からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
旅をしぞ思ふ
伊勢物語・東下に出てくる和歌で、
この辺りで詠まれたそうです。
 池鯉鮒宿を過ぎました。
 交通量の多い国道1号線を地下道でくぐります。

国道1号線をくぐる地下道

池鯉鮒宿東側にある松並木
 池鯉鮒宿東側には立派な松並木が残っていました。
 かつての東海道の松並木です。側道があるのが特徴で、かつての馬市の名残なんだそうです。
 毎年4月から5月はじめに近隣はもとより遠くは甲信越から馬がつれてこられて取引されたそうです。
 今ならさしずめトラックやトラクターの見本市といったところでしょうか。

馬市跡の碑
 この東海道の北側に、伊勢物語東下りの段に出てくる八橋の舞台だったであろうと言われている場所があります。(名鉄三河線三河八橋駅あたり)
 水の流れが蜘蛛の巣のように分かれていて、八つの橋が架かっていたことに由来する地名だそうで、かきつばたの名所だったそうです。

街道脇に八橋をイメージした
公園が
 この伊勢物語にちなみ、愛知県の県花はかきつばたなんだそうです。
かきつばた。
石碑と民家の写真ばかりの中で
ちょっとした癒やしですね(笑)

さあ日本橋まであと84里余り
(336km)

衣浦豊田道路の高架

高架下の歩道橋を渡ると
このような景色になります。

交差点西側が松並木
ドローンのような視点がいい感じです。

「これより5丁北八橋業平作観音作
八橋山無量寺」の石碑
元禄12年(1699年)のものです。
 八橋は江戸時代にも有名な観光スポットだったらしく、道標が建てられていました。
結構古いもので、江戸時代初期に建てられました。
 高架下の歩道橋を渡ってすぐのところです。

来迎寺の一里塚
日本橋まで84里(336km)
 来迎寺の一里塚です。
 両塚が残ってまして、塚木は黒松。愛知県史跡です。
 北塚は公民館裏、南塚はミニ公園のようになっていました。
 一里塚近くの来迎寺は今崎城の跡です。永禄3年(1560年)頃の織田方のお城だったそうです。

両塚残ってます。

こちらは元禄9年(1696年)の道標
これより4丁半北
八橋 業平作観音有
と刻まれています。
 一里塚を過ぎた来迎寺町交差点に道標がありました。
 先ほどと同じく伊勢物語関係の八橋無量寿寺への道標でした。
 ほんとに観光名所だったんですねえ。

解説板

もうすぐ知立市も終わりです。
 この辺りは松平VS織田の戦跡がたくさん残っている場所です。
御鍬神社
伊勢から勧請された神社

安城市に入りました
 猿渡川を渡って安城市に入りました。
 安城といえば徳川家康の祖父、松平清康の居城だったところで、家康の父広忠は、織田方に奪われた安城城奪還を果たせずに亡くなりました。

安城市のマンホール
お祭り?

5月らしい写真を載せてみました。
電線が邪魔・・・
 所々に残る松並木を楽しみながら街道を東へと向かいます。
ところどころに松が残り、
街道の名残をとどめています。

扇と鼓のマンホール

大正3年(1914年)の常夜灯
まだ街道が現役だったんですね。

ほんとに街道ぽいです。
 途切れ途切れに続く松並木に興奮しながら歩きます。
こつこつ写真に収めてます。

明治川神社鳥居
 明治川神社にやってきました。
 天明14年(1784年)から明治14年(1881年)にかけて完成した灌漑用水に尽力した人たちを祀った神社です。
 この用水ができるまでは、この辺りは安城が原と呼ばれる荒野だったそうです。

永安寺

雲龍松
 永安寺です。ここには樹齢300年を超える雲龍松があります。
雲龍松

この力強い幹をごらんください。
 永安寺の場所には庄屋であった柴田助太夫の屋敷があった場所でした。
 村が宿場の助郷役を命じられたとき、村の窮状を訴えて助郷役免除を願い出たそうです。
 助太夫は処刑されましたが村の助郷役は免除されたそうで、村人たちはその恩を忘れぬために屋敷跡にお寺を建てたそうです。
 そのお寺には高さ1,5mのところから幹が三方に伸びた松があり、龍が雲を得て天に昇る姿に見立てて雲龍松と呼ぶそうです。
 立派な松でした。
 暑くなってきたので、松を見ながら給水タイムしていました。

また日が差してきて気温上昇
 うどん・そばが名物の茶屋があったという旧宇頭茶屋村を過ぎ、旧尾崎町までやって来ました。
 ここには尾崎の一里塚がありました。
 日本橋まであと83里(332km)です。

尾崎の一里塚跡

予科練の碑
 一里塚碑のある場所は熊野神社の境内でして、その一角に予科練の碑がありました。
 碑文を読むと熊野神社裏あたりに第一岡崎海軍航空隊の基地があったそうです。
 全然知らなかったなあ~

この辺り?

まもなく国道と合流
 大きなマクドナルドが見えてきて、国道1号線と合流しました。
 合流後しばらく行くと、岡崎市に入りました。
 徳川家康のふるさとなのであります。

岡崎市に入る

薬王寺
 排気ガスを浴びながら、国道1号線を歩きます。
 薬王寺は奈良時代からのお寺だそうで、本堂は古墳の上に建てられているそうです。
 室町時代、三河薬王寺派と呼ばれる刀鍛冶集団が活躍したところでもあります。

聖善寺

岡崎市のマンホール
矢作橋と岡崎城

お麩やさん
 日陰のない国道1号線を離れて旧道を歩きます。
 矢作川西岸の旧矢作村を歩きます。

ひこそ神社
矢作町の鎮守

破風のある玄関
 ちょっと街道の雰囲気出てきましたね。
町屋がちらほら

勝蓮寺
徳川家康の長男、信康の肖像画が
あります。
 ようやく矢作川までたどり着きました。
 

矢作川堤防
堤防下に見えるのが勝蓮寺です。

出合像
蜂巣か小六と日吉丸の
伝説にちなんだ像です。
 矢作川には江戸時代を通じて矢作橋が架けられており、名所でした。
 江戸時代、みだりに架橋が許されていなかったため、矢作橋のような大きな橋は珍しかったのでしょう。

矢作川

旧八丁村
 矢作川を渡ったところが旧八丁村。
 岡崎城から西に八丁(800m)のところにあったことに由来する村です。
 今では八丁みそのふるさととして有名です。

マンホール

立派な蔵だわ~
 名古屋圏では、米麹や麦麹を使わずに豆麹を使った全量豆のお味噌(赤味噌)が使われています。
 中でもここ八丁で作られている赤味噌は八丁味噌と呼ばれてブランドになってます。
 現在はカクキューとまるや八丁味噌の二社が八丁味噌をつくってます。

そう言えば朝の連ドラの舞台にもなりましたねえ
 この時点で時刻は14:00。
 さすがに腹が減ってきました。

東海道
八丁村にて

味噌煮込みうどん
 どーせなら地元の名物を!ということで、カクキュー併設レストランで味噌煮込みうどんをいただくことにしました。
 時はGW。カクキューさんの店内は観光客であふれていましたが、時間が時間なので、余り待たずにご飯にありつけました。
 とてもおいしゅうございました。
東海道をゆく 続く
2018.5.20作成
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