田村神社入り口
手前の道路は国道1号線
 土山の道の駅で思わず長居してしまいました。時間が押してきたので慌てて出発します。
 土山宿の江戸方に、田村神社があります。
 創建は弘仁3年(812年)。征夷大将軍坂上田村麻呂を祀った古い神社です。

田村神社参道
この参道は旧東海道の一部です。


田村神社本殿
 これから鈴鹿の峠越え。
 道中安全を祈願してきました。
 

高札場跡
田村橋の説明がありました。

田村川と田村川橋
 東海道は田村神社の前で右に折れています。
 田村川に架かった田村川橋は歌川広重の東海道53次にも描かれました。
 橋を渡ると上り坂になります。この坂は蟹坂と呼ばれています。
 ここは古戦場で、天文11年(1542年)伊勢の北畠氏の侵攻に対し、山中城主山中丹後守秀国がここで迎え撃ち、勝利しました。

蟹坂古戦場跡碑

このシーンです

猪鼻村の急坂
 猪鼻村までやって来ました。
 ここには立場があり、草餅や強飯が有名だったそうです。
 鈴鹿の山から下りてくるイノシシよけの垣根があったことが村名の由来だそうです。

旅籠中屋跡
明治天皇聖蹟碑もあります。

新名神の高架下を通過
 また雲が多くなってきて気温が下がってきました。
 国道1号線と合流したり離れたりしながら峠をゆるゆると登っていきます。

地蔵堂
 新名神の高架下を通過してすぐに地蔵堂がありました。
 嘉永6年の常夜灯が建っていました。坂本龍馬とかもこの常夜灯を見たんでしょうかねえ・・・

嘉永6年(1853年)の常夜灯

山中一里塚から日本橋まで109里

国道沿いにぽつんと残っていた
鳥居と山灯籠
 「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」という馬子唄があったそうで、碑が建てられたりしていました。
 国道はゆるゆるとした登りで標高を上げていきます。

国道1号線
亀山まであと17キロ

名残の松
旧東海道の並木の松
現在の1号線がかなり切り下げられて
いることが分かります。
 鈴鹿のトンネル手前で東海道自然歩道(国道下り車線側)を登って国道を離れます。
 峠の頂には巨大な万人講常夜灯が東海道はここだよ!って教えてくれていました。

万人講常夜灯
重さ38t高さ5.44m
の巨大なものです。

自然歩道を歩きます
 坂を登り切ったところにトイレがあって、杖が置いてありました。
 杖を持って土の道を歩きます。

東海道を示す標識

国境の碑
これより伊勢国
東海地方に入りました。
 京から17里(68km)、鈴鹿峠を越えてようやく伊勢国に入りました。
 ここにはかつて田村神社があり、峠の茶屋が軒を連ねていたそうですが、今はひっそりとしています。
 峠から三重県側は傾斜もきつく未舗装の道が続きます。

三重県側はけっこう急な坂なのです。

鈴鹿峠
国道1号線の橋がところどころに
見えます
 道はやがて石畳になり、うねうねとつづれ折りに曲がりながら下っていきます。
けっこう足にくる~

馬の水飲み場
石造りの鉢があります。
 途中、荷役の牛馬が利用した水飲み場などがありました。
 鈴鹿峠は「道狭く険しく雨の日は清水が所々にわき、越えるのが難しい」と言われていました。
 ここで牛馬も水分補給しないと持たなかったのでしょう・・・
 最後石段を下っていったところに片山神社がありました。

片山神社

片山神社からはコンクリート舗装の
林道を下ります。
 片山神社は鈴鹿峠を守護する鈴鹿大明神で、坂下宿の氏神でした。
森を抜けたところに神社の石碑が

鈴鹿峠

金蔵院跡
江戸時代初期には御殿があり、
上洛途中の家康や家光が休息
したそうです。
明治に廃寺
 坂下宿に入ってきました。
 鈴鹿峠の坂下にあることからこの名前がついたそうです。
 当初は片山神社下にあったそうですが、水害のために慶安3年(1650年)にここに移ったそうです。
 鈴鹿峠を控えていたことから賑わい、本陣3、脇本陣1、旅籠51軒を数え、戸数150軒で人口は500人ほどだったそうです。

古い民家

小唄にも歌われた
脇本陣小竹屋跡
 先にも紹介しましたが、明治にはいり鉄道の時代になったとき、鈴鹿の急勾配を避けて西よりの柘植経由で現在の草津線が開通したため、物流拠点として賑わっていた坂下宿は寂れてしました。
 現在の人口は150人余りなんだそうです。

法安寺

梅や本陣跡
 現在では建物も少なくて、空き地が目立っています。
 関側から、すごく疲れた顔をした女性二人が登ってきました。
 この時点で16:00近かったのですが、無事に峠を越えられたのでしょうか・・・

大竹や本陣跡

旧 関町のマンホール
 気温も下がってきて寒くなってきました。
 鈴鹿峠がゴールのような気がしていた相方さんは、すでに放心状態です。(笑)
 しかし坂下宿から次の関宿まで6.4km歩かないとお家に帰れません。

廃校になった小学校

坂下宿
 コミュニティバスがあるようですが、駅まで行かないと次回も大変ですからねえ・・・
 遅れがちになる相方さんとしばし休憩しました。
 再び出発したとき、相方さんは手袋を片方忘れてきてしまいました。
 とりに戻る気力もなく、先を急ぎます。

坂下宿

坂下宿

なんと!
HTBのマスコット
ONちゃんが磔になっていました!
 再び国道1号線と合流する直前、我々は恐ろしい光景を目にします。
 なんとHTBのマスコットONちゃんが、木にくくりつけられて磔になっていたのです。
 いったい何が起こったのでしょうか・・・
 国道1号線に合流してすぐ、反対車線に一里塚碑がありました。
 坂下一ノ瀬の一里塚です。日本橋まであと107里(428km)です。

坂下一ノ瀬の一里塚

鈴鹿川
 鈴鹿川に沿って山道を下っていきます。
 山陰に入ったのでさらに気温が下がります。
 相方さんはだいぶ疲れてきていました。
 東海道53次の浮世絵で、坂下宿の画題で選ばれた筆捨山が見えてきました。
 この山を描こうとした狩野元信が天候の急変で描き続けることができなくなり、筆を捨てた故事に由来した山です。
 この山の前にあった藤の茶屋も有名だったそうです。

筆捨山

坂下宿
東海道をゆく 続く
2018.2.4作成
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