ようかんパン
 掛川で朝を迎えました。
 この日は前日駅の売店で購入したようかんパンで朝ご飯です。
 ようかんパンは富士市でつくられている静岡限定のパンで、真ん中に生クリーム、生地の中にはあんこが入ってまして、パンの上部をようかんでコーティングしているという、血糖値なんですか状態のパンです。
 ですが甘さはくどくなく、これが結構イケる味なのです。うまかったです。
 さて、本日は足を痛めないように念のため持ってきていた前回使用の靴に履き替えて出発します。
 ちなみに合わなかった靴は一度履いたきりでハードオフに売りました。

山内一豊とお千代
 掛川宿は本陣2、旅籠30軒、960軒の家があり、3400人余りが住んでいたそうです。
掛川城天守
と三の丸から移築された太鼓櫓

東海道53次
掛川
遠州名物凧揚げを描いています。
橋は昨日渡った大池橋
 前回もご紹介しましたが、掛川は遠州三山の門前町の性格もありまして、東海道53次にも愛宕山が描かれています。
 昨日渡ってきた大池橋のたもとが秋葉街道との追分でした。

掛川城大手門

枡形跡
掛川城下町の東口でした。
 岡崎ほどではありませんが、掛川にも城下町らしい屈折させた道路が残っていました。
城下町らしい曲がり

秋葉山常夜灯
 掛川城下を離れて街道を進むと、お餅処もちやさんがありました。
 なんでも創業200年の老舗で、振り袖に似た「振袖餅」が有名です。
 ぜひ食べて行きたかったのですが、あいにく開店前でした・・・

もちや

馬喰橋と常夜灯
常夜灯横には葛川一里塚がありました。
日本橋まで58里(232km)です。
 逆川を渡ると掛川を出た実感がわいてきました。
常夜灯
昭和50年に建てられたそうです。
最近のような気もしますが
もう42年前です。

大頭龍大権現への道標
洞谷山山龍雲寺への道標
 今日も雲一つない晴天で、暑くなりそうです。
 じりじりと日焼けしながら歩きます。
 履き慣れた靴なので足は大丈夫そうです。まずは一安心です。

小高い山に囲まれた地形です。

諏訪神社
 道は県道415号線とついたり離れたりしながら続きます。
慶雲寺道道標

伊達方の一里塚跡
日本橋まで57里
(228km)
 かなり山の中に入ってきました。
福天権現本道道標

汐屋神社
鳥居と社殿の間に塩井川が流れてます。
 国道1号線掛川バイパス高架下を通過しました。
 この辺りは道の駅掛川の近くになりますね。

県道425号線

誉田八幡
事任八幡宮
坂上田村麻呂ゆかりの古社
事の任(まま)願いがかなうと評判
 有名な誉田八幡にお参りしてきました。
 木陰がとっても気持ちよかったです。

樹齢1000年の大杉がすごい存在感でした。

日坂のマンホール
 誉田八幡にお参りした後、県道を渡って脇道に入ります。
 ここが日坂宿です。
 宿場の入り口にパン屋さんがあったので買って見ました。

パン屋さん発見

買ってみた

古宮橋
渡ったところに下木戸(宿場入り口)
と高札場がありました。
 日坂宿は東海道の三大難所(峠)の一つだった小夜の中山の麓にあります。
 戦国期にはすでに宿場だったようで、江戸時代にはいって53次の一つとなりました。
 天保14年には本陣・脇本陣1、軒数168、人口は750人だったそうです。
名物はわらび餅です。

ここが高札場
 橋を渡って高札場を過ぎると左にカーブしながら坂を登ります。
 登りきったところに旅籠川坂屋がありました。

川坂屋

東海道53次
日坂
日坂の急坂と夜泣き石が
描かれてます。

東海道と川坂屋
 川坂屋の創業は古く、1800年前後です。
 現在の建物は嘉永5年(1852年)の大火のあとに再建されたものです。

明治元年に掛川藩主太田家より
拝領した茶室だそうです。
床柱がしぶい・・・

母屋は二階建てですが
意外と低い
 建材に檜が使われているらしく、かなり格の高い旅籠だったようです。
 利用客に山岡鉄舟がいるそうです。

床の間つきの部屋

欄間が立派
 川坂屋は平成5年まで人が住んでいましたが、今は資料館となっています。
建具も立派です。
こういうの見ると日本家屋っていいな
と思います。

狆くぐりのついた立派な床の間
 存分に日本建築を味わってきました。
二階への階段

二階の欄間
 日本の家ってほんとに夏涼しいですよね。
萬屋

萬屋内部
 川坂屋にはガイドのおじさん達がいまして、これから日坂を登るというと、にやりと笑って「がんばって」と言われました。
外が明るい

藤文
 他にも何軒か古民家を見物しました。
大きな蔵

本陣跡
 おじさん達の笑いを見ると、日坂はかなり厳しいらしい。
 本陣跡で先ほど買ったメロンパンとかにぱん食べました。
 かにぱん、ふつー過ぎて特にうまくもなかった・・・

静岡では有名らしいかにぱん

常夜灯
 さてと出発しますかね~
日坂宿も間もなくおしまい
正面には国道1号線の高架が
見えます。

日坂宿をでました
 1号線の高架橋が目の前にそびえます。
 1号線の高架橋をくぐると・・・

東海道日坂の浮世絵
かなり坂厳しそうだな・・・

いきなり急坂
 いきなり急坂です。
 なるほど、オヤジ達がにやつく訳です。

1号線と茶畑

すげー
 ものすごい急坂には慣れているつもりでしたが、歩いて登るとなると話は別です。
地元の林道もこんな感じですが

振り返るとこんな感じ
 上り坂に弱い相方さんはぐんぐん離されて姿が見えなくなりました。
あまりの急坂に
もう笑いが止まりません

茶畑
 ようやく登り切ると、そこは茶畑でした。
 空の青とのコントラストがとってもいい感じです。
 しばらくお茶を飲んで相方さんを待ちました。
 それにしても靴変えてよかった・・・

茶畑

茶畑
 ここ日坂には夜泣き石の伝説があり、山賊に殺された妊婦の霊が石に宿り、夜な夜な泣いたそうです・・・
茶畑

鎧塚
 建武2年(1333年)北条時行の一族名越邦時が上洛途上、今川頼国とこの地で戦って討ち死に。
 頼国が邦時の武勇をたたえて葬ったのが鎧塚だそうです。

山に「茶」って書いてある

佐夜鹿一里塚
日本橋まで56里(224km)
 天平5年(733年)行基開基の寺、久延寺
 関ヶ原に向かう徳川家康山内一豊がこの寺で接待したそうです。
 先ほどの山賊に殺された妊婦の子は助かり、ここの住職に水飴で育てられたという話しも。

久延寺

扇屋さん
 で、それにちなんだ名物「子育て飴」がこの茶屋で売られているそうです。
東海道をゆく 続く
2018.8.21作成
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