秋葉山常夜灯
防火の神様を祀り、
宿場の安全を祈願したものです。
 藤川宿を出発して二時間以上、ようやく赤坂宿に到着しました。
 宿場の入り口には秋葉山常夜灯があり、大宝二年(702年)起源の杉森八幡宮がありました。
 毎年10月の第2土曜日の祭礼で、大名行列が宿場を練り歩くそうですよ。

杉森八幡宮

赤坂宿に入りました

赤坂宿石碑
 赤坂宿は吉田宿、御油宿と並ぶ歓楽街だったそうで、「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸がよい」と謡われて人気の宿場だったそうです。
 享保十八年(1733年)には83軒の旅籠が営業していたそうです。

赤坂宿を描いた浮世絵
(東海道53次)
大橋屋の中庭を描いたもの
だそうです。
 2015年まで旅籠として営業していた大橋屋の建物です。
 江戸の風情を今に伝えています。資料館として整備中だそうですよ。
 大橋屋さんは創業が慶安2年(1649年)、現存の建物は正徳6年(1716年)のものなんだそうです。
 気が遠くなりそうですね。

大橋屋

浮世絵を描いたマンホール
旧音羽町のもの
 できれば営業中に来て宿泊してみたかったですねえ。
 江戸は遠くになりにけりですねえ。

こちらもなかなか立派な商家です
曲輪の老舗で、二階に軒行燈があります。

こちらは酒屋さんだったんでしょうか
立派な銅看板です
 ここ赤坂宿と東隣の御油宿の間は非常に近く、16町(約2km)しかありませんでした。
 その距離の近さに松尾芭蕉が「夏の月 御油より出でて 赤坂や」と詠みました。

雰囲気はよく残ってますよね

これは明治の建物でしょうか

関川神社
 その句碑が関川神社に建てれています。
 関川神社には樹齢800年の楠がありました。

御油の松並木

御油の松並木
 赤坂宿を出ると立派な松並木が続きます。
 これが有名な御油の松並木です。
 樹齢300年以上の黒松350本が600mも続く立派なものです。

御油の松並木

道幅は江戸時代のままでしょう
 慶長9年(1604年)に大久保長安が整備したものです。
 植えられた三河黒松は樹皮が亀甲状に割れるのが特徴で、ものすごく風格があります。
 

立派な樹皮です

石碑が立てられていました。
 ちなみに弥次喜多はこの松並木で狐に化かされています。
 松並木を通過すると早くも御油宿に到着です。
 見所多かったのであっという間に着いた感じです。

御油宿
御関札立掛場
参勤交代の大名などが
宿場宿泊の三日前に宿場入り口に
立て掛けて通行人に注意喚起した札です。
松平丹波といえば
信州松本藩主松平家ですが、
東海道を通ったことがあるのかな?

商家
売られちゃう・・・
 御油宿には62軒の旅籠屋がありました。
 本陣は2軒(もとは4軒だったそうですが、天保の大火で焼失したそうです)で、脇本陣はなし。
 天保の頃は316軒の家があったそうです。

お醤油蔵の蔵

豊川市のマンホール
ちゃんと狐がいますよ

宿場のクランク
 御油という地名は、古くは油を産出していて国府などに献納していたことにちなむそうです。
町屋

御油橋
 饅頭やさんで黒糖ういろうと「月の宿」という抹茶味の蒸し菓子をいただきました。
 とってもおいしかったです。時刻は12:00を過ぎております。お腹も空いてきました。
 有名な御油宿の浮世絵ですが、お隣の赤坂宿が近かったため、過当競争状態だったので、こういう行為が多かったのかなあって感じです。

御油橋

御油宿を描いた浮世絵
「留め女」と言われた宿の女中が
旅人を無理矢理引きずりこもうと
しています(笑)

これより楠社道?
 御油を出ましたが、人家はけっこう多いです。
御油を出ました。

御油松並木と狐
 このあたりは旧国府村(こくふ、ではなく「こう」と読みます)で、奈良時代に三河國の国府が置かれたそうです。
なかなか粋な戸袋ですね

秋葉道追分
 秋葉道追分までやって来ました。
 ここから新居関をパスして浜名湖の北側を通る「姫街道」が分岐していたところです。

こちらが姫街道方面

御油一里塚跡
 御油一里塚跡まできました。
 日本橋まであと76里(304km)です。
 一里塚の近くに大社神社がありました。こちらは三河国総鎮守。14代将軍徳川家茂は長州征伐のため上洛する際、ここに立ち寄り戦勝祈願して短刀を奉納したそうです。

大社神社

町屋
 国道1号線が近づいて来たからか、すこし賑わいが出てきてお店が増えてきました。

昭和40年代かな?
 お店の古い看板に感動していました。
懐かしいマーク

これ最近見ないですね
 40代以上の人でないとピンと来ないかなあ・・・
海老印工具ってすごい

秋葉山常夜灯
寛政12年(1800年)建立
もう200年前なんですね
 国道1号線を横断して北側へ。
 この辺りの東海道旧道は失われているそうで、その辺にある道をつないで歩きます。
 名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。
 名鉄はこの辺りで本線と豊川線が分岐しています。

名鉄踏切

国道1号線の脇を歩きます
 豊川線の踏切を越えて国道1号線を再び南側に渡って歩きます。
 この辺りからこの旅一二を争うほどのつまらない区間を歩かされます。
 国道ロードサイドのトンカツ屋さんに入りましたが、あまりの美味しくなさにご飯がのどの奥に入っていかない経験をしました。
 なんだろう、まずくはないのに全然美味しくないって・・・・

マンホール

TVで知りましたが、豊橋あたりは
ウズラの卵生産日本一なんだそうです。
記念の一枚
 苦しみながら歩いて行きます。
 本当に見所がありません。

速須佐之男神社
村社

伊奈一里塚跡
後ろは鼓屋さん
慶応4年創業だそうです。
 旧伊奈村までやって来ました。
 この辺りは立場があったそうです。伊奈一里塚跡がありました。
 日本橋まであと75里(300km)です。しかしやる気が出ない道で、モチベーションがひたすら下がります・・・
 茶屋本陣加藤家跡に芭蕉句碑がありました。
 加藤家は道中薬「良香散」を商ったそうです。

立場茶屋跡にあった
芭蕉句碑
「かくさぬぞ 宿は菜汁に 唐が羅し」

カメラの起動が遅く、
このようなドアップに(笑)
 パトロールのパトカーに三回すれ違いました。おんなじパトカーだったので、マークされていたのかもしれません(笑)
 苦行のような区間を過ぎて、ようやく飯田線の踏切までやって来ました。
もうすぐ豊橋です。
東海道をゆく 続く
2018.6.24作成
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