ようやく追分に到着
 さて。ICの中にある走り井餅本店を出て、公園でパンを食べてから出発。
 ようやく前回のゴール地点である追分に到着しました。
 ここからはいよいよ近江の国でございます。

糸繰り・・・だったっけ?

確か佛立寺
京都界隈のお寺さんは立派です。
 のんびりと追分界隈を歩きまして、国道1号線と合流いたします。
 排ガスを浴びながらの歩行ではありますが、歩道があるのでまだマシなのです。

旧東海道(府道35号線)と
国道1号線の合流地点
歩道橋から

月心寺
ここに走り井があったそうです。

国道1号線と
京阪京津線
 国道1号線は京阪電鉄京津線と併走していました。
大津そろばんの碑
片岡庄兵衛が明国から渡来した
そろばんをモデルに製造開始
慶長17年(1611年)のこと

歩道橋を渡って旧道へ
 大谷駅の近くに歩道橋がありまして、その先に少しだけ旧道が残っているようです。
有名な和歌でございますな

大谷駅停車中の電車
 旧道に入る踏切で、電車を見てました。
出発進行

蝉丸神社分社
 大谷駅界隈には旧道が残っていました。
 有名な和歌を残した蝉丸にちなんだ神社もありました。

うなぎ料理が有名なお店があるようです。

大津宿を描いた浮世絵
 先ほど試食の生八つ橋をしこたま食べたばかりですが、名物と聞けば素通りはできません。
お店の看板

お店
 旧東海道の峠茶屋から始まる古いお店で、ウナギ料理をいただきました。
 とはいっても鰻はお高い。
 半分以上卵焼きである「きんし丼」というのをいただいてきました。

こちらがきんし丼
鰻は二きれ・・・

逢坂関所跡にもあった車石
 二回目のお昼ご飯を平らげて大谷を後にしました。
 踏切のところに逢坂の関跡の小さな公園がありました。

石碑が建てられてました。

大谷あたりの国道1号線
 再び国道1号線と合流して大津市街を目指します。
 やはり交通量は多いです。
 蝉丸神社上社がありましたが、あまりの石段のために参拝は自重しました(笑)
 その上を名神高速道路が走っていました。

蝉丸神社上社

名神高速道路

国道1号線と国道161号線の分岐
 ほどなく国道1号線国道161号線の分岐点にやって来ました。
 この辺歩道ないのでちょっと怖かったです・・・

関蝉丸神社
踏切の向こうに神社があります。
蝉丸とは平安時代の歌人で、
盲目で琵琶の名手であったという
伝承が残っていますが、
詳しいことは不明だそうです

側溝の蓋につけられた解説板
 札の辻までやって来ました。
 ここは北国街道との分岐点にあり、交通の要衝で、その名のとおり高札馬がありました。
 明治になって大津市と道路元標が置かれました。

明治時代、各市町村に置くことが
義務つけられたそうです。

京阪京津線
なんと併用軌道部分があるのです。
 京津線の電車と一緒に街道を歩きます。
 札の辻から右折して琵琶湖と平行に東へと歩いて行きます。

大津の街並み

大津の街並み

和洋折衷の建物
 大津は琵琶湖水運の港町として栄え、また東海道・北国街道の合流点であり、物流の拠点でした。
 また京を控えていたために大いに賑わい、東海道最大の宿場町として栄えていたそうです。

かすかに街道町の雰囲気が残っていました。

ロシア皇太子襲撃事件現場
 日本史の授業で習ったロシア皇太子襲撃事件の現場です。
 「大津事件」で知られたこの事件、児島惟謙による司法の独立うんぬんって習いましたなあ〜

街並みの写真

街道ぽいですね〜
 ここで通りの向こうから歩いてきた男性と挨拶。
 なんでも日本橋から京を目指して歩いてきたんだとか。
 ご飯も食べずに一日40キロ歩いているそうで、こちらは今朝三条大橋出てきたというと、
「今大津ですか?そんなペースだといつ日本橋に着くかわからないですよ」
と呆れてました(笑)

ばったん床几

義仲寺
 京阪石山坂本線石場駅を通過して大津警察署でトイレをお借りしました。
(ありがとうございます)
 さらに先に進むと義仲寺が。
 源平合戦で有名な木曽義仲のお墓があるお寺なんだそうです。
 松尾芭蕉も遺言でここに葬られているとか。

このクランク状の道路は・・・

やっぱり
膳所城の総構え門跡でした。

石座神社
 膳所城北総門跡を通過して膳所の城下へ。
 以前にご紹介しましたけど、再び来ることがあるとは思いませんでしたね〜
 膳所城は関ヶ原合戦で廃城となった大津城の代わりに築かれたお城で、東海道と琵琶湖の水運をにらんだお城でした。
 当然譜代大名が代々城主を務めまして、最後は本多家7万石で明治維新を迎えました。

和田神社
 和田神社にお参りしていくことにしました。
 本殿は鎌倉時代のもの、門は膳所藩校のものを移築されたそうです。

大銀杏
樹齢400年以上だとか

鎌倉時代創建という本殿
 特筆なのは境内にある大銀杏
 関ヶ原合戦のときに捕縛された石田三成がこの木につながれたとか。
 京へ護送中のことなんだそうです。

膳所の古民家

向こうに膳所城門(模擬)が見えます。
 膳所城と平行して街道が走っています。
 南へと歩いて行きます。

武家屋敷の長屋門であろう民家

街道らしいいい感じです。

昭和初期ぐらい?
の洋館
前に増築してますが
 膳所城下を通過するとNECなどの工場がたくさんあって民家が途切れて少し寂しい雰囲気になります。
若宮八幡宮
表門は膳所城の犬走り門を移築したもの

立葵(本多家の紋)の瓦

膳所城の枡形跡
 この辺りは晴嵐松と呼ばれた粟津が原の松原で、近江八景の一つです。
 木曽義仲が討ち死にしたのはこの辺りだそうです。

石山駅界隈の民家

瀬田唐橋
 いよいよ天下三名橋の一つ、瀬田唐橋を渡ります。
 この時点で15:00。かなり時間が押してます。
 相方さんはまだ分かっていないようですが・・・

瀬田川

瀬田川堤防
 瀬田川を渡ると日が陰ってきて寒くなってきました。
 もう3月も終わりなんですけどね・・・

渡ってすぐの飴やさん

月輪池の一里塚跡
江戸まで120里(480キロ)
 近江国府跡から続く官道由来の直線道路があったり、地形に沿った道があったり、この辺りの街道は変化に富んでいます。
 月輪池の一里塚跡に来ました。この辺りは一里山という地名が残っています。
 山と言うことは当然登り坂。
 相方さんはひーフーいいながら登ります。

滋賀県のゆるキャラ
かいつぶりくん

狼川バス停
かわいいイラストに似合わぬ
怖い地名ですね。
 だんだん気温が下がってきて、相方さんのテンションも下がり気味。
 最初は草津宿まで歩く!と言っていたのですが、南草津でいいじゃないかとの私の甘言に乗ってきました。

竹生島から勧請したという
弁財天を祀る祠がありました。

弁天池

萩の玉川跡
玉水のような清水が湧き
旅人ののどを潤したのだとか。
 そうなると距離はあんまりないってことで、急に二人とも元気になりました(笑)
 お昼ご飯二回も食べたので、あまりお腹も空いていなかったのですが、通りがかりのラーメン屋で夕食。
 17:50、南草津駅前のホテルに到着しました。
 この日は29キロ歩いたのです。

にぼしラーメン
ごつい男性客ばかりで
相方さんがかわいそうでした。
東海道をゆく 続く
2018.1.3作成
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