商店街
 守口宿を過ぎたところでまたもルートがわからなくなりました。
 仕方がないのでなんとなくで前進します。
 途中公園(日吉町)を見つけまして小休止。
ここまでご飯にありつけていないので、朝枚方市駅で買ったパンでご飯とします。
 再び歩き出すと商店街にでました。
街道に戻れたのかな?
 まだ生きている商店街を抜けると国道479号線にでました。
 

守口市のマンホール
 国道479号線を突っ切って直進しますが、道は左にカーブして妙な雰囲気に・・・
 街道外れちゃった感が出てきました。
 おいしそうな和菓子屋さんの前を通過しました。
 幕臣大田蜀山人が製法を伝えたおせんべいの流れを汲むお店だそうで、なんか買えばよかったです。

創業嘉永元年(1847年)
守口のねぼけ堂

木犀の陣屋跡の看板
浅田家の屋敷で、庭に三本の木犀があって
花の時期には蒲生や関目まで香りが広がったという。
その香りを愛でた14代将軍家茂公が浅田家に宿泊し、
諸大名もそれにならったそうです。
 ねぼけ堂を過ぎると大阪市旭区。
 いよいよ大阪に戻ってきました。
 看板からみると街道に戻れているようです。

立派なモザイク
何屋さんだったんでしょうか・・・

コロッケ食べました。
千林商店街(大阪市旭区)
 まもなく有名な千林商店街に到着。
 よくテレビに出てくる場所なのですが、まさかこんなところで出会えるとはびっくりでした。
 入り口にあったグリルシマダでコロッケ買いました。
 人出が多くて写真は撮れませんでしたが、千林商店街を散策。
 未だに現役の巨大商店街に胸熱でした。
 ハンバーグ弁当380円って安すぎですわー
 さっすが大阪。
 ここからは京街道は府道161号線になっておりました。
 阪神高速の高架下をくぐってしばらくいくと、関目5丁目の交差点にでました。
地下鉄谷町線の関目高殿駅の上です。
 ここからは城東区。都島通りを歩きます。
途中の阪急オアシスというスーパーでトイレ休憩。
まさにオアシスでした(笑)
 コイケヤのプライドポテトを初めて見つけて買いました。
工事中のおおさか東線の高架下をくぐってしばらく行くと野江4丁目の交差点にでます。
 ここからは城東区と都島区の境界線が京街道のルートです。
 

明治天皇の碑
明治元年、大阪天保山での観艦式に出席する
明治天皇がここで休憩したそうです。
(大阪市城東区)

昔は旅館といえばこんな感じだったのですが
 しばらく歩くと区境を離れて街道はJR京橋駅を目指して伸びていきます。
 ドイツ光線という怪しい?看板を見つけました。
しかも治療に使うそうですが・・・?
 JR京橋駅手前から少し寂れた商店街(アーケード街)になります。
 うどん120円というお店を見つけました。
 素うどんにしても安いなあ・・・
街道はJR京橋駅と京阪京橋駅で寸断されているので、高架下をくぐって京阪京橋駅の北側にでます。

♪おおさかは〜ええとこだっせ

関西に住んでる40代以上の方なら
だいたい知ってると思う。

ドイツ光線ってなんだ?!

右 大和
左 京みち
 京阪京橋駅北側の歩道に、かなり大きな道標が残されていました。
 町ゆく皆さんはまったく興味を示してませんが、かなり大きな道標です。

文政9年(1862年)9月吉日とあります。

片町交差点
 先ほども書きましたが、京街道は京橋駅で分断されているので、迂回して駅南側に出ます。
 このあたりの地名は「片町」で、かつては国鉄の駅があり、片町線の起点でした。
 片町の名前は街道の片側にのみ人家があったことに由来します。
 江戸時代は道を挟んで両側に立つ人家があるのが「町」だったそうで、それが片側にしかない町、すなわち片町なんだそうです。

大阪市のマンホール

大坂城天守
 ゴールが近づいてきました。
 ビルの谷間から大坂城天守が見えます。
 上町台地の北端に建てられたので、寝屋川沿いからはよく見えます。

大坂城天守

魚市場跡の解説板
 いよいよ京橋にやって来ました。
 江戸日本橋から137里4町1間、東海道・京街道の起点として栄え、橋は大坂公儀橋12橋の一つでした。

京橋

寝屋川
ビジネスパークが見えます。
 京橋は大坂城の北側にある寝屋川に架けられています。
 寝屋川は大坂城の外堀の役目を果たしていた川です。

寝屋川
大坂城三の丸の石垣が見えます。

かわいい豆助
 寝屋川橋を渡ったところにテレビ大阪がありました。
 和風総本家が大好きです。

地元ではなかなかきれいに視聴できないのがつらい

八軒家船着き場跡
 京阪電車のターミナル天満橋を過ぎると八軒家。
 その昔、このあたりは渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれ、淀川河口の湊として栄えました。
 この渡辺津を支配していたのが嵯峨源氏末裔の渡辺綱(わたなべのつな)で、渡辺氏のご先祖なんだそうです。
 平安時代は京から舟に乗って下ってきた旅人がここで上陸し、上町台地にあった熊野街道を南下して熊野に詣でたんだとか。
 江戸時代になっても交通の要衝で、淀川を行き交う三十石舟の港として栄え、8軒の船宿があったことから八軒家と呼ばれたそうです。
 今は昆布やさんがあって、大阪名物塩昆布を商ってはります。
 

解説板

高麗橋
 京街道の明治時代の起点、高麗橋までやって来ました。
この日はこれにてゴールです。
 相方さんは「まだまだ歩けるぜ!」と意気盛んでしたが、目が充血してました。
私はというと26キロ歩きまして、いささかぐったりでございました。
 帰りは駅から歩かず、バスに乗って帰るという始末です。
東海道をゆく 続く
2017.11.4作成
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