昔懐かしい模型屋さん
こんなお店がいっぱいありましたね
 さて藤枝駅前で朝を迎えました。
 ホテルの無料朝食をしっかりいただきまして、7:50に出発しました。

藤枝市のマンホール
 そう言えば某ケンミン番組で、藤枝には朝ラーメンを食べる習慣があると聞きました。
 是非食べたいと意気込む我々です。お店を求めて東海道を歩きます。

東海道名残松

マルナカ
1919年創業のお店です。
 危うく通り過ぎそうになりましたが、民家の前に何台か停まっている車に何かを感じて様子を伺ってみることに。
 あ、やっぱり朝ラーメンのお店でした。危なかった・・・

中華そば並
600円

こちらが冷やしラーメン並
600円
 出されたラーメンは、かつおと昆布の出汁でつくるあっさりめの醤油ラーメンでした。
 みたらしのたれのような甘い感じで、ものすごく美味しかったです。二人で1杯づついただきました。
 せっかく来たからと、冷やしラーメンも一つ追加で注文しました。
 冷やしラーメンは冷やし中華とかではなく、ほんとに冷やしたラーメンって感じのラーメンでした。
 上に乗っているわさびを溶くと、また味わいが変化して美味しかったです。
 以上、2回目の朝ご飯を平らげた我々でした!

この方達も来てました。

昭和9年創業の八百屋さん
 重たいお腹を抱えて歩くと、瀬戸川の手前に常夜灯を見つけました。
 志太の一里塚跡です。とうとう日本橋まで50里。200kmを切りました。

志太一里塚跡

藤枝はサッカーの町
サッカー最中です。
長崎にもあったな・・・
 瀬戸川を渡ったところが
藤枝宿

近くにあった同心円状のお城、田中城の城下町でもありました。
 塩の産地だった田沼や焼津への街道の追分でもあり、最盛期には37軒の旅籠が営業していたそうです。

いかにも町屋らしい
間口の狭いお家

大慶寺
日蓮手植えの松
樹齢750年
 宿場内の街道は、アーケード街になっていまして、昭和の時代は賑やかな商店街であった雰囲気が残っていました。
常夜灯

こちらはサッカーエース最中
 朝ご飯を2回食べたので、和菓子屋さんはすべてスルーしました。
 食べ過ぎは危険です・・・

現在の藤枝宿

東海道53次
藤枝宿
問屋場前の伝馬を描いています

焼津湊への街道追分
 東大木戸跡を抜けて県道381号線を横切りました。
水守交差点から
青山八幡宮を見る

東海道名残の松
 ここにも東海道名残松がありました。
 その近くに大きな楠がありました。須賀神社の大楠で、高さは23m樹齢500年です。

須賀神社大楠

鬼島立場跡碑
東海道中膝栗毛鬼島立場の
くだりの記念碑
 日が高くなり、とうとう雨傘を差して日傘代わりに歩き出しました。
 近所の人からはさぞや変な人に見えたことでしょう。
 でも全然快適です。
 やがて街道は葉梨川を渡ります。その手前が田中城へのお成り道分岐です。
 徳川家康が鷹狩りの際、田中城へ向かうときに使った道です。

お成り道
田中城への街道です。

葉梨川
 雲一つない青空の下、傘を差して歩きます。
葉梨川

 葉梨川沿いを進む街道には一里塚跡などがありました。
鬼島一里塚跡
日本橋まであと49里
(196km)

仮宿交差点にある
名残松
 県道81号線県道208号線の交差点を横切るように街道は続きます。
 石碑がありました。

これより西 田中領の碑

これより東 岩村領
美濃岩村藩の領地がありました。
 県道を大きな歩道橋で渡ると、木の立て札があり、ここから岩村領と書いてありました。
 ここからまっすぐ歩くと古いコンクリート橋がありました。
 ここが朝比奈川です。
 今川家重臣であった朝比奈氏ゆかりの川かな~とか思うと胸熱です。

朝比奈川を渡ります

朝比奈川
 藤枝のある志太地方でお盆におこなわれる「あげんだい」の松明がありました。
 中に火薬の玉が仕掛けられた松明に、まわりから火の玉を投げるそうです。
 松明に火がつくと火薬が爆発するという、なかなか勇ましいお祭りだそうです。

あげんだいの松明
 やがて東海道は国道1号線藤枝バイパスの高架下をくぐります。
 交差点角に「ここから岡部宿」の石碑と常夜灯がありました。
 ここからしばらくは松並木が続いています。
 近所のスーパーでトイレ休憩して炭酸飲料を飲みました。
 シュワシュワが心地よかったです。

松並木
右側の並木は道路拡張で
伐採されたとか

岡部
 やがて街道は県道を外れて静かな道になりました。
サッカーボールの毬が
軒先にぶら下がっていました。
サッカー王国静岡らしいですな

古そうなお宅です
 宿場の中に初亀醸造さんがありました。
 創業は寛永12年(1616年)静岡にて。明治になって岡部に移ったそうです。
 静岡県は酒所でいろんなおいしい蔵元があります。

初亀醸造

大旅籠 柏屋(かしばや)
 岡部宿を代表する建物である、
大旅籠柏屋
さんです。
 母屋は天保7年(1836年)のもので、国有形文化財です。

漆喰壁が美しいです。

枡形跡
 岡部宿を通過しました。
いよいよ東海道の難所の一つ、宇津ノ谷峠に向かいます。

今はこんな感じです。

東海道53次
岡部宿
宇津ノ谷峠を描いています

宇津ノ谷峠始まり~
 国道1号線を歩道橋で横切り、1号線バイパスの側道を歩きます。
 やがて側道が国道を離れて上り坂に差し掛かりました。
 さっきまであんなにうるさかった車の騒音が嘘のように遠くなりました。

静かです

宇津ノ谷トンネルの管理道が
出来たため、大きく削られています。
 宇津ノ谷峠といえば、平安時代の東海道である蔦の細道から、東海道、明治、大正、昭和、平成の各トンネルがすべて通行可能という珍しい場所です。
旧道をたどるのに一苦労

結構疲れました。
 いま我々が歩いている東海道は、豊臣秀吉による小田原攻めの際、新たに開かれた街道で、江戸時代を通じて使用されました。
峠のてっぺん

案内板(笑)
 ここを大名行列が通っていったと思うと感慨深いものがありました。
下ります。

宇津ノ谷集落が見えてきました。
 峠のふもと、宇津ノ谷集落には名物「十団子(とおだんご)」がありました。
宇津ノ谷集落

気になったけどスルー
 軽食として売られていたようで、糸を通して数珠のようにした団子だったようです。
静岡らしい消火栓

静岡市に入りました。
 国道1号線に合流しました。この辺りは結構流れが速いです。
 私もバイクで走ったことあるのですが、その頃はまさか歩くことがあるとは想像していませんでした。(苦笑)

国道1号線の歩道を歩きます。
東海道をゆく 続く
2018.9.9作成
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