きりたんぽ汁
 秋田ではちょっといいお宿に泊まりまして、朝風呂入ったりしまして、短い滞在時間ながら楽しみました。
じゅんさい
ぬめっとした食感
秋田の名物なんだそうで

いぶりがっこ!
 朝ご飯もバイキングだったのですが、地元の食材を楽しめてよかったです。
 弘前で買ってきたりんごもいただきました。
 3個100円という破格値でしたが、おいしかったです。

弘前のお土産
リンゴが3個で200円でした。
激安

久保田城堀
 朝ご飯食べたので、お散歩に出かけました。
 ホテルの真ん前が
久保田城
という抜群の立地(笑)
 さっそく向かいます。

大手門横堀

長坂門への石段
 城東側にある黒門跡から城内に入り、二の丸からは長坂を登って本丸一の門へと向かいます。
 久保田城なんてまた来れるとは思っていなかったので、感慨もひとしおというものです。

長坂門跡

番所跡
久保田城で現存する唯一の建物
 久保田城は関ヶ原合戦後に常陸から移封された佐竹家の居城です。
 佐竹家は20万5800石で代々右京大夫を名乗り、江戸城では大広間詰めでした。

一の門
(再建)

本丸へ

隅櫓
もともとは二重の建物で模擬復元され、
内部は展示館になっています。
 朝早すぎて展示館が開いていないのはお約束(笑)
 前回いけなかった本丸北側へと歩いていきます。
高い土塁で囲まれた帯曲輪門跡を抜けて土門を抜けるとそこは北の丸になります。
 北の丸とをへだてていた空堀跡は千秋トンネルと千秋トンネル通りになっています。
 

本丸帯曲輪門跡
本丸北側にある門で、帯曲輪へと通じていました。

土門跡

千秋北の丸の住所表記
 土門を抜けた西側は、明徳小学校があり、北の丸は普通の住宅街になっていました。
 久保田藩の藩校が明徳館という名前だったので、それにあやかった校名なのでしょう・・・
 さて、ホテルの近くにある物産館でお土産を買い込んで出発しました。

蓮の花

秋田のお土産
「とんぶり」
陸のキャビアなんだとか

うまいのです

臨海十字路交差点
  山王通りを通って臨海十字路交差点へ。
 横手へは左折して国道13号線を行けば近いのですが・・・
 あえて直進。
 国道7号線を走ります。

国道7号線を南下

由利本荘市へ
 海を右手に見ながらのんびり走ります。
 所々で高架工事中。高速道路の工事でしょうか・・・
 車はやがて由利本荘市へ。
わざわざ寄り道した理由は・・・

由利本荘市街
向こうに見えるのは鳥海山

斎彌酒造店
 お察しのとおりお酒です。
 久しぶりに
「雪の茅舎」

が飲みたくなって寄ってみました。

いい看板

百年名家にも出てきそうな
すてきな建物です。
 創業明治35年の蔵元です。
 財務省との厳しい折衝の末、何本かの購入に成功しました(笑)
 本庄市を出発して横手に向かいます。

左手が本荘城跡

中央の小山が本荘城
 給油を済ませて国道107号線を走ります。

南には鳥海山
天候悪化中
 天候が崩れてきました。
 予報では南に行くほど天気が悪くなるらしいのですが・・・

国道は山道へ

雄勝地方に到着
延々と広がる田んぼは圧巻
 広々とした雄勝地方にやってきました。
 一面の稲穂と枝豆。
うまそうです。

所々に枝豆とトウモロコシ畠

横手やきそば
 わざわざ横手にやってきたのは、相方さんに横手やきそばを食べていただくため
 横手駅近くのお店に入ったのですが、なんかいまいち・・・

2軒目の藤春食堂
 と言うわけでお店をはしご
 藤春食堂にやってきました。
こちらはなっとくのうまさ。
写真の卵も輝いてますね。

卵も輝くうまさ!

