長島スパーランド
 お友達とのツーリングを楽しんだ10日後、東海道の旅を再開すべく、私と相方さんは東へと移動を開始しました。
伊勢湾岸道を走ります。

今回は新東名をチョイス
 名古屋圏を10:00頃通過して新東名を東に向かいます。
 浜松SAで休憩です。

浜松SA

浜松といえば
浜松祭りの凧ですね
 少し早かった(11:00)のですが、お昼ご飯を食べていくことにしました。
 石松さんがSAに出店していたので、餃子を食べて行くことにしました。

石松ぎょうざ

相方さんの餃子定食
 相方さんはごはんと味噌汁をつけて餃子定食でがっつり。
 私は餃子だけの満喫セットをいただきました。

私はいろんなものがある
満喫セット

遠州鉄道西鹿島駅
 がんがん流れてる新東名を走って浜松北ICで下車。
 天竜川を渡って二俣へと向かいます。

天竜川渡河

古そうなトンネル
 長年来たかった二俣城を訪問しました。
二俣城

季節は秋
 二俣城と言えば、徳川家武田家が激しく争った古戦場として名高いところ。
一度来てみたかったのです。
 元亀3年(1572年)の攻城戦が有名ですよね。
浜松城の北の守りとして重要だった二俣城に、武田勝頼率いる武田勢が襲来。
中根正照以下の城兵はよく守り、武田勢も攻めあぐみます。
 天竜川に突き出した水の手櫓で飲料水を確保しているのを見た武田勢は、天竜川の上流から大量のいかだを流して水の手櫓を破壊
 飲み水をたたれた二俣城は落城しました。
この直後、三方原で武田・徳川勢は激突。徳川勢は大敗北を喫しました。
 その後、武田家から二俣城を奪還した徳川家康は城主に大久保忠世を入れました。
 家康の長男、信康が切腹したのもこの二俣城です。
 徳川家の関東移封に伴い、浜松には堀尾吉晴が入城。二俣城には弟の宗光が入って城を整備しました。現在の遺構はこの時のものです。
 堀尾家が出雲に転封した際に廃城となりました。

二の丸虎口の石垣
 駐車場に車を停めて遊歩道を歩いて登ると二の丸入り口になります。
 櫓門があったようで、立派な櫓台の石垣がありました。

櫓門があったようです。

二の丸は狭いです。
本丸の馬出の役割だったようです。
 二の丸に入ると右側に本丸虎口がありました。
 本丸と二の丸に高低差はあまりなく、石塁で区切っていたような感じです。

本丸虎口
かつては石塁ももう少し高さが
あったと思われます。

本丸虎口から
本丸を見る
天守台がありました。
 本丸はそこそこの広さがあり、東よりの場所に天守台があります。 
 石灰岩で築かれ、不完全ながら石垣隅部は算木積みでした。

天守台。
本丸東寄りにあり、
天竜川を見下ろす位置です。

二俣城縄張り
 二俣城は天竜川と二俣川の合流点にあった小山に築かれました。
 城は岩盤上に建てられていたために井戸がなく、天竜川に水の手櫓を築いて川から水をくみ上げていました。
 その唯一の弱点を武田方に突かれた訳です。

天守台

天守台
 天守台は立派で、その規模から三重の天守が上がっていたと思われますが、資料がないのでどんな建物かは分かっていません。
石垣

天守台から本丸を見る
 本丸はそこそこの広さがありますが、堀尾家時代はここに城主は住んでいなかったようです。
木が茂ってますが、
直下に天竜川が流れています。

本丸搦め手門跡
 じゃあどこに住んでいたのかってことなんですが、二俣川をはさんだ南岸にあった鳥羽山城に住んでいたようです。
北曲輪
現在は神社があります。

二の丸西側を歩きます。
 二つの城を一つにして運用していたみたいです。
 平時は鳥羽山城、戦時は二俣城を利用する構想だったようで。

二の丸南側の堀切
その向こうは蔵屋敷と呼ばれた曲輪です。

二俣城

大手道入り口
 という訳で二俣城南側にある鳥羽山城にやって来ました。
 こちらは大きめの駐車場がありまして、そこに車を停めて歩き出しました。

大手道

大手道
 こちらはお城までけっこう幅の広い大手道がありまして、開放的なつくりだなあと思いました。
大手道は正面石垣に突き当たり、
右に折れます。

鳥羽山城大手門
立派な外枡形門です。
 鳥羽山城は戦時の二俣城に対して平時の城として整備されたようです。
 本丸以外にこれといった目立った曲輪がなく、山上にあるとはいえ館造りのようだと思いました。

大手門の両側に暗きょが
整備されていました。]

本丸あと
 本丸も広めで、御殿などが建てられていたようです。
鳥羽山城縄張り図

鳥羽山城から南側の風景
天竜川を遠州鉄道の車両が
渡っています。
 なぜ御殿があったと推測されるかというと、右側の写真にあるとおり、枯山水の庭園あとが発掘されているからです。
枯山水の庭園跡

本丸北側には搦め手門が

搦め手門脇の石垣跡
 搦め手門を出て西側には笹来るわがありました。
 ここからも天竜川を見ることができます。

笹曲輪

東門跡
 本丸東側にある東門跡です。
 ここは日常使用された門だと考えられています。

東門脇にも暗きょ

外側から東門を見る
 二俣城の対岸にあった鳥羽山城は、始め二俣城攻略のための付城を徳川家康が築かせたのが始まりのようです。
 天正3年に築かれたという記録しか残っていなかった記録しか残っていなかったようですが、地元の郷土史研究家の方が自力で発掘したところ、大規模な遺構が出現したため、教育委員会が発掘調査した結果、二俣城と同規模のお城があったことが判明したそうです。
 枯山水庭園の他、染付や天目茶碗も出土したそうで、生活の場があったと推定されているのはそのためだそうです。

鳥羽山城

二俣城と鳥羽山城

国道152号線
 お城を堪能した我々は、再び浜松北ICから新東名に乗りました。
新東名で天竜川を渡る

ガンダムシリーズの
Tシャツの自販機
 静岡SAでお土産を物色。そういえば静岡県はプラモデルメーカーがたくさんあります。
 ガンプラで有名なバンダイもそうでした。
 静岡SAにはガンダム関係のグッズが多数展示されておりました。

ガンダムグッズ

ガンダムのプラモ
でかいっす
 ガンプラのおかげでバンダイは儲かってるな~と思いつつ、静岡スマートICで高速を降りました。
新東名から降ります。

安倍川を渡ります。
 国道362号線で静岡市街に入ります。
静岡市街へ

駿府城の北側を通って・・・
 何が狙いかと言いますと・・・
「大やきいも」さん

うまそうですね
 かの有名な
「しぞーかおでん」
と言うやつです。
 地元の有名店でいただきます。

昭和の匂いがぷんぷんします。

一度食べましたが・・・
 お値段は一串80円(牛すじのみ120円)という驚きのプライスにもかかわらず、激うまでした。
 たまらずお替わりしてしまいました。牛すじのうまさたるや犯罪でした。

たまらずお替わり

大学芋もいただきました。
 駐車場は路地の奥に三台しかなく、危ないところでした。
 土日はものすごい人だったそうで、「いいときに来たね」と、お店の人。
 ほんとはおでん片手に日本酒飲みたかったけど、まだ移動しないといけないので我慢しました。

駿府城はお預け
時間押してますからね・・・
(三の丸石垣)

清水付近
 安倍街道を北上し、昭府ICで国道1号線に乗りました。
 あとはひたすら1号線を走ります。

興津 薩埵峠付近

薩埵峠下
 正面に大きく富士山が見えてきました。
 あいにくの曇り空でしたが、十分に感動しました。

薩埵峠から見下ろした道を
走ります。

富士川を渡って
 富士川を渡った我々は、なぜか国道1号線を左折して富士大通りへ。
なぜか左折

ふふふ・・・
 富士宮市にやって来ました。
 相方さん熱望の富士宮やきそばを食べる為です。
 しかしこの日はなぜか臨時休業多し
 行く店すべてがお休み・・・
 屋久島から続く不幸に我々はうちひしがれました・・・

ようやく開いてるお店発見

しぐれ焼もいただきました。
 富士宮やきそばしぐれ焼(お好み焼きに富士宮やきそばの麺が入ったもの)をいただきました。
 前回食べたやつの方がうまかったと思ったのは内緒。
 とりあえず食べられたのでよしとしましょう!

富士宮やきそば

山門
 こちらも相方さん熱望の浅間大社でお参りです。
美しい

本