亀山駅
古き良き国鉄時代の空気の
残る駅です。
 翌朝、ホテルの朝食をやっつけてチェックアウト。
 本日は四日市泊まりですが、車を移動させていると時間がかかるので、亀山駅前の駐車場に停めていくことにしました。
 1泊分の荷物を背負って亀山駅から電車に乗ります。

昨日の中断地点
加佐登駅まで戻ってきました。

春ですなあ
 加佐登駅に到着。8:00に駅前を出発しました。
 庄野宿北詰まで戻って国道1号線にでるルート。
 国道1号線の歩道をてくてくと歩きます。
 いったん国道を離れて県道27号線の高架下をくぐり、国道1号線をくぐったところに宿の案内板がありました。
 眼前の田んぼには水が入っていました。
 しばらく関西本線の土手下を歩いて北側に抜けると石薬師の一里塚跡にでます。

田んぼには水が入ってました。

関西本線と併走します。

関西本線の築堤をくぐります。
大きな木の下が一里塚跡
 石薬師の一里塚は日本橋まであと102里(408km)。石薬師宿碑と常夜灯がありました。
石薬師一里塚跡

石薬師宿

石薬師宿跡
 石薬師宿までやって来ました。
 お隣の庄野宿と同じく利用者が少なかったため、宿場経営は苦しかったようです。

街道旅のため、ナイキのシャツを
新調しました。

石薬師寺
 宿場名の由来となった石薬師寺です。
 大伽藍だったそうですが、戦国時代の兵火で焼失。
寛永6年(1629年)、当時の神戸(かんべ)藩主一柳直盛が再建したそうです。

蒲冠者範頼之社
 宿場には源頼朝の弟、範頼を祀った神社がありました。
 範頼は遠江国蒲御厨(静岡県浜松市)で育ったため、蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれていました。

解説板
 神社から数十メートル南に蒲桜がありました。
 範頼が平家追討の折、石薬師に戦勝を祈願した時、ムチにしていた桜の枝を地面に突き刺したところ、根付いたとの伝承のある木です。

解説板

少し花が残っていました。
 桜の季節は終わっていましたが、少しだけ花が残っていました。
街道を先へと歩きます

国道1号線をまたぎます。
 現在の石薬師宿は、国道1号線の切り通しで分断されていました。
 国道1号線をまたいで歩きます。

石薬師宿

一日 加佐登 と書いてます。
 石薬師は佐佐木信綱生誕地なんだそうで、生家が残ってました。
 国文学者、歌人なんだそうで、「夏は来ぬ」で知られる方なんだそうです。

こちらは橋の跡でしょうか

この手の看板も
いろんな種類があるのです。
街道歩くといろんなものに
気づきます。
 小澤本陣跡です。宿帳には浅野内匠頭や大岡越前守の名前があるそうですよ。
 石薬師宿を抜けて次の四日市宿を目指します。

小澤本陣跡


石薬師宿終了
国道1号線と合流します。

四日市市に入りました
 しばらく国道1号線を歩きます。けっこう交通量多くて排ガスとの戦いが続きます。
 采女の一里塚跡までやって来ました。日本橋から101里(404km)です。

采女一里塚跡

四日市市街が見えてきました。
 采女一里塚の辺りで切り通しを下っていく国道1号線を離れて旧道を歩きます。
国道を離れて旧道を歩きます。

血塚社
日本武尊は
ここで傷による出血を封じたと
言われています・
 承応年間(1652年頃)創建の日本武尊血塚社です。
 この先にある杖衝坂が日本武尊の伝承が残る場所なのです。
 伊吹山で賊と戦って傷ついた日本武尊が、剣を杖代わりに越えた坂が、この杖衝坂です。
 坂を越えた尊は、「吾が足は 三重の勾り(まがり)の如くして 甚疲れたり」と言ったそうです。
 これが三重という地名の語源だそうです。

杖衝坂(つえつきざか)
東海道の難所でした
松尾芭蕉はここで落馬してます。

けっこうな下りで膝にきます。
 東から来たらしい親父の群れをかき分けて坂を下っていきます。
 けっこうな急坂で、馬上でうとうとしていたら振り落とされるかもしれませんねえ・・・

史跡 杖衝坂

常夜灯
文化8年(1811年)建立
 落馬して詠んだ俳句が碑になってました。
 この辺りは采女村と呼ばれていまして、その昔天皇の身辺に仕える「采女」と呼ばれた人たちの出身地だったところです。

芭蕉句碑
「徒歩ならば 杖つき坂を
落馬かな」
貞享4年(1687年)のことだそうです。

四日市市のマンホール
 ようやく坂を下り終わりまして、国道1号線の下をくぐって内部橋を渡りました。
坂を下ってきて突き当たりの旧宅

内部川

観音寺
 小古曽までやって来ました。
クランク状の街道を抜けて歩いていきます。

わんこさんお昼寝中

追分駅の踏切
 四日市あすなろう鉄道追分駅で踏切を渡ります。
 「なんか線路の幅狭くない?」と気づいた方はエライ!
 この鉄道、幅762mmという狭軌で敷設された鉄道なのです。
 びっくりするくらい線路の幅が狭いんですよ~
 踏切を渡ってすぐのところに、有名な日永の追分がありました。

日永の追分

すぐ(まっすぐ)江戸道
右 京 大坂 道
 ここが伊勢参宮道(お伊勢参りの街道)と東海道との追分(分岐点)になります。
 かつては茶屋が軒を連ね、饅頭が名物であったそうです。

左 いせ

一本松
かつての松並木の名残です。
 後ろからきたカップルにさっさと抜かれてしまいました。
 東海道はちらほらと街道を歩く人がいます。
 追分から北上していくと、松の木が一本。
 かつて街道沿いにあった松並木の名残なんだそうです。

街道はあすなろう鉄道と併走してます。

日永一里塚跡
 日永の一里塚までやって来ました。
日本橋まで100里(400km)いよいよ400kmを切りました。
東海道をゆく 続く
2018.3.16作成
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