一応整備はされています
 墓場を横切って山道を登り始めます。結構きつい登りで苦労しました。
 でも道は整備されているので歩きやすかったです。

日向はきつい

海だ!
 海が見えました。
駿河湾です。暑い日だったので、海の青さがしみました。

まだ登り

薩埵峠
 薩埵峠に到着しました。
 正面に富士山が見えます。
本当に神々しく、古来から崇敬を集めた理由がよく分かりました。
 しばし足を止めて見とれていました・・・

富士山が見えました。
ありがたい・・・

まだ山道は続きます。
 断崖の上の道をうねうねと道は続きます。
 有名なアングルの場所までやって来ました。
 東名高速、国道1号線、東海道本線が一カ所に集まった場所で、まさに交通の要衝ですね。
 いつかの台風で国道1号線が冠水している映像を見て、東海道が山の上を通っている理由がよく分かりました。

このアングルの写真はよく見ますね。

古い石塔
 薩埵峠の由来は、鎌倉時代、漁師の網に地蔵菩薩がかかり、これを山の頂に引き上げた事に由来します。
 (菩薩の別名菩提薩埵から)
 ここでは足利尊氏・直義や、武田・今川の合戦が行われました。

峠を下ってきました。

西倉沢の一里塚跡
日本橋まであと120km
 山の斜面に張り付くような集落の間を、細い街道がうねうねと続きます。
舟肘木の家

街道は続きます
 そろそろお腹が空いてきました。よさげなお店を見つけたので、由比宿を待たずにお昼ご飯にします。
お店発見

桜エビのサラダ
 名物
桜エビのかき揚げ
をいただきました。まるで宝石のような美しさで、とってもうまかったです。

桜エビのかき揚げ

集落の下を国道1号線が走ります。
 汗だくのTシャツを交換して再び歩き始めました。
名主の館小池家
武田家にも仕えた旧家だそうです。

昭和5年の古い碑
街道は少しづつ下って県道396号線を歩道橋で越えてJR由比駅西側にやって来ました。
 由比桜えび通りという名前がついてまして、駅周辺は桜えび料理を食べさせるお店がたくさんありました。

由比桜えび通り
 由比宿は江戸から16番目の宿場町。
 本陣1、脇本陣1、旅籠が32軒あったそうです。

東海道53次
由比宿
先ほど通ってきた薩埵峠を
描いています。

せがい造りの旧家
 ところどころに残る旧家が宿場町の雰囲気を今に伝えている気がしました。
鶴の下り懸魚
意匠は鶴
二重の舟肘木が出ている
珍しい軒です。

桜えび最中?
 たまご餅がおいしそうだったので買って見ました。
 おいしかったですよ~

由比川橋を越えます
ここからがかつての由比宿

清水銀行由比支店
本町特別出張所
庚子銀行本店として昭和3年(1928年)
に完成。
吸収合併などで現在に至ります。
国の有形登録文化財
 本陣跡が公園と博物館になっているのですが、なぜか写真がありません(笑)どこ見て歩いていたんでしょうか。
 博物館は時間がなかったのでスルーしました。

正雪紺屋
染め物やさんで、創業400年の老舗
由井正雪の生家とも言われています

お七里役所跡

由比宿東枡形跡
 由比宿もこぢんまりとした宿場町で、すぐに町外れまで来てしまいました。
 枡形跡のクランクには地蔵尊と由比の一里塚跡の碑がありました。

由比の一里塚跡
日本橋まで39里(156km)

「正雪」の造酒屋
神沢川酒造
 正雪を造っている神沢川酒造をすぎると東名高速道路の高架下を通過します。
 ここで私がばててしまいまして、しばらく高架下の日陰で涼んでいました。
 地図を見ると次の蒲原駅が近かったのでとりあえず歩き出すことにしました。
 蒲原駅前までやって来まして地図を見ると、次の新蒲原駅も意外と近いことが分かりました。
まあそこまではとまた歩き始めます。
 新蒲原駅の手前で街道が大きく左に曲がります。
ここからが蒲原宿です。
 なぜ街道が大きく左(山側)に曲がっているのかといいますと、元禄12年(1699年)の大津波で宿場が大きな被害を受けたためなんだそうです。
宿人40人、旅人20人が流されたそうです。
 少しでも高台へ、ということで街道を付け替えたんですね。

