い古いおうち 雪よけの軒先がいい感じです。 |
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![]() 弘前城北側のお堀。 |
弘前城は弘前藩津軽氏4万7千石の居城として築かれたお城です。 初代為信、二代信牧の二代にわたって築かれ、慶長16年(1611年)に完成しました。 当初鷹岡城と呼ばれていましたが、後に弘前城と改められました。 |
![]() 亀甲門 |
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![]() 門脇の連子窓 |
弘前藩はその成立事情からお隣の盛岡藩とは常に緊張状態にあり、築城はとても急がれました。 このため、近隣の堀越城、大浦城などの資材を流用しました。 写真の亀甲門も、大光寺城からの移築だそうですよ。 その亀甲門から城内に入ります。 |
![]() 門脇の土塀 土塁と門の隙間部分には板塀が作られました。 |
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![]() 亀甲門をくぐると四の丸です。 |
四の丸を横切って西堀沿いの道に出ます。 桜並木の道でして、桜の季節はさぞや人が多いことでしょう。 今はひっそりとしていました。 右上の写真は弘前城のゆるキャラ 「たか丸くん」 城のある鷹岡にちなんだ名前だそうです。 結構かっこいいですね。 |
![]() 弘前城のゆるキャラ 「たか丸くん」 |
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![]() 西堀沿いの道 春にはとてもきれいでしょうねえ |
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![]() 西堀の様子 |
西堀にはたくさんのかもが泳いでいました。 広々とした堀で、城の西側を固めていました。 |
![]() かもがたくさん泳いでました。 |
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![]() 西の丸土塁 |
西堀の南端にはボート乗り場がありまして、そこから東に向かうと正面に弘前工業高校があり、その脇には埋門跡がありました。 埋門はその名のとおり、石垣の間などに築かれる門でして、弘前城でも土塁を切ったところに石垣を築いて門としていました。 |
![]() 天保の文字が見えます。 11代将軍家斉の頃でしょうか |
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![]() 埋門 |
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![]() 解説板 |
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![]() 江戸時代後期の石垣なので、意匠もきれいですね。 「金場取り残し積み」です。 石の隅部分のみを面取りしたものです。 |
門を入ると西ノ丸です。 門入って左側にはかつて三層の櫓があり、西の曲輪未申櫓と呼ばれていました。 |
![]() 櫓跡 |
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![]() 解説板 |
この櫓は明治39年まで残っていたみたいですが、なんとたばこの火の不始末で焼失したそうです。 なんともったいない・・・・ |
![]() 今は礎石が残るだけ |
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![]() 根上がりの木 |
西の丸には蓮池があります。 この堀は本丸西側にあります。 蓮池の向こうの切り崖上が本丸になります。 |
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![]() 本丸馬出南側の堀 左が馬出、右側が二の丸です。 |
西の丸から坂を登ると二の丸に出ます。 ちょうど未申櫓の裏側です。 未申とは方角のことで、江戸時代の日本では方角を十二支で表していました。 未申は西南にあたります。 |
![]() 二の丸未申櫓 |
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![]() 解説板 |
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![]() 二の丸南門(現存) |
二の丸南門を出て三の丸に向かいます。 現在、三の丸には市民会館や博物館、植物園などがあります。 |
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![]() 二の丸未申櫓 三の丸側から |
弘前城二の丸には三基の櫓が現存しています。 いずれも三重三階の櫓です。 |
![]() 二の丸辰巳櫓 |
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![]() 追手門裏側 |
三の丸から追手門を通っていったん城外へ。 |
![]() たか丸くん再び |
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![]() 弘前城追手門 |
追手門外にはきれいな市立観光館が建っていました。 壁にはおいしそうなアップルパイ達が! |
![]() 市立観光館 |
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![]() 弘前城外堀 |
弘前城は北に向かって標高が低くなっていまして、堀の水位を調節するため、外堀のところどころには土手と水門があります。 | ![]() 弘前城外堀 |
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![]() 三の丸東門 |
東門を通って再び城内へ。 二の丸堀にかかる小さな石橋は弘化5年(1848年)に架けられたものです。 |
![]() 石橋 |
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![]() 弘前城二の丸堀 |
弘前城の木々は、うっすらと紅葉が始まっていました。 もう秋ですねえ。 二の丸東門を入って、再び二の丸へ。 |
![]() 二の丸東門 |
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![]() なんと現在工事中だそうで。 (宿で知ったけど) |
弘前城は本丸のみ石垣造りなのですが、その石垣が孕んできて崩壊の恐れがあるとのことで、石垣を修復工事中でした。 |
![]() 石垣工事中 |
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![]() ありゃ?天守がいない? |
で、石垣積み直し中は天守が邪魔。 てなわけで、石垣修理中は天守を移動させておこうと曳家の真っ最中でした。 |
![]() レールに載せられた弘前城天守 |
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![]() こんな感じです。 |
希望すれば天守を引っ張る作業を体験できるそうですが、事前申し込み制だったので、諦めました。 | ![]() 天守のいない天守台・・・・ |
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![]() こんな近くでお目にかかれるとは。 |
なんでも明治時代にも天守を曳家で移動させての石垣工事が行われたそうで、100年ぶりの大工事です。 | ![]() あおりで一枚 |
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![]() 仮天守台 |
偶然やってきたとはいえ、100年に一度の貴重なものを見ることができたので、ちょっとうれしかったりします(^^; |
![]() 天守入り口がベニヤ板で哀れな姿に・・・ |
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![]() 移動中でも威風堂々 |
移動中でも天守は立派ですね。 まあ本当は 「御三階櫓」 なんですけどね。 初代は五重の立派な天守だったのですが、落雷による火災で火薬に引火、大爆発で焼失しています。 寛永5年(1627年)のことでした。 その後、幕府に許可を得て御三階櫓が建てられたのが文化7年(1810年)のことでした。 築200年余りってことですね。 |
![]() がんばってね |
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![]() 本丸から見る岩木山 |
いつもながらに思うのは、弘前城本丸から見る岩木山の見事さです。 いつもながらほれぼれします。 |
![]() 本丸戌亥櫓跡 |
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![]() ええ感じですよね |
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![]() 相方さんは看板大好き |
本丸を北側から出まして北の丸へ。 ここには休憩所などがあります。 北の丸の東北隅には子の櫓跡がありました。 こちらは明治39年に花火のために焼失しています。 たばこの火の不始末といい・・・泣けます。 北の丸から二の丸へ抜け、津軽藩ねぷた村まで戻りました。 |
![]() 北の丸子の櫓跡 |
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![]() 二の丸丑寅櫓(現存) |
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![]() 手焼きせんべいうまかった。 やっぱり焼きたてはうまいねえ〜 |
ねぷた村でお土産買うと駐車料金が安くなるってんで、ちょっと物色してみました。 右の写真は「うんぺい餅」です。 砂糖と餅米を使った素朴なお菓子で、津軽地方では結婚式の引き出物としてよく使われていたそうです。 あまいお餅なんですが、おいしかったですよ〜 |
![]() うんぺい餅 |
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![]() お菓子のヒロヤさんおすすめ |
ねぷた村には地元のケーキ屋さんも入ってまして、せっかく津軽に来たからと、りんごを使ったお土産を物色。 お姉さんがおすすめだというアップルパイを買ってみました。 使っているリンゴの量がすごいそうですよ。 帰宅してから食べましたがおいしかったです。 お姉さんありがとう。 |
![]() アップルパイです。 |
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れんと東北の旅 続く | |||
2015.11.8作成 | |||
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