高念寺の山門
櫓門ですね
 肩たがえの松を出発して旧手原村を抜けていきます。
旧手原村

六地蔵の一里塚跡
日本橋まで、あと117里
 相変わらず冷たい風が吹いています。
 六地蔵の一里塚までやって来ました。
 この辺りは六地蔵村で、梅木立場と呼ばれていました。

近江富士と呼ばれる
三上山

遠くの山々は雪景色

立派な町屋が現れました。
 一里塚にほど近い場所に、道中薬「和中散」を商っていたぜさいや本舗(大角家)があります。
 家康公が腹痛を起こした際、この薬を服用して回復したそうです。
 大角家は茶屋本陣も務めるほどの分限者でした。

大角家屋敷
庭は小堀遠州
国の重要文化財です。

大角家の門
 道を挟んで向かい側に大角家の隠居所があるのですが、そちらも重要文化財なのだそうです。
 人が住んでいる気配でしたので、写真は遠慮しましたが、立派なお屋敷でした。
 六地蔵を過ぎて新善光寺道の道標を発見しました。
 建長5年(1253年)に小松定宗が信州の善光寺から善光寺如来の分身を持ち帰って祀ったそうです。

新善光寺道道標

是より東膳所領
 林、伊勢落を過ぎて名神高速道路の高架をくぐります。
 この高架で栗東市とお別れ。湖南市に入ります。
 高速の手前を右に折れる道が上道と呼ばれるルートです。
 野洲川の水害がひどかったため、天和3年(1683年)に東海道が上道に付け替えられたそうです。
 しかし我々は下道を選択。しばらくすると草津線の脇を歩きます。

JR草津線と併走。
その昔、大津と名古屋を鉄道で結ぼうとした
関西鉄道という会社によって開通した
路線です。
東海道沿いを走っています。

工事現場での一コマ
 宮川橋を渡ると、先ほど分岐した上道が再び合流します。
 1号線バイパスに五軒茶屋の地名がありますが、上道が開かれた時に五軒茶屋が建ったことに由来する地名なんだとか。

宮川橋を渡る
もうすぐ石部宿です。

湖南市のマンホール

小島本陣跡
 石部宿に到着しました。
 石部宿は京を出発した旅人の1泊目の宿場として栄えました。
 

石部宿を描いた浮世絵
石部宿は51番目の宿場町
旅籠は62軒、商家は216軒と栄えました。
また石部宿は飯盛女を置かない
堅い宿場だったそうです。

いい感じの町屋
 宿に本陣は2軒が置かれていたそうで、小島本陣は膳所藩支配の本陣でした。
 東京遷都の際、明治天皇も宿泊したそうです。

お昼ご飯

石部のようす
 石部宿に田楽茶屋という案内所兼軽食の取れる場所がありました。
 ちょうどお昼どきだし、食べられるお店も他にななさそうだったので、きつねうどんとおにぎりをいただきました。

道標

石部宿を出て歩き続けます。
 石部宿を出てしばらく歩き、家棟川を越えたところで北島酒造がありました。
 以前飲んだことがあったので、一度来てみたいとは思っていたのですが、まさか東海道沿いにあるとは知りませんでした。

北島酒造発見!
御代栄の蔵元です。
相方さんにもらって飲んだことがあった
のですが、ここで出会えるとは。

街道らしいくねくね道
 歩き(しかも3日分の着替えも背負っております)にもかかわらず、お酒を購入。
 相方さんは呆れておりました。
 負荷を増やして先を急ぎます。

由良谷川隧道
明治19年(1886年)完成

隧道
この辺りは草津川をはじめ
天井川が多く、この由良谷川も
川をトンネルでくぐります。

夏見一里塚跡
日本橋まであと115里
 由良谷川をトンネルで越えてしばらく行くと夏見の一里塚跡にきます。
 この辺りは立場だったそうで、ところてんや桜川というお酒が人気だったそうです。
 三雲城の看板がありました。
 近江源氏六角氏に仕えた三雲氏の居城だったそうなのですが、往復4kmにくじけて断念しました。

三雲城跡の看板
歩きでなければ立ち寄るのですが・・・
往復3.4kmだと1時間かかる・・・

大沙川隧道
 再び天井川をトンネルで越します。
 このトンネルは明治17年(1884年)の完成だそうです。

弘法杉
大沙川の堤防にそびえる
樹齢750年の大杉
弘法大師がお昼ご飯を食べて
杉のお箸を突き刺したら根付いたそうで

明治のトンネルは立派です。
 大沙川を越えると草津線の踏切を渡り、いよいよ野洲川を渡河します。
草津線を忍者ラッピングの電車が
通過していきました。

横田橋を渡った朝国交差点

ここから甲賀市
 横田橋たもとの郵便局でお土産を郵送してから橋を渡ります。
 渡って国道1号線を東に歩くと泉西交差点。
 ここから甲賀市に入ります。

水口宿の看板がお出迎え

横田渡
万人講常夜灯
文政5年(1822年)のものです。
 泉西の交差点から国道を離れて県道535号線へ。
 道の右側にひときわ大きな常夜灯がありました。
 ここは横田の渡しがあったところで、いつもは土橋、増水したときは船渡しだったそうです。

