こんな感じのお宅がちらほら
 さて、藤森神社をあとにして、JR奈良線藤森駅西側を歩いて奈良線をまたぎます。
 クランクを越えて坂を下っていくと府道35号線に出ました。

みぎ ふしみみち

和風なお家

道標
 深草という場所だったのですが、かつてはその名のとおり草の深い場所だったのでしょう。
 仁明天皇陵や宇多天皇陵が近くにあるようです。

近くに天皇陵がいくつかあるようです。

しだれ梅
 ここから道は名神高速道路脇を通っています。
 山科から伏見へのルートらしく、交通量が結構多くて歩くにはまったく不向きな道でした。
 歩道があったのが不幸中の幸いでした。

こんな感じの道が続きます。

弘法大師ゆかりの碑
 峠を越えて勧修寺までやって来ました。
 ここから街道は東北に延びるのですが、我々は街道を外れて醍醐道を歩きます。

朱雀天皇陵の碑

醍醐道(奈良街道)です
 寄り道の理由は醍醐寺訪問です。
 歩いて見ると伏見から近い場所にあることがわかります。
 太閤秀吉が花見に選んだのがよくわかりました。
 醍醐寺の創建は古く、貞観16年(874年)です。
 当初は山上のみの修験場でしたが、醍醐天皇の祈願所となり、山の麓に下醍醐が開かれました。
 応仁の乱で五重塔を残して荒廃していたようですが、豊臣秀吉が醍醐の花見を企画して整備した結果、現在の威容となったそうです。

醍醐寺総門

醍醐寺唐門
(国宝)

西大門

三宝院玄関
 ちなみに醍醐寺は花のシーズンとそれ以外で拝観料が倍ほど違います(笑)
 値段表見てびっくりしました。我々はもちろんオフシーズン料金です(爆)
 三宝院という立派な書院がありましたが、建物内は撮影禁止でした・・・

三宝院庭園

見事な庭です。

五重塔
 こちらが平安時代から残る五重塔です。
 もちろん国宝です。ものすごい高さでした。
 

見事な造形です

醍醐寺金堂
 醍醐寺の金堂は紀州湯浅から移築されてきたものだそうです。
 ここで買ってきた饅頭を食べようと思ったら、バックパックの中で傾いていたらしく、偏ってぺっちゃんこになってました。

気を取り直して東海道

つい最近まで塚木が残っていたよう
なんですが・・・
おおやけ一里塚
 天下人の夢のあとを堪能しまして、再び醍醐道を戻って府道35号線まで戻りました。
 ここから東海道を歩きます。
 府道35号線は間もなく府道36号線と合流して名神高速道路の高架下をくぐります。
 歩行者が横断していようがお構いなしに突っ込んでくる車に用心しつつ歩きます。

街道から下る路地

岩屋神社前
 旧街道特有の狭い道ながら、交通量が多く路線バスまで走る府道35号線を北上していきます。
京都市のマンホール

新幹線の高架が見えてきました
 新幹線の高架をくぐる辺りになると信号待ちの車で路肩がなくなり、歩くにも難渋します。
 高架をくぐると国道1号線。
 地下道をくぐって北側に抜けます。

曰くありげな塚がありました。

みぎ うじみちの道標
 府道35号線はすぐに国道1号線を横切ります。
 再び地下道を国道東側に渡ります。
 声が響く地下道で歌を歌っていたら向こうから人が来てめっちゃ恥ずかしかったです。
 音羽病院でおトイレ借りました。ありがとうございます。
 しばらく歩くと京都東ICの高架下をくぐりました。

京都東ICの高架

牛尾山道の道標
後ろにちらっと見えているのが
名神道京都東IC
 牛尾山道の道標がちらほら。
 牛尾山は音羽山の支峰で、平安時代から信仰を集めた観音さまがあります。
 仁海というお坊さんが牛皮曼荼羅を描き、その尾をここに埋めたのが地名の由来だそうです。

上り坂をラストスパート

追分に到着
みぎ 京
 ようやく追分に到着しました。
 ここは京都府と滋賀県の県境。三条大橋からの東海道と、伏見からの東海道の分岐点です。

茶屋があったのでしょう

県境の証し
 歩いてつないで滋賀県までやって来ました。
 ほんとは京街道で京を目指すはずが、なぜか東海道を追分まで来ているのは相方さんには秘密です。

こちらが滋賀県側
江戸へと向かう道です。

街道から下って谷にある
京阪電鉄京津線追分駅を
目指します。
 今日はここでゴール。
30キロ歩きました。
 追分駅から電車に乗って、三条で乗り換えました。
 なんばで飲もうと思ったら満席で断られ、近くにあったうどん屋さんでおうどん食べて帰りました。

追分駅

電車が来ました。
東海道をゆく 続く
2017.12.23作成
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