国道42号線と太平洋
 さて、この年の4月で異動することになりまして、名残治めに担当地区を相方さんと巡ることにしました。
 1泊2日の予定で、和歌山県南部(南紀、紀南とも呼ばれます)にお出かけです。
 昔は移動ルートが一般国道しかなく、串本まで6時間近くかかっていたものです。
 今は阪和自動車道がすさみまで暫定供給されてまして、和歌山市から2時間強で串本まで行けるようになりました。

潮岬が見えてきた
 すさみからは国道42号線を走ります。
ちょっと曇ってます

国道371号線風景
 串本町高富というところから国道371号線を北上します。
 この国道371号線、和歌山県の山中を縦断しようという壮大な国道ですが、未だに全通しておりません(笑)

一つ峠を越えます

立派になりました
 峠を越えると古座川町に入ります。
 ここには有名な一枚岩という名所があります。

一枚岩
 巨大な崖一つが丸ごと岩という、壮大なスケールの名所です。
 あんまり知られてませんけど・・・

一枚岩と古座川

一枚岩
 大阪からかなり遠いですから、知名度低くても仕方ないのですが・・・
 もっと有名になってもいいような気がします。

一枚岩

お寿司
 一枚岩前の道の駅で軽くお寿司を食べて、元来た道を戻ります。
 国道42号線まで戻ってきました。

国道42号線

くしもと大橋
 串本市街に入ったところで県道41号線に入ります。
 くしもと大橋を渡って大島に向かいます。

近大がなにやら養殖しているそうです

くしもと大橋を渡ります
 くしもと大橋は平成11年架橋と比較的新しい橋です。
 それまではフェリーで対岸の串本と結ばれていました。
 串本節という民謡にも歌われていましたが、架橋とともに姿を消しました。

大島内の県道40号線

大島にはおいしいパンやさんが
お昼御飯にいただきました〜

解説板
 30年くらい前に来たことがあって、その時は船で渡った記憶があります。
 大島内を横断すると樫野崎に到着します。
 ここには明治3年に点灯された樫野崎灯台があります。
 石造灯台としては国内最古なんだそうです。

樫野崎灯台

樫野崎灯台
 かつては灯台守がいたそうですが、現在は無人化されています。
 併設された灯台守の官舎?が復元公開されています。

明治3年と書かれています。

灯台からの眺め
右に見えているのが官舎跡です。
 この樫野崎近くで、有名なエトゥルール号遭難事件が起こりました。明治23年のことです。
 オスマントルコ帝国から派遣された軍艦がこの海岸で遭難し、500名を越える死者を出しています。
 灯台近くに慰霊碑と記念館があります。

エトゥルール号遭難慰霊碑

もう一つの名所へ
 大島にはもう一つすばらしい海岸があります。

海金剛
 海金剛と呼ばれる切り立った岩がそびえる海岸です。
 溶岩が冷えてできた火成岩が、太平洋の荒波に削られてできた海岸で、勇壮な景色が広がっています。

向こうに樫野崎灯台が見えます

なかなかの迫力

いい感じです

解説板
 駐車場もあり、遊歩道も整備されているので、見学しやすいですよ。
太平洋の荒波が打ち寄せます

本州最南端
潮岬
 本州最南端、潮岬にやってきました。
 昔はなかった観光施設ができてて、串本近くからオーストラリアまで出稼ぎに行っていた潜水夫の歴史が紹介されていました。
 1000キロ以上離れたところに出稼ぎに出かけた潜水夫の中には、現地で亡くなった方もいるそうです。
 望郷の思いひとしおだったことでしょう・・・

この向こうはパプアニューギニアですよ

橋杭岩
 和歌山県民は割と海の向こうで一稼ぎを狙う文化があるようです。
 紀伊國屋文左衛門や、房総半島に移住していった漁師。
 幕末には遠く蝦夷地まで市場を持っていた栖原屋角兵衛、明治に入ってオーストラリアやアメリカへ、戦後は南米に移住したり・・・
 地元で食えないってのが大きいんでしょうけどね(笑)

岩が橋杭(橋脚)のように連なる景観から
そう呼ばれました。

橋杭岩の一つ
 潮岬を出て橋杭岩までやって来ました。
 ここはライダーさんも多くて有名なスポットです。

橋杭岩の向こうは結構波強いです

内側はこんな感じ
 天気予報どおりだんだん雲が多くなってきまして、時間も押してきました。
初春の南紀 続く
2017.7.8作成
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