旧東海道はJR三雲駅を過ぎて
ここで渡河するルートなのですが、
橋がないので横田橋を渡りました。

泉の一里塚跡
日本橋まで114里
 だんだんと日が傾いてきまして、急激に気温が下がってきました。
 しかしこんな場所からは移動手段がないので、ひたすら水口宿を目指します。

甲賀市のマンホール

こんな感じの道路が
ひたすらまっすぐ伸びています。
かつては松並木だったそうですが・・・
 田んぼが道の両側に広がり、北風を遮るものがありません。
 相方さんも鼻が真っ赤になってて気の毒でした。 柏木公民館で休憩し、残った姥ヶ餅でおやつにします。
 この辺りで外国人と抜きつ抜かれつ歩いていました。
 彼も東海道を歩いているらしく、「Enjoy?」と聞かれました。
 答えはもちろん「Yhea!」です。

美畐久酒造にて
懲りずに荷物を増やそうとしますが、
翌日にイベントがあるらしくて
お店やってませんでした。

水口一里塚跡
日本橋まであと113里
 最後の力を振り絞って水口宿に到着しました。
 西見附を通過して一里塚を杉、水口石を見ました。

水口石
力石で、浮世絵師国芳が
錦絵の題材にしています。

水口宿の建物
 江戸時代の水口は一時期を除き、加藤嘉明(賤ヶ岳七本槍の一人)の子孫である加藤家が治めました。
 石高は2万5千石でした。

水口宿内の東海道

水口は残念ながら
あまり建物が残っていません・・・

水口城
出枡形に築かれた資料館
江戸時代、出枡形には櫓はありませんでした。
 水口城跡にやって来ました。
 疲れはすでにピークですが、お城のこととなると元気になるのが不思議です。
 水口は関ヶ原合戦までは豊臣政権の五奉行であった長束正家が治めていました。正家は水口岡山に城を築いて居城としていましたが、関ヶ原合戦後に改易されて水口岡山城は廃城となり、水口は天領となって宿場が置かれました。
 徳川家光の上洛に当たり、水口宿の外れに宿所として新たに築城されたのが現在の水口城です。
 左の図のとおり、方形の本丸が築かれて御殿が建てられました。
 その後、加藤家が城主になりますが、本丸は将軍家のものとして使用せず、その外側に二の丸を築いてそこで政務を執ったそうです。
 現在は出枡形部分と乾櫓台にのみ石垣が残されています。残りは近江鉄道建設時に資材として持ち去られたとか。
 辛うじて本丸を囲んでいた水堀が残されています。
 疲れているにもかかわらず、水堀を一周してきました。資料館は休館日だったのはお約束です。(金曜日だったのになあ・・・)

水口城縄張

水口城濠
 相方さんは大丈夫といいながら、かなりしんどそうでした・・・
水口城乾櫓台

本丸は高校のグランドに・・・

水口城

すやきのお店
「谷野食堂」
 すっかり疲れてしまった我々。
 と。お城の近くにケンミン番組で紹介されていたお店があったのを思いだし、寄ってみることにしました。
 お店の名前は「谷野食堂」
「すやき」で有名なお店です。
 「すやき」とは、フライパンにラードを多めに入れ、中細の中華麺を投入。
あまりかき混ぜずにしっかりと焼き目を付け、ネギ、もやしを投入。
軽く塩を振って混ぜ合わせてできあがりのメニュー。
 お客さんがテーブルにあるソースと胡椒で好みの味に仕上げていただきます。
 当然、お値段もお安くて、並(麺1玉)300円、大(麺2玉)400円、特大(麺3玉)が500円です。
 近くにある高校生に、安くておいしいメニューを!ということでできたメニューだそうです。
 この日は翌日の美畐久酒造イベント出店準備のため、営業を終わっていたにもかかわらず、すやきを作って出していただきました。
 ほんとにありがとうございます!
 翌日のイベントを教えていただいたり、次の土山宿の見所を教えていただいたり、本当に親切にしていただきました。

すやき
シンプルなのですが、
なぜかくせになる味でした。
相方さんと二人であっという間に平らげました。

水口宿の浮世絵
かんぴょうつくりが名物だったそうです。
 往時の水口宿は大変栄えたそうで、街道が宿場内で三筋に分かれていたのだとか。
三筋に分かれた東海道

近江鉄道水口石橋駅
ちょっと国鉄っぽいです
 この日はその三筋に分かれた「三筋口」でゴールとしました。
水口石橋駅にて

幸いバスはすぐにあったのですが・・・
(写真は貴生川駅前)
 近くにあった水口石橋駅から帰ろうとしましたが、次の電車は45分待ち。
 仕方ないので近くのバス停からバスで貴生川駅を目指しました。

貴生川駅
めずらしい読みですね。

やって来たのは忍び電車
 貴生川駅にはすんなり着いたのですが、草津方面行きの電車がなんと30分待ち!
 北風吹き抜ける駅のベンチでがたがた震えながら相方さんと二人で待ちました。
 ようやくやって来たのは京都方面直通の電車でした。
 この日は大津で宿を取っていたので、乗り換えなしはありがたかったです。
 

大津駅前で近江ちゃんぽんで
暖まりました。
近江ちゃんぽんは長崎と違い、
和風だしで魚介が入らず野菜がたっぷりで
中華麺を使っているそうです。
あっさりしていておいしかったです。

北島酒造で買ってきたお酒飲みました。
東海道をゆく 続く
2018.1.21作成
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