日永神社
 日永の一里塚を過ぎてさらに北上します。
 左手に日永神社がありました。この神社は神戸(かんべ)藩本多家の崇敬が篤かったそうです。
 境内に道標が保存されていました。
 この道標は明暦2年(1656年)建立のもので、かつては日永追分に置かれていたものです。
 現存する東海道の道標では最古のものなんだそうです。
 先ほどみた道標が嘉永2年(1849年)に建てられたときに、近くにあった追分神明社に移され、明治40年に追分神明社が日永神社に合祀されたときに現在地に移されたようです。

日永の追分道標

てくてく歩く
 天白川を渡ってさらに北上します。
面白いですね!

天白川を渡ります。
昔は両側に田んぼが
広がっていたのでしょうか・・・
 併走する国道1号線の抜け道になっているらしく、かなりの交通量です。
 けっこうスピードも出てまして、おっかなびっくり歩きます。

大宮神明社

鹿化川を渡る
 鹿化川を渡ると、街道の近くに四日市あすなろう鉄道の赤堀駅がありました。
 ちょうど電車がやって来たので、写真をとりました。

赤堀駅

特殊狭軌だけあって、
車両も細長くで安定悪そう
 四日市あすなろう電鉄(内部線)は大正元年に開通した鉄道で、軽便鉄道として開業しました。
その後近鉄が吸収合併しましたが、開業当時の規格のまま営業を続けていました。
 近鉄はバス転換を図りましたが地元自治体は鉄道継続を選び、四日市市が軌道や車両を所有し、あすなろう鉄道が運営する方式で営業を続けてます。
 「あすなろう」狭軌(ナローゲージ)をかけたネーミングだそうです。

鈴木薬局
創業寛延3年(1750年)
建物は嘉永5年(1852年)のもの
 赤堀駅近くにはすごい薬局が!
 江戸時代から300年、薬を作り続けているお店ですよ!
 日本ってすごいなあ・・・

こちらは昭和初期くらい?
の銅板貼ってる商家

もうすぐ四日市駅前です。
 近鉄四日市駅までやって来ました。
 ここで街道の旅を一時中断。何するのかって?
 それは・・・

近鉄湯の山線で二駅
伊勢松本駅下車
この車内で、若い女性に人生で
初めて席を譲られました。
疲れて見えたのかな・・・(・ω・)

伊勢松本駅舎
 近鉄四日市から電車に乗りまして、伊勢松本駅までやって来ました。
 ここには四日市トンテキの名店、
「まつもとの来来憲」
があるのです。

トンテキでございます。

おにぎりあたためますかも
ご来店
 四日市には来来憲を名乗るお店が何店かあって、自由が丘の来来憲でトンテキを食べたことがあったのですが、こちらの方が有名らしいので来てみました。
 自由が丘よりもあっさりと感じたトンテキはボリュームたっぷりで、歩き疲れた二人にエネルギーを充填してくれました・・・

近鉄電車で四日市駅に戻ります。

四日市のゆるキャラ?
 すっかり腹一杯になって四日市駅まで戻ってきました!
 街道旅再開です。

諏訪神社
創建は応永年間
室町時代のことでございます。

東海道53次の四日市
嘘だと思われるかもしれませんが、
四日市を歩いている間、微妙な風が
ずっと吹いてまして、
相方さんがこの絵のように
帽子を追いかけて何度か走りました。
 諏訪神社を過ぎて国道1号線を渡ります。
 この辺りは区画整理で街道の一部が失われています。
 国道の南側に文化7年(1810年)建立の道標が残されていました。

すぐ(まっすぐ)江戸道

四日市市のマンホール
 街道の右手に笹井屋さんがありました。
 日永名物「なが餅」の老舗で、創業天文19年(1550年)なんだそうです。
 藤堂高虎(津藩初代)が足軽の頃「武運ながき餅を食うは幸先よし」といい、大名になってからも参勤交代の折りに立ち寄ったお店です。
 普通のなが餅は食べたことがあったので、限定品の伊勢茶を使ったなが餅を買ってまいりました。
 大変おいしゅうございました。

笹井屋さん
しかしなが餅は5本からしか
売ってませんので注意

本かぶせ茶使用
なが餅

包み紙も街道テーマ

三滝川を渡ります。
 川を渡ってしばらく歩くと今度は嶋小餅店さんを発見。
 こちらも創業文政年間(1818年~)の古いお店。
 入ってみるとお団子が名物のようです。
 1本から買えるとのことで、さっそく買い求めようとするとストップが。
 なんでもこちらのお団子はみたらし団子のように甘くなく、どちらかと言えば醤油味のせんべいのような、しょっぱいお団子なんだとか。
 しかしおいしそうなので、3本買いました。

嶋小餅店

三ツ谷一里塚跡
 海蔵川を渡ったところで三ツ谷一里塚跡を発見。
 日本橋まであと九十九里(396キロ)です。

国宝元三大師道道標

四日市市のマンホール
 しばらく国道1号線を歩きます。
 笹井屋の三ツ谷支店を通過したところに道標発見。
 大正12年(1923年)の建立です。

右 桑名 道
左 四日市道

光明寺
 道標を過ぎてレッドバロンの辺りで街道は国道1号線を離れます。
 立派なお寺がありました。光明寺です。

光明寺本堂

立派な鐘楼
 だんだん気温が下がってきましたが、行けるところまで行くことにします。
彫り物もすごい

時々立派な旧家が残っています。

包み紙
 志氐神社社標の石碑に座って先ほど嶋小餅店で買ったお団子をいただきました。
 説明通り甘くはなく、せんべいのような醤油辛い味です。
 焼きおにぎりの感覚でいただくとおいしいかと思われます。

お団子!

かわらずの松
 堀切橋を渡ったところに松の木がありました。
 かつて街道にあった松並木の名残で、樹齢は200年だそうです。
 その先に米洗川という川がありました。
 壬申の乱の時、大海人皇子が神に供える御神酒を造るため、この川で麹米を洗ったという伝説のある川だそうです。
 そのほとりに大神宮常夜灯が建っていました。

常夜灯
東海道をゆく 続く
2018.3.25作成
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