進め進め
 お寺のところで街道がクランク状に折れ曲がっていました。
 曲がった先には「力石」がありました。重さはなんと32貫(120キロ)ありまして、村人たちが力自慢に持ち上げたのだとか。

力石

常夜灯
天保10年(1839年)のもの
 近鉄富田駅前までやって来ました。
 かつて富田村だったところで、焼ハマグリが名物の立場(宿場間の休憩所)でした。
 この辺りで時刻は15:30。切り上げようかどうか迷いましたが、もう少し先まで行くことにしました。しかし雲が出てきて冷たい風が吹き始めtえ結構な寒さに。コンビニでお茶を買ってジャケットを羽織りました。

富田一里塚跡
日本橋まであと九十八里
(392km)

タカハシ酒造
「天遊琳」の蔵元
 楽しみにしていたタカハシ酒造は、閉店15分後に到着。そのまま通過します。
 タカハシ酒造を過ぎて堤防に登り、朝明川を渡ります。川の名前は日本武尊がここで夜明けを迎えて川水で口をすすいだことに由来するそうです。

朝明川
左手に見えるのは伊勢湾岸道

桜並木
 川を渡ると今度は伊勢湾岸道の高架下をくぐります。
 ようやく四日市市を過ぎて朝日町に入りました。
 この辺りに桜並木が続いていますが、かつては松並木だったそうです。

朝日町のマンホール
梅かな?

浄泉坊
桑名藩松平家の菩提寺だそうです。
 朝日駅前を通過して浄泉坊を通ると大きな工場が見えてきました。
 東芝三重工場です。この頃すでに決算がどうのという報道があったので、相方さんとどうなるのかなーといいながら通過しました。

東芝三重工場

縄生(なお)一里塚跡
 近鉄朝日駅踏切を通過してしばらく行くと、見落としそうな石碑が建っていました。
縄生の一里塚跡です。日本橋まであと九十七里です。
 翌日午前中も歩く予定でしたが、ここまで来たら今日ゴールしてしまおうと、先を急ぐことにしました。 

町屋橋
 日没までにゴールしようと先を急ぎます。
 員辺川までやって来ました。これを渡れば本日のゴール、桑名市です。
 かつてこの川には町屋橋(寛永12年架橋)という橋がかかっていたそうです。

桑名市に入ります。

伊勢神宮常夜灯
文政元年(1818年)建立
船運の灯台を兼ねたそうで。
 現在の町屋橋を渡って北側に入ると旧東海道です。
 この辺りはかつての安永村で、安永餅というお餅が名物でした。
 ビジュアルとか味は「なが餅」そのままなんですけどね(笑)

明治になってからの里程碑
三重県庁まで十一里余り

了順寺
山門は桑名城の門を移築したそうです。
鐘楼も立派です。
 いよいよかつての桑名城下に入りました。
 

火の見櫓跡

桑名市のマンホール
ハマグリバージョン
 日が傾いてきまして寒さも増してきました。震えながらゴールを急ぎます。
桑名市のマンホール
折り鶴バージョン

和菓子屋さん
古そうな建物です。
 急いでいるのに、買い物袋からネギをのぞかせたおばちゃんにつかまりました。
 どこから来たの~とか、エライ遠くから~とかいろいろお話いただくのですが、急いでいたのでちょっとつらかったです(笑)

道標
明治のものです。
左 東海道 渡船場 と読めます。

一目連神社
鋳物師の守護神だそうです。
 この辺りは桑名藩が鋳物師の広瀬氏を招いて住まわせた場所だそうです。
 鋳物が大変盛んだったそうですよ。

天武天皇社
祭神は天武天皇
壬申の乱の時、ここに泊まったそうです。

桑名市のマンホール
七里の渡しバージョン
 天武天皇社を過ぎた辺りから旧街道をトレースするのが難しくなってきました。
 枡形の跡をくねくね回ったりとか・・・

昭和初期くらい?の民家

南大手橋跡
 それでもようやく桑名城跡までやって来ました。
 桑名城は徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝が築いたお城です。
 関ヶ原合戦後、10万石で入って桑名城を整備したのですが、4重6階の天守をはじめ、城内には51基の櫓が並んでいたそうです。

三の丸堀

水門を埋めた跡
 その後、桑名藩主は松平(久松)家、松平(奥平)家と変わり、再び松平(久松)家が藩主となったときに、明治維新を迎えました。
 幕末の藩主であった松平定敬は京都所司代を務め、実兄であった会津藩主松平容保とともに京都の治安維持に努めていました。
 このため会津藩と並んで朝敵とされてしまい、定敬は桑名に戻ることができず、国外まで逃亡したそうです。

桑名城は三の丸しか石垣が
残っていません。

桑名宿
七里の渡し
蟠龍櫓が描かれています。

しるべいし
自分の子供が迷子になると、
特徴を書いた紙をこの石に貼り付けます。
それを見た心当たりのある人が、
「○○で見た」と紙に書いて
この石に貼って知らせたそうです。
 桑名城は四日市港の建設のためなどで石垣を取り壊され、かつての威容を想像することは難しいです。
 朝敵となった桑名藩への懲罰のため、特に破壊されたと言われています。

歌行燈
小説に出てくるうどん屋さんだそうで。

春日神社
 桑名城下の桑名宿は七里の渡しを控え、伊勢参りの起点でもあったので大いに賑わったそうです。
 旅籠の数も宮宿(熱田)についで多かったそうで、本陣2、脇本陣4、旅籠120軒あったそうです。

東海道もあと少し

七里の渡し跡
伊勢 一の鳥居が建ちます。
 ようやく東海道七里の渡しまでやって来ました。
 寒くって寒くって大変でしたが、無事ゴールできました。

三の丸堀は船だまりに

鳥居と蟠龍櫓

中は国土交通省水門統合管理所
 渡し場跡の近くには、浮世絵にも描かれた蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が外観復元されていました。
 

夕日に照らされた櫓

夕暮れの蟠龍櫓
 管理所を建てるに当たって蟠龍櫓のあった場所に計画されたことから、外観を復元することになったそうです。
 粋な計らいですね。

長良川の河口堰

桑名駅に向かって歩きます。
 冷えた体を寄せ合いながら近鉄桑名駅を目指します。
 なんとか日没までにゴールできてよかったです。

桑名のマンホール
七里の渡しバージョン

ハマグリバージョン
 この日は四日市駅前のビジネスホテルに宿を取りました。
 鈴鹿サーキットのイベント前夜ということもあって居酒屋はどこも満席。
 四日市の近鉄百貨店内のサンマルコというカレーショップで晩餐と相成りました(笑)

今宵の晩酌
東海道をゆく 続く
2018.4.1作成
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