一路山形へ
 はしごすると、さすがにお腹もはち切れんばかり。
 苦しいお腹をさすりつつ、山形県をめざします。
 途中の道の駅十文字で一休み。
私の地元では見かけない食材に、相方さんと大興奮。

ミズの実
ゆでてそばつゆに漬けておくとうまいそうです。

食用の菊の花
ケンミンショーでも見ましたね。
 道の駅は面白いですね〜
 相方さんと二人ですっかり長居してしまいました。

カブカンラン
初めて見る野菜です。
海外の野菜だそうです。

昭和を感じるお店
 道の駅十文字を出発しました。
 国道13号線を南下します。
 湯沢を通過して山形県に入りました。
前を走っていたトレーラーがめちゃくちゃ速くて振り切られました。
何キロ出てたんだろう・・・
 このあたりから時折雨がぱらつく天気になりました。

国道13号線の風景

山形県に突入。

国道脇の神社
 国道13号線をひたすら走って新庄市にやってきました。
 ここで国道13号線を外れて新庄市街へと向かいます。
 ここ新庄は城下町なのです。
 関西にいるとあまり知名度ないのですが、戸沢家6万8200石の居城、新庄城がありました。


二の丸跡から本丸を見る

二の丸
本丸南側に出丸のように築かれました。
 戸沢氏はもともと出羽国仙北地方(角館あたり)の土豪でした。
 鬼九郎の異名をとった戸沢盛安は秋田氏と勢力争いを演じ、豊臣秀吉による小田原征伐にも参陣。4万5000石を安堵されます。
 しかし盛安は小田原落城前に病死。嫡男政盛は幼かったため、弟の光盛が跡を継ぎます。
 

本丸内部の様子
土塁のお城でした。

土塁は今でもかなりの高さです。

本丸入り口にあった表御門は櫓門でした。
その櫓台の石垣が残っています。
 戸沢光盛は文禄の役に参陣するため、肥前名護屋に向かいますが、播磨国姫路で病死。
 甥の政盛が跡を継ぎます。
 政盛は秀吉の死後に徳川家康の家臣鳥居元忠の娘を正室に迎え、徳川よりの立場をとります。
 関ヶ原合戦では当然東軍につきましたが、あんまり上杉家をたたくと宿敵秋田家の勢力が強くなりそうだったので、消極的姿勢をとります。

ぴったりとした継ぎ目が特徴の
「切り込みハギ」です。

新庄城の絵図
本丸と南側の二の丸
それを取り囲む三の丸の位置関係がよくわかります。
 これが裏目に
 父祖伝来の地を離れ、常陸松岡へと移封されます。
 その後、最上家は改易され、山形には鳥居忠政(鳥居元忠の子)が22万石で入り、義兄弟であった戸沢政盛は与力大名として新庄に6万石で移封となります。

本丸西北隅の大納戸櫓跡
二重の櫓だったそうです。
本丸北側の堀は埋め立てられて公園になっています。

築城当時から続く神社
 政盛は当初鮭延城に入城しますが手狭なため、新たに新庄城を築いて居城としました。
 以後、明治維新まで続きます。
 天守は寛永13年(1636年)に焼失。以後再建されませんでした。
 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加しますが、秋田の佐竹家が官軍側につくとこれに倣います。
 怒った庄内藩が新庄へと攻め込み、新庄城は落城焼失。藩主戸沢正実は秋田へと落ち延びました。
 さて、私は歴史センターも行きたかったのですが、入館は16:00までだと断られてしましました。残念。

藩政時代から現存する建物はこの神社だけだそうで。
天満宮は戸沢氏の氏神だそうです。

新庄城

げそ天そば
げそ天がからっとしていてうまいです。
 さて、この後山形市内まで走るかどうか迷ったのですが、のんびりしようということになり、新庄市に泊まることにしました。
 晩ご飯はそばを食べよう!ということになり、そば処えびすさんへ。
 お店で評判の、「げそ天そば」「冷たい肉そば」をいただきました。
 すごく食べ応えがあってうまかったです。
 

冷たい肉そば
肉は肉でも鶏肉。
このあたりは鳥モツラーメンも有名でしたね〜
 さて、この日は早めにチェックイン。
 宿で道の駅十文字でかったぶどうで食後のデザート。
 晩酌はもちろん「雪の茅舎」でございます。
れんと東北の旅 続く
2016.3.6作成
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