ふきのとう
 薄曇りになって日が届かなくなってきました。
 遅れがちの相方さんを励ましつつ前進します。

もうすぐ関宿

転び石
 奈良への街道である加太街道への追分が近づいてきました。
 スーパーの工場、社員用駐車場の真ん中にでっかい岩がありました。
 撤去されないところを見るとなにか謂われがあるのでしょう。
 ガイドブックを見てみると、何度片付けても街道に転び出るところから転び石という名があるのだとか。
 弘法大師がうなり声を上げていたこの石を鎮めたそうです。

土筆がいっぱい
春はもうすぐ

関宿までやって来ました。
 ようやく関宿の入り口までやって来ました。
 日のあるうちに着けてよかったです。

ひだり いが(伊賀)やまとみち(大和みち)
加太街道との追分です。

本陣早立ちの図

観音院
絵になるなあ~
 まったく知らなかったのですが、関宿は昔ながらの宿場町の雰囲気を残すすばらしい場所でした。
 私は疲れを忘れて大興奮。写真をバシャバシャ撮りますが、相方さんは「駅はまだか」とうわごとのように言ってました。

延々と街並みが続きます。

いいですね~

立派な鏝絵
こちらは亀
 関宿は東の追分から西の追分まで約1.8kmの宿場町で、その間に約200軒の伝統的町屋が現存しています。
 国の重要伝統的建造物群保存地区日本の道100選にも選ばれています。

こちらは鶴

すごいな~
 昭和55年から地元の有志で街並み保存に努めた結果だそうで、先見の明があったということですね。

この量は圧巻ではないでしょうか

すごい彫り物
 私はうきうきと、相方さんはふらふらと歩きます。
暗くなってきました。

振り分け荷物の人が
出てきそうです。
 「駅は、駅はまだか~」と相方さん。
 関の小万の敵討ちゆかりの会津やさん前を通過します。

会津や
旧山田やさん

地蔵院
寺伝によれば天平13年(741年)開基
日本で一番古い地蔵尊を祀っているとか
 私は街道名物に夢中。
 まずは「志ら玉」
中にこしあんの入った柔らかいお餅です。美味!

志ら玉のお店

志ら玉
これとそっくりなお菓子が鳥取にも
ありました。

こちらは関の戸
こちらもうまいっす
 和菓子屋さんをはしごしてお土産を買います。
ものすごい鏝絵だ!

関の戸通過
 間口11間余り、建坪69坪、表門は唐破風造りの松皮葺きであったという伊藤本陣前を過ぎました。
伊藤本陣跡
今の建物も立派です。

これは昭和大正の看板ですかね
 関駅の看板がありました。
 名残惜しくはありますが、街道を右に折れて駅に向かいます。

軒下の塗りをご覧ください。

そろそろ駅かな
 駅までは緩い下り坂。そのせいか相方さんの足取りも軽くなってきました。
駅が見えてきた!

夕暮れの関宿

宿場町らしいマンホール
旧 関町のかな?
 17:30、ようやく関駅に到着しました。ここまでの踏破距離は36km(9里)!最長距離を更新しました。
 駅員さんは16:00までの勤務で切符売り場はやってませんでした。

寒くなってきました。

亀山行きの気動車
 寒いホーム待合で待つこと20分。ようやく17:50発の加茂行きの気動車がやって来ました。
 関のお隣亀山駅までは、JR西日本の路線。すごいところまで来てるんだなあ。

陸橋を渡って大坂方面へのホームへ
真ん中に機回し線の跡があるのが
国鉄風
こちらが大阪方面の風景

こちらが亀山・名古屋方面
駅舎横の貨物線がなんだか国鉄
 バス同様、車内で整理券をとるシステムでした。
 ようやく乗り込んだと思ったら、高齢の団体客が二両編成の座席を占拠。疲れ切った相方さんが気の毒でした。
 しかし二つめの駅で席が空いたので、さっと場所を取って相方さんに座ってもらいました。
 この際、お年寄りに席を譲るとか言ってられませんからねえ・・・
 

ようやく加茂行きがやって来ました。

大阪方面行きホームから
跨線橋と駅舎

これが関の戸
 関西本線は関西鉄道が敷設開業し、大阪~名古屋を結んで国鉄と乗客を奪い合った路線。そこかしこに長距離路線の雰囲気が残っていました。
 

本店のみ販売の特別版

こちらは土山の道の駅で買った
かにが坂飴
麦芽糖でできたやさしい甘さの飴です。
 聞き慣れない駅名を聞きながら揺られること1時間余り。ようやく加茂に到着。ここで奈良行きに乗り換え、さらに奈良で大和路快速へ。
 新今宮駅に着いたのは20:38でした。2時間かかるのすごいなあ。ちなみに料金は一人1920円。新今宮の駅員さんも整理券出されてちょっと焦ってました。新今宮駅の立ち食いそばで遅い晩ご飯。あったかいうどんが染み渡りました。
 おうち着いたら22:30でした。
東海道をゆく 続く
2018.2.17作成
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