大和街道沿いには
歴史街道の道標が所々にあります。
 さて、月も変わって4月になりました。
 転勤して落ち着かない日々ではありますが、時間を見つけて健康のために歩くことにします。
 JR.岩出駅南側の踏切を越えて歩き出します。
橋を渡ります。
 

左 紀三井寺 和歌山 道
右 粉河へ二里 伊勢 高野 道
とあります。
 川の堤防を降りてきたところに道標がありました。
 

文政九年(1826年)に建てられたようです。
将軍は11代家斉公です。

こんな感じ
(写真は7月)
 道標を過ぎると建売住宅やマンションがちらほら建つ田園地帯を抜けていきます。
こんな道です。
(写真は7月のもの)

首のない常夜灯を発見
 首のない常夜灯を発見しました。
 失われた街道の雰囲気を今に伝えてますね〜

 とういうか、こういうのがないと歩いていてもつまんないのですよ・・・

寛政年間に建てられたようです。
西暦1800年頃、
老中松平定信の頃ですな。

細い路地のようですが、
大和街道なのです。
 田んぼと畑の中をてくてくと歩いて行きます。
 ところどころに旧跡があるので退屈せずに済みます。

道ばたに井戸発見

牛神社の井戸だそうで。

西田中神社
 旧街道が県道に合流してすぐ、西田中神社がありました。
 もともとは羊の宮神社だったそうですが、昭和21年に400m東にあった若宮八幡神社が移築合祀されて西田中神社となったようです。

拝殿が本殿の前にあるタイプの神社です。
(写真は7月)

こちらが元々あった羊の宮神社
(写真は7月)
 ここに元々あった羊の宮神社本殿は、建築様式から室町時代に建てられたものであろうと言われています。
 装飾彫刻が多くてすばらしいそうですが、写真に収めることは難しいようです・・・(^^;

羊の宮神社本殿

こちらが移築されてきた
若宮八幡神社
(写真は7月)
 向かって右側にあるのが移築されてきた若宮八幡神社本殿です。
 こちらは寛永12年に建てられたもので、幅が二間というのは珍しいそうです。
 ちなみに羊の宮神社本殿は一間幅です。

こちらは擬宝珠に寛永12年(西暦1635年)とあり、
建てられた年代が特定できるそうです。
二間社流造りが珍しいそうです。

解説板
 しばらく見学したあと、再び出発します。
神社を出発。再び歩き出します。(7月)

再び県道を外れて川を渡ります。
 しばらく県道を行くと、再び裏道へと入っていきます。
 川を渡って歩いて行きます。

大きな蔵です(7月)

段丘沿いの道を歩きます。
(7月)

ここまでのルート

用水路が涼しげです。(7月)
 紀ノ川沿いの田んぼを潤す用水路のそばを過ぎて再び県道に合流します。
 しばらく行くと田中小学校前に到着。
 校門の前に通学橋寄贈?の石碑がありました。
 橋が架かったのは昭和10年10月だったようです。
児童が通学しやすいよう、地元の人が出し合って学校前に橋を架けた記念なんだそうです。(うろ覚えですいません)

通学橋の碑

打田一里塚跡
この奥が東田中神社
 小学校を過ぎると、街道は再び県道を外れます。
 打田郵便局のあたりで再び県道へ。
 交差点近くには東田中神社があります。
 このあたりに打田一里塚があったそうです。
 少し疲れてきていたので、お参りはせずに通過しました。

農家の長屋門
かなり傷んで来てますね。

八幡神社
 ここで国道24号線を横切りました。
 横切った先で段丘の上へと街道が登っていきます。
八幡神社の下を通過しましたが、疲れてきていてこちらもパスしました。
(^^;

街道沿いに古い商店
 道は左に直角に折れ曲がります。
酒屋さんだったのかな?
日本城は今でも岩出市でお酒造ってるはず
(紀の川市に移転したかな?)

地蔵尊
 曲がってしばらく歩くとお地蔵さんがあって、その前に道標があります。
 この角をまっすぐ行くと、厄除けで有名な長田観音、右に曲がると大和街道です。

道標

右 伊勢 高野
 左 長田厄除観世寺 粉河寺へ抜け道

とあります。

ここまでの道筋

立派な長屋門
7月に再訪したときは取り壊されていました・・・
 我々は右に曲がって大和街道を歩きます。
 しばらく歩くと再び国道24号線をまたぎます。
 その手前には立派な長屋門がありました。
 庄屋さんだったんでしょうか?
 国道を横切ると風市森神社前を過ぎて坂を下ります。
 田んぼの真ん中に再び道標がありました。
 

道標
右 いせ
左 粉河寺
とあります。

粉河駅
 道標を過ぎるとスーパー前に。
 本日はここで切り上げることにしました。 
 そこから北に歩いて国道24号線を横切るとJR粉河駅に到着しました。
 ここから和歌山駅方面は1時間に2本電車があるのですが、ここから先は1時間に1本しか電車が来ません。
 厳しくなるな〜

粉河駅構内

切符
車を停めた岩出駅まで戻ります。

粉河祭りの山車
奥に見えるのが粉河寺の山門です。
 さて、やたら7月撮影の写真がありましたが、実は4月撮影の写真を発見できず、7月に写真だけ撮りに出かけてました。
粉河祭りの山車

粉河の古い商家
 で、撮ってきたら4月の写真が見つかったというお約束の展開(笑)
 おかげで粉河の夏を彩る粉河祭りの山車を見ることができました。
 粉河寺は古い歴史を持つ寺で、豊臣秀吉による紀州征伐で焼失したりしています。
 紀州徳川家の支援で再建され、崇敬を集めてきました。
 詳細な日記を残して有名になった川合小梅(江戸時代末期〜明治時代。武家の奥さんでした)もここ粉河寺にお参りしています。
 かつての門前町はとても風情があったそうですが、道路の拡張工事であっさりなくなったそうです。
 和歌山はほんと商売下手です。

粉河駅まで

今回のルート
大和街道をゆく 続く
2017.8.8作成
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