九和楽さん
 翌週、再び九度山町を訪れました。
 本日はここからスタートです。
 実は九度山町に「九和楽」という、柿の葉すしのおいしいお店がありまして、遅い時間に行くと売り切れてるもんで、スタート前の朝一番で買いに来ました。(笑)
 五條にも柿の葉すしの有名店がありますが、こちらの方がおいしいと思います。

パッケージ

サバがおいしいのです。

道標
右 ふなと
左 こうや
 九度山の街中をぶらぶらと歩きます。
 大河「真田○」のおかげで九度山町は観光客が押し寄せるようになりました。
 この時間でも歩いている人多かったです。
 右の写真は米金の金太郎
 なんと陶器製で、九度山で焼かれたものだそうです。
 高さは2mあります。

米金の金太郎

九度山の旧家
 この日は天気がよくて朝からうだるような暑さでした。
 九度山橋を渡って高野口へと歩きます。

この日は暑かったです。

銭湯らしき廃屋
 先週歩いた道を、前回とは逆方向に歩いて行きます。
また唐揚げ買っちゃいました

昔はこんなおもちゃ屋さんだったなあ・・・
 スタートしたばかりですが、ペースが上がりません(^^;

高野口のマンホール
鮎?

嵯峨天皇腰掛け石
 国道24号線を越えました。
高野口の街並み

ずんずんと歩きます
 お社のある四つ辻まで来ましたが、直進せずに左折します。
懐かしい店構えの理容店

前田邸
 ずんずんと歩いて行く先は・・・
前田邸

金沢寿翁軒
 きなこ団子のお店。
 また買いに来てしまいました〜

気を取り直して街道へ

解説板
 元来た道をまた戻り、社の四つ辻を左折します。
 ゆるい上り坂があり、解説板がありました。
 ここは「ババタレ坂」というそうで、かつて荷役の牛馬が急坂のためにババ(糞)をしながら登ったことからこの名前がついたそうです。

ババタレ坂
そんな急坂にも思わないのですが・・・

信太神社参道の石碑
高野口町九重にある信太神社への
案内かと
 JR和歌山線を越えて北側にでます。
高野口駅

住吉神社の常夜灯
 駅周辺は結構道に迷いました。
 青空児童館のところで住吉神社の常夜灯が。
 このあたりは立派な石碑多いですね。
 豊かな町だったのでしょう。

一里松跡

橋本市のマンホール
わりとあっさりしてますな
 旧高野口町を通過して橋本市に入りました。
 マンホールのデザインが変わったのでわかりました。
 この日から相方さんがマンホール写真にこだわるようになりまして、撮影しながらの歩きになりました。
 一言主神社の石碑を発見。
 ここからかなり登ったところにあるようですが、スルーしました(^^;
 橋本山田の郵便局前を歩きます。
 このあたりの郵便局は大和街道沿いに建っていることが多いですねえ。
 歴史を感じます。

大正15年12月建立(1925年)
ぎりぎり大正だったんですね・・・

一言主神社石碑
さすが大正時代、
是より3350米
とメートル表記になってます

なんかの石碑
 紀伊山田駅周辺は昔の風情が色濃く残ってました。
橋本市内はこんな案内が
道に埋め込まれてます。

こんな家とか
 このあたりの集落は高台にあります。
 岸上の地名も残ってます。
 紀ノ川の水害を避けたのでしょう。

こんな家とか

路地の奥には
 集落の外れ、路地の奥にいい感じのお社が残ってました。
 村の鎮守という雰囲気でてますよね。
・・・こんなお社が

このアングルで撮ると、
日本昔話にでそうな感じ

JR和歌山線
 お社過ぎると長い下り坂があり、途中でJR和歌山線を越えます。
 このあたりは「野」という地名のようです。


大和街道
 しばし国道24号線を歩き、山田川を越えたところで再び旧道に入ります。
 このあたりも古き雰囲気を残していて、歩いてて楽しいです。

すごい長屋門だ

大師の井戸

こちらは民家の手こぎポンプ

愛宕神社の石碑
 寛延3年の碑が残ってました。
 翌寛延4年には八代将軍徳川吉宗が亡くなっています。
 国道371号線バイパスの高架下を歩きます。
 橋本市役所の裏手を過ぎたところが少し高台になってまして、橋本東家と呼ばれている一帯になります。

寛延3年(1750年)の碑

立派な蔵と町屋
 橋本東家は大和街道と、紀見峠を越えてくる高野街道の交点にあたり、交通の要衝でした。
 かつては大いに賑わったそうです。

道標
左側の細い道が高野街道で、
紀ノ川へと続いています。
北面
右 和歌山 粉河
左 伊勢 ・・・
とあります。

西面
右 かうや(高野)
左 京 大坂(大阪)
とあります。
 道標を見ながら直進すると、橋本川があります。
 橋を渡ります。が、このあたり道がよくわからなくなっています。

南面
南無大師・・・と刻まれてます。

移設されてきた常夜灯
 適当に登ったところにお堂があって、常夜灯がありました。
 元々古佐田の浄泉寺地蔵前にあった灯籠で、正徳5年(1715年)に建てられたものです。
 橋本町塩仲間によって寄進されたもので、橋本には主に大和国(奈良県)向けの塩市があったそうです。
 現在の和歌山市南部・海南市にあった塩田で採れた塩は、紀ノ川をさかのぼり、ここで売り買いされていたそうですよ。
 

寂れた商店街ですが、
大和街道です。
 橋本駅にもほど近くなってきました。
 かつては賑わったであろう商店街が大和街道です。

古めかしい看板。

食堂跡
 橋本駅前はかつて商店がたくさんあったようですが、すっかり寂れて空き店舗や空き地だらけです。
こちらも古い看板です。

塀の中に門がある様式
よく見かけますが、昭和初期のものでしょうか?
 駅前が人を集める時代は終わったのかもしれません。
 さて、この日は橋本駅前でゴールイン。
 車を停めた九度山まで、高野線で戻ります。

極楽橋行き

橋本から南は登山鉄道並みです。
 九度山まで戻ってきまして、九度山町内にある「幸村庵」というところでおそばをいただきました。
幸村庵

おそば
柿の葉すしのセット
 最近道の駅ができたのですが、九度山町内ってあまり御飯を食べる場所がないのです。
 ここのおそばはなかなかおいしいですよ。

ついで?に真田庵も見学

門扉に六文銭
 ついでと言ってはなんですが、真田昌幸、幸村父子が関ヶ原合戦後から大坂冬の陣までを過ごした真田庵を見学。
 九度山は川に挟まれた半島状の場所にありまして、根元部分を監視すれば抜け出すのはかなり難しい地形なのですが、幸村はどうやって脱出したんでしょうねえ・・・

九度山のマンホールは柿!

お土産の柿チップ
 道の駅でお土産を購入して帰りました。
 この日の晩ご飯は九和楽の柿の葉すしと、高野口で買ったからあげでした。
大和街道をゆく 続く
2017.8.13作成
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