首無し常夜灯
 さて、6月に入って週末を自由に使えるようになったので、和歌山街道の旅もペースが上がります。
 この日はJR妙寺駅からのスタートです。
 妙寺駅を出て南に国道24号線を越えると、24号線と平行して大和街道があります。

文政10年(1827年)が刻まれた
一字一石塔

古いお宅
倉庫かな?
 この妙寺界隈は古い建物がまだまだ残っていて、旧街道の名残を楽しむことができます。
 このあたりは以前にもお話した「川上酒」の蔵元が多かった場所で、妙寺郵便局も蔵元さんが開設したそうです。

空き地が多くなってきてます。
 ただ、空き地が多くなってきているのはなんとも残念です。
 時代の流れでしょうねえ・・・

田村造酢株式会社
お酢を造っているようです。

初桜酒造
 大和街道は川を渡ります。
 このあたりは用水路がとうとうと流れていました。
 用水路に沿って大和街道も続いています。
 中飯降の駅近く、川上酒最後の酒蔵、初桜酒造の前に来ました。
 今は国道沿いにお店を構えていますが、元々は大和街道沿いのこちらが正面のようです。

煙突が酒蔵として主張しているようです。

道標を発見
右 高野山 慈尊院
左 伊勢 橋本
と読めます。
 てくてく歩いていると、時々現れる道標だけが盛り上がるポイント。
 一生懸命崩し字を読みます。
 嵯峨谷橋を渡ると橋本市(旧高野口町)に入ります。
 とりあえずラーメンやさんでお昼御飯です。

お昼はラーメン

金沢寿翁軒
 旧高野口町はその名のとおり、高野山への入り口として参詣客で賑わいました。
 もともと高野山参詣道だったこの地に、明治34年(1901年)に名倉駅(現高野口駅)が開業。高野山に詣でる人々が高野口駅を利用するようになり、賑わいました。
 開業2年後には駅名を高野口と改めてます。
 大正4年(1915年)に高野登山鉄道(現:南海高野線)が橋本まで開通。
 大阪方面からの参詣客が大勢来て、駅前は大いに賑わったそうです。
 が、大正14年(1925年)に高野線が高野下駅まで開通すると、その繁栄も終わりを迎えたようです。
 高野口界隈の農家さんは養蚕業が盛んだったようで、その流れで高野口はパイル織物生産が盛んでした。
 高度成長期には国内総生産の8割が高野口で生産されていたそうです。
 が、安価な輸入物にやられてしまいました・・・

このきなこ団子が絶品!

うだつの上がった町屋
 高野口町あたりにはきなこ団子を作っている和菓子屋さんが何軒かあり、地元の名物のようです。
 さっそく買って食べて見ましたが、とってもうまかったです。
 高野口に来たらぜひ食べて見てください。

前田家住宅
大正年間に建てられ、昭和30年に現在地へ
格式高い造りなんだそうで

お社のある四つ辻
 高野口郵便局の四つ辻を東に歩くともう一つ四つ辻が。
 角にお社がありました。
 左に曲がると大和街道、右に曲がると九度山、高野への街道のようです。

こちらが大和街道
 この日は右に曲がりました。
 しばらく歩くと左側に嵯峨天皇が腰掛けたという石がありました。
 嵯峨天皇も高野山に行啓したんでしょうか?
 国道24号線をまたぐと石造りの立派な欄干が。
 かつてここを用水が流れていたようで、そこに架けられた橋のもののようです。

向島橋
かつて流れていた大きな用水の上に
かけられた橋のようです。

和菓子屋さん
浪花堂
 高野口駅を降りた参詣客はここを歩いて高野山に向かったのでしょう。
柿をかたどったお菓子
このあたりは柿の大産地です。

古そうなお店
 てくてくと歩きます。
 途中でいろいろ買い食い。
学生気分です。

唐揚げ激うまです。
一度食べてみられえ〜

これは珍しい?
高野線の観光列車「天空」
と真田ラッピング電車の編成
ちょうど大河ドラマ「真田○」放送中でした。
 九度山橋を越えて九度山町へ。
 相方さんがなぜか学文路駅(かむろえき)を見たいというので、国道370号線へ。
 さすがに疲れてきてまして、道中面白いものもなく、とぼとぼと歩きます。

学文路駅
かむろえきです。
その名前から入場券は
受験のお守りになってます。

特急「こうや」
難波〜極楽橋間を結びます。
最近は難波〜極楽橋間直通運転は
珍しくなりました。
 学文路駅に到着。
 ここから橋本駅に向かい、JRに乗り換えて車を停めた妙寺駅に戻ります。
 以下どうでもいい話。
 この南海高野線ですが、難波〜橋本駅間は大規模開発もあって宅地化が進み、通勤路線化が進んでます。
 で、南○電鉄は橋本駅までの高野線に「りんかんサンライン」などという愛称をつけ、通勤路線イメージにしようともくろみます。
 が、長年「高野線」で親しんでいる地元住民が「りんかんサンライン」などという長ったらしい愛称になじむはずもなく。
 しかし南○電鉄は執拗に車内放送で連呼したり、路線図に表記したりと、名前の定着に躍起となります。
 しかし、高野山が世界遺産となり、海外からの訪問客が増えると手のひら返し。
 「りんかんサンライン」の表記が路線図や車内放送からなくなり、「え?もともと高野線ですけどなにか?」みたいなことに(笑)
 なんだかなーって感じです。

こちらは下り

こちらは橋本〜極楽橋間の各停

紀ノ川

一時盗難にあった真田の甲冑
(左側)
 橋本駅でJRに乗り換え。
 橋本駅はJR・南海共用駅です。
 橋本の地名の由来は、高野山に向かう橋が紀ノ川に架けられたことにちなみます。

帰りの道の駅で。
ポストの上にツバメの巣が・・・
大和街道をゆく 続く
2017.8.13作成
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