蒲原宿に入りました。
 蒲原宿へ入ると山に向かってゆるい上り坂が続きます。
 突き当たりで右に曲がります。

上り坂

美しい格子戸の家
 曲がってすぐ左手に美しい格子戸の家がありました。
 

蒲原宿

東海道53次
蒲原
雪景色を描いています

志太邸
屋号は「やま六」
醤油醸造の商家だったそうで
 志太邸がありました。安政の大地震で被害を受け、安政2年(1855年)に建て替えられたそうです。
 内装は和風、外観は洋館の旧五十嵐邸もありました。
 歯科医を開業していたそうです。

旧五十嵐家
歯科医だったそうです。
疑似洋風建築で
国登録有形文化財

ここにも洋館が
 ぶらぶらと歩いて行きます。
少し雲が出てきました。

確か吉田邸
和菓子屋さんだったそうです

とにかく歩く
 蒲原には名物があって、その名も
「イルカすまし」
です。
 某緑豆が卒倒しそうな名前ですが、いるかの背びれ・尾びれを薄くスライスして茹でて塩味を付けたものだそうです。
 けっこう工程があってめんどくさいらしいですが、食感はいかくんに似ているそうです。

蒲原名物 
イルカすまし
 食べて見たかったけど、スルーしました。
 この蒲原、なんか変な匂いがずーっとしていたのですが、なんの匂いだったのかなあ?
 そうこうしているうちに、東木戸までやって来ました。
 ここで蒲原宿はおしまいです。

東木戸跡
クランクが残っています。

東木戸にあった常夜灯
文政13年(1831年)建立です
 北条新三郎の墓がありました。
 今川氏真が武田信玄に攻められた時、親類であった小田原の北条家は今川家に援軍を出します。
 北条新三郎綱重(北条幻庵の次男)はここ蒲原にあった蒲原城に入ります。
 永禄12年(1569年)、武田家に攻められて蒲原城は落城、北条綱重も討ち死にしました。
 その墓があるそうです。

北条新三郎の碑

蒲原一里塚跡
日本橋まで38里(152km)
 蒲原の一里塚跡まできました。
 ここで街道は左に折れ、ぐんぐんと上り坂を登っていきます。
 これは新坂だそうで、もともと川沿いの七難坂を通っていたそうですが、富士川の氾濫がひどくて付け替えられたそうです。
 新蒲原で終わるつもりでしたが、なんとなく登り始めてしまいました。
 が、近所のお年寄りに抜かれてしまう有様でした(笑)

一見分譲地のように見えますが、
東海道です。

東名高速
 いきなり目の前が開けました。
 山が大きく削られて橋が架けられていました。
 東名高速道路を通すため、大きく切り通しされていました。
 街道も大きく迂回させられています。

富士山見えた

富士山
 東名高速を西側に渡ったところで富士山が見えました。 
 静岡市内よりもぐっと大きく見え、存在感がありました。

消火栓のマンホール

明治天皇碑
 急な下り坂を下ってくると、明治天皇にまつわる碑がありました。
 明治天皇もここで小休止して富士を眺めたそうです。
 ここで東海道を少し外れ、新幹線のガード下をくぐります。

常夜灯
嘉永4年(1851年)のもの

常夜灯
安政5年(1856年)のもの
 新幹線の高架下をくぐっておいしそうな和菓子屋さんの前を通ると、今度は東名高速のガード下をくぐります。
 そこからは坂を下って三つ辻まで降りました。
 東海道は左折でしたが、我々は(特に私は)もう限界
 右折して富士川駅をめざします。

富士川駅高架

けっこう電車はありますね
 16:10、富士川駅に到着。この日は31km歩きました。
 富士川駅からJRに乗って藤枝駅まで戻りました。 
 晩ご飯は駅前のお店で購入した
「静岡いろどり弁当」
でした。

醤油で炊いた桜ご飯
黒はんぺんフライ
まぐろ角煮
わさび味噌かけ
など静岡メニューいろいろ

藤枝付近
 帰りはまたも寄り道
島田宿付近
 菊川へ行ってくずシャリ買いまして。
 そのまま掛川行って、前回朝早すぎて閉まってたもちやにも行きました。
抹茶パイ?
すんごくおいしかったです

掛川名物
 名物振袖餅ゲット!
これまた美味しゅうございました。

プレーンときなこ

掛川ICからはまっすぐ帰りました。
 天気も悪くなってきたので、ここからはまじめに帰りました。
東海道をゆく 続く
2018.9.30作成
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