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![]() 中京競馬場前駅 |
さて、二日目の朝を迎えました。 ビジホの送迎バスにのって名古屋駅に移動。 名鉄に乗車して、昨日の中断地点である中京競馬場前駅に向かいます。 |
![]() 豊明市のマンホール テーマは桶狭間の戦いかな? |
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![]() 東海道を東へ向かいます。 |
駅の改札を通って国道1号線にでます。 国道を歩くのはほんの少し。国道を外れて旧道を歩いて行きます。 ここからは豊明市になります。 |
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![]() 常夜灯 |
今川方の兵を葬った戦人塚の麓を歩いて行きます。 特に盛り上がる場所はなく、黙々と歩きます。 明治の常夜灯がありました。 |
![]() 明治43年のもの |
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![]() 前後駅近くの旧家 |
名鉄前後駅近くまで来ました。 昔、前後村があったそうで、地名の由来は桶狭間合戦の時に今川軍が前後を争って潰走したことからなんだそうです。 |
![]() 読み取れない石碑 横にあった解説によれば 南面に 「これよりくつかけ 祐福寺 ふくた原 さなげ道 西面に 「文化4年(1807年)」 と刻まれているようです。 |
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![]() マンホール |
ガイドには東海道名残松の記載があったのですが、時すでに遅し。 切り株になっていました・・・・ |
![]() こちらが切り株 |
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![]() 阿野一里塚 |
日本橋まであと86里(344キロ)までやって来ました。 阿野一里塚で、両塚が現存しています。国の指定史跡なんだそうです。 |
![]() 北塚 |
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![]() 三寿園 |
豊明駅にもほど近いところに、きれいなお店がありました。 創業150年のお店のようで、寄り道しました~ |
![]() う、うまそう! |
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![]() すぐに食べる(笑) |
お団子食べ食べ歩きます。 いつも走っている伊勢湾岸道の高架下をくぐって、しばらく歩くと橋がありました。 |
![]() その名も境橋 |
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![]() 境川と境橋。 |
なんの境かと言いますと、尾張国と三河国の国境なんです。 橋を渡って三河国に入ります。今は豊明市と刈谷市の市境になってます。 今川町の交差点で地下道をくぐって国道1号線の南側に出るのですが、地下道が分からずに道路を走って横断しました(笑) |
![]() てくてく歩く |
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![]() マンホール カキツバタ? |
この辺りはかつての今川(いもかわ)村で、東海道の立場(休憩所)でした。 ひもかわうどん発祥の地といわれております。 かつては街道一と言われていたそうですが、雰囲気はかけらも残っておりません・・・ |
![]() 名鉄名古屋本線 |
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![]() 今川歩道橋 アンダーパスの途中を 歩道橋がまたぐという 中途半端な歩道橋 |
少し離れたマンションで火事らしく、付近の道路は大渋滞。 その上を歩道橋で越えていく我々 でした。 徒歩は渋滞関係ないのです。 |
![]() 乗蓮寺の椎の木 樹齢850年以上なんだとか |
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![]() 街道沿いの旧家 |
いもかわうどん発祥の地の解説を見ながら歩きます。 | ![]() いもかわうどん発祥地の解説と 小さな常夜灯 |
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![]() 寛政の常夜灯 |
日本昔話に出てきそうなお寺がありました。 洞隣寺です。 恨みから何度直しても傾いてしまう墓石があるお寺です。 ちなみにそのお墓は豊前國中津藩士のものなんだとか。 |
![]() 洞隣寺 天正8年(1580年)開基 刈谷城主 水野忠重が建立したそうです。 中津藩士のお墓があります。 中津藩の家臣二人が 痴情のもつれで斬り合いとなり、 二人とも亡くなってここに埋葬されたとか。 |
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![]() 今岡町の歩道橋を越えます。 GWの国道1号線 |
今岡町の歩道橋で国道1号線を北に渡ります。 しばらく国道1号線を離れますが再び国道へ。 一里山という地名の歩道橋がありますが、ここから知立市に入ります。 一里山の地名のとおり、かつてここに一里塚がありました。 江戸まで340km。 |
![]() 日本橋まで85里(340km) |
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![]() 歩道橋から見下ろす国道 なんか新鮮な風景です。 |
国道1号線を離れて相妻川を渡ります。 この川には在原業平を慕ってここまできた杜若姫(かきつばたひめ)が川を渡って逢ったという伝説があります。 |
![]() 逢妻橋 |
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![]() 知立祭りの山車 立派です。 |
橋を渡って知立の市街地まで来ると、なにやら賑やかなのであります。 なんと偶然ですが、この日は 知立祭りでした。 知立神社の神事で、承応2年(1653年)から続いているそうです。 |
![]() 知立神社 多宝塔 国の重要文化財です。 永正6年(1509年)再建 再建してから何年?! |
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![]() 知立神社本殿 |
天保2年(1831年)に建てられた本殿前ではお祭りの安全祈願の真っ最中でした。 知立神社の創建は古く、第12代景行天皇の時代、日本武尊が創建したといわれています。 |
![]() 石橋 |
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![]() 享保17年(1732年)のもの 東海道名所図会にも 描かれているそうです。 |
道中の無事を祈願した後、街道へと戻ります。 街道沿いでお店を発見! 知立名物「あんまき」の元祖、小松屋本家さんです。 |
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![]() 知立祭りの焼き印 期間中だけ? |
明治22年頃にできたという「あんまき」とっても甘くておいしかったです。お勧めでございます。 我々は白あんと粒あんをいただきました。 |
![]() さあ食うぞ~ |
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![]() 街道に戻って旅再開 |
朝のおやつも済んだところで、歩き出します。 | ![]() 了運寺山門 |
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![]() 玄関に破風のある旧家 |
熱田でも見た玄関に破風のある旧家がありました。 脇本陣でしょうか? そう言えばお祭りでうきうきして忘れていましたが、ここは東海道の宿場町、池鯉鮒(ちりゅう)です。 |
![]() 池鯉鮒宿の浮世絵 宿場の名物であった 馬市を描いています。 |
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![]() 知立城跡 |
街道沿いに公園がありました。 知立城跡だそうです。 知立神社の神主の永見氏によって築かれました。 永見氏は刈谷の水野氏と関係しつつ、松平清康、今川義元に従いましたが、桶狭間合戦後に織田方に攻められて落城しています。 その後、水野忠重によって御殿が建てられて将軍上洛時の宿舎に当てられていましたが、1699年に地震で倒壊したそうです。 |
![]() 江戸時代に描かれた知立古城 |
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![]() 旅籠柳屋跡 今は和菓子屋さんになってます。 |
街道沿いに江戸時代の旅籠の建物が残っていました。 |
![]() 破風が変わってます |
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![]() 伝わるかなあ・・・ 破風が斜めになっているのです。 |
八百屋さんだったんでしょうか? 道に合わせて建物が斜めになっていて、それに合わせて破風があるので斜めになっているのです。 |
![]() 常夜灯 |
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![]() 街道を歩きます |
街道を進む先に人だかりが見えてきました。 | ![]() 町屋 |
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![]() 知立各町の山車 人形浄瑠璃上演中 |
知立祭りには本祭りと間祭りがあって、人形浄瑠璃は本祭りでないと見ることができないそうです。 | ![]() 宝町 |
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![]() 本町 |
運良くいいものを見ることができました。 街道に各町の山車が勢揃いしていて盛観でした。 |
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![]() 西町 |
山車の行列は名鉄三河線の踏切まで続いていました。 | ![]() 西町 |
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東海道をゆく 続く | |||
2018.5.5作成 | |||
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