岡崎城天守
西惣門跡から
 愛知環状鉄道の高架をくぐって国道248号線までやって来ました。
 ここはかつて岡崎城下の西口にあたる西惣門があった場所です。
ここから岡崎の城下町が始まります。
 ここで街道を離れて岡崎城見物に出かけました。
 以前訪問したときに登れなかった天守に登ってみました。

岡崎城天守

水手門跡
 しかし復元天守の御多分に漏れずあんまりよくありませんでした。
 二の丸にある三河武士の館で少し遊んできましたが、結果大幅に時間が押してしまいました・・・
 結局岡崎城を出発したのは15:45になりました。

岡崎の銀行
 先を急ぐ我々の前に立ちふさがったのが、岡崎27曲がり
 敵兵に攻め込まれにくくするための27曲がりが、なかなか先に進ませてくれません。

地元の偉人紹介

徳川四天王紹介
井伊兵部少輔直政
子孫は彦根35万石
 くねくねと街中を無駄に歩かされてしまいます。
榊原式部大輔康政
子孫は越後高田15万石

本多中務大輔忠勝
子孫はここ岡崎で5万石
 あっちかな?ここ曲がるんだよね~ということで先になかなか進まないのです。
 しかしめげずに先を急ぎます。

酒井右衛門督忠次
子孫は出羽庄内17万石

立派な建物
岡崎信用金庫資料館
(旧岡崎銀行本店)
大正8年の建物です。
 東惣門跡を通過して岡崎城下を出ました。
 東海道に面して立派な建物がありました。銀行の本店だった建物で、かつての岡崎の賑わいを感じますね~

歩道にも道案内あり

明治の道標
西 京いせみち
きらみち
 岡崎市もこの辺りは人通りも少なくて寂しかったです。
 かつては賑わっていたような場所なんですが・・・

27曲がりの解説板

この辺り古そうな町屋がちらほら
 岡崎宿の名物に「淡雪豆腐」というものがあったそうです。
 絹ごし豆腐に八丁味噌をかけたものだったそうですが、そこからヒントを得て明治2年に発売された「銘菓あわ雪」が岡崎銘菓になっています。
 こちらは卵白を使ったお菓子なのですが、備前屋さんで買ってきました。
 相方さんがエライ楽しみにしていたので、時間が押してはいましたが無理矢理寄りました。
 追加で「淡雪豆腐」「手風琴のしらべ」を強引に買ってきたのは私です(笑)
 どっちもおいしかったです。

備前屋さん
創業天明2年(1782年)

立派な看板の酒屋さん

これおいしかったです!

常夜灯
 寛政2年(1790年)建立の常夜灯がありました。
 痛みが激しいため、小屋の中に入っていました。

解説板

もうすぐ27曲がりも終わり
 だんだんと町外れ感が出てきました。
 

江戸からの最初の曲がり

27曲がりの江戸口に公園が
ありました。
 とうとう岡崎宿の外れまでやって来ました。
 小さな公園と石の解説板がありました。

石の解説板

岡崎城下と岡崎宿

常夜灯
文政13年(1830年)のもの
 疲れて来てはいますが、相方さんが張り切って距離を伸ばそうと歩いているので、私もがんばってついて行きます。
 しかし日が陰って寒くなってきました。
 街道は国道1号線に合流します。しばらく歩くと岡崎ICがありました。
 街道はICの下をうねうねと続いていました。

大平一里塚
日本橋まで80里(320km)
本多作左衛門重次の子
成重が築いたもので国指定史跡
南塚が現存しています。

東海道
 大平一里塚を過ぎました。
 ここ大平は大岡越前守忠相の所領があった場所で、陣屋が設けられていました。 
 しかし大岡家は江戸定府で参勤交代しなかったので、ここに忠相が来たことはないそうです。
 残念。

陣屋門(復興したもの)

解説板

道標
東海道
つくて道
 西大平藩陣屋跡を過ぎて東海道を東へと進みます。
 

常夜灯
文化4年(1807年)

岡崎宿の浮世絵
矢作橋を描いています
 乙川を渡りますが、江戸時代からの橋は失われているので、国道1号線の橋で迂回します。

乙川
 乙川の東岸は昔の街道の風情が残っていました。
乙川東岸の東海道
舗装はされていますが、
かつての雰囲気を残してます

住宅地の中を歩きます。
 田んぼを抜けて山網川を渡ると美合町の街中を歩きます。
 結構交通量もありますが、松並木も残っていて街道だったことが分かります。
 道はやがて国道1号線と合流します。

見合の松並木

藤川宿の看板
 国道1号線をしばらく歩くと、藤川宿の看板が見えてきました。
 ここから国道を外れて旧道を歩きます。

こちらが旧道

いい感じじゃない?
 ちなみにこの旧道の右側は赤男爵の工場でした。
地図を片手に歩きます。

吉良道道標
吉良への追分
 名鉄名古屋本線の踏切を渡ったところに道標がありました。
 吉良への追分にあたる場所なんだそうです。

田んぼに映る名鉄

藤川一里塚跡
江戸まで79里(316km)
 藤川宿の入り口は松並木が続いていてとってもいい場所でした。
 ゴールが近づいてきたので早足になります。
 藤川宿には慶応2年(1866年)には旅籠が32軒、駕籠やが4軒あったそうです。

焔魔堂
宝永7年(1710年)のもの

豊橋行き
 名鉄藤川駅の北側にある道の駅でトイレを済ませたあと、靴の金具にズボンを引っかけて破いてしまいました。
 買ったばかりだたったのになあ~

名古屋行きが来ました。

神宮前駅にて
 ショックを受けたまま名鉄名古屋本線で神宮前駅まで戻ります。
 前日停めっぱなしにしていた車を回収してホテルに向かいます。

すげーポスター(笑)

あんかけすぱ
 ホテルに戻る前にチェーン店であんかけスパなる名古屋飯をいただきました。
 値段の割に高いと思ったのは私だけでしょうか?
 うまいのはうまいのですが・・・
 ホテルで靴の金具で破いたズボンを繕おうと思ったら、股のところもすれて破れかかっていました。
 どんだけ擦れたんでしょうか・・・(笑)

愛知のお酒
東海道をゆく 続く
2018.5.27作成
2017年ツーレポトップへ
Home