京阪特急
ダブルデッカー車です
 さて、大津まで歩いてたどり着いた我々。
 私としては追分から歩いていこうと思っておりました。
 が、相方さんが、
「三条大橋から追分まではどうすんの?」とのやる気に満ちあふれた発言。
 確かに追分から歩けば三条から追分が盲腸のように残ってしまう。
 何よりあれだけこの企画に疑問を抱いていた相方さんがやる気になっている。これに乗らない手はありません。
 「ほな三条から歩きますか〜」
 てことで三条大橋に向かって出発です。
 毎度お馴染み京阪電車で三条駅を目指します。これが最後の京阪電車になりました。

なぜか下段に座ってしまった我々
せっかくのダブルデッカーなのに・・・

北浜から410円でございます。

三条大橋橋柱
擬宝珠があるのは
格式高い橋だけなのです。
 三条大橋のたもとまでやって来ました。
 9:00、東海道の旅、再開です。

三条大橋
下は鴨川

京阪の三条駅

高山彦九郎像
 三条大橋のたもとには高山彦九郎の像がありました。
 幕末の志士で、尊皇の人なんだそうです。
 内裏を望拝している姿なんだそうです。

古川町商店街

道標
 白川沿いに道標がありました。
 17世紀に建てられた道標のようです。

京都に無案内な旅人の為之を立てる
延宝6年とあります。
1678年です。

白川
柳はまだ芽吹いていませんでした
 街道を少し離れて白川沿いを下るとお饅頭やさんがあります。
 その路地の奥に・・・

この路地の奥に・・・

明智光秀首塚
 明智光秀の首塚があります。
 明智光秀が天王山の戦いで敗れた際、首を知恩院に納めようとして運んできた家臣がここに埋めたと伝わります。
 そのすぐ近くに坂本龍馬の結婚式場跡があります。
 ここは青蓮寺の境内だったところで、ここで内々に祝言をあげたそうです。

坂本龍馬結婚式場跡

平安神宮が見えます
 さらに三条通をゆっくりと歩いて行くと、平安神宮の鳥居が見え、さらに蹴上発電所の煉瓦建築が見えてきました。
 蹴上発電所の建物で、琵琶湖疎水の水を生かした水力発電所です。
 明治24年に完成し、京都に電力供給を行ったそうです。

蹴上発電所
第2発電所の建物(明治45年)
現在は発電していないそうですが、
同じ敷地にある第3発電所は現役だそうです。

琵琶湖疎水インクライン
(物資輸送用ケーブルカー)
の下にあるトンネル
煉瓦造りが渋いです。
 都ホテルの立派な建物を横目に見ながら上り坂を登ります。
 寒いと思ってフリースを二枚重ねて着ていたのですが、ここで一枚脱ぎました。
 この辺りは粟田口と呼ばれた京への入り口で、罪人を処刑した刑場なんかもありました。
 明治2年に大村益次郎暗殺犯5名がここで斬られたのが最後の処刑だったそうです。

ねじったように積まれた煉瓦が特徴的です。
「斜拱渠」と呼ばれる、
強度を増すために煉瓦を斜めに積んだ
トンネルです。

車石
 刑場を過ぎると、府道と旧道との分岐点に広場がありました。
 ここにはかつて舗装に使われた車石が置かれていました。
 大津に水揚げされた物資はここを通って京に運ばれましたが、荷車が通りやすくなるよう、石で舗装されました。
 荷車の車輪の幅でくぼみがついています。
 ちなみにローマ時代の荷車の車輪幅が現在の鉄道標準軌でございます。

車石広場

古い道標
 日ノ岡峠を越えるとそこは山科盆地です。
日ノ岡峠を越えて山科盆地へ

右は三条通
 再び府道143号線と合流。東海道本線のガード下をくぐって再び府道から外れて左折します。
 山科の街中で五条別れ道の道標を発見しました。

左は五条橋

宝永7年(1707年)の碑です。
 宝永4年(1707年)の道標でした。
 さらに街道を進み、山科駅前を通過したところに六地蔵がありました。
 後白河天皇により置かれた地蔵で、京への主要街道六カ所にそれぞれ地蔵を配置して悪霊を封じたのです。

六地蔵堂

井桁
 地蔵尊前にあった手水鉢などは、定飛脚たちが奉納したものでした。
 京都大坂名古屋金澤奥州上州宰領中と刻まれていました。
 そのネットワークの広さにびっくりです。

手水鉢

小関越えの道標
 さらに進んでいくと小関越えの道標がありました。
 逢坂の関を越える本街道に対するバイパス的存在でした。
 三井寺にはこちらの脇街道が近いのです。

定飛脚問屋が建てたとあります。

国道1号線と合流
 小関越えの分岐を過ぎたところで国道1号線に出ました。
 ここは国道1号線と国道161号線の分岐になっていて、横断歩道がないため国道を歩道橋で越えていきます。

歩道橋からの眺め

ベンガラ塗りのおうち
 国道1号線を渡ると再び静かな旧街道の雰囲気を取り戻します。
 かつて逢坂の関には走り井と呼ばれる自噴の井戸がありました。
その井戸の周りには茶店が並び、道行く人々をいやしていたそうで、走り井餅と呼ばれる名物があったそうです。

走り井餅本家
 走り井餅をいただこうとお店に向かったのですが、歩きだとかなり難しいところにありました。
 現在、走り井餅は井筒八つ橋が製造・販売しているようで、観光バスも入れる大きなお店でした。
 店内には井筒の夕子のCMソングが流れ、我々はすっかり洗脳されてしまいました(笑)
 変わり種の八つ橋は、ミルク味が意外なうまさでした。
 走り井餅もしっかり買いましたよ!

できたての生八つ橋いただきました〜

志津屋さんのパンおいしかった
 お店近くの公園で、お昼ご飯にすることにしました。
 三条駅で買っていた「京都 志津屋」さんの玉子サンドなどをいただきました。
 京都の玉子サンドはだし巻き玉子を挟んだ感じでして、とってもおいしゅうございました。

某ケンミンバラエティ番組でも
紹介された、京都の玉子サンドです。
東海道をゆく 続く
2017.12.31作成
2017年ツーレポトップへ
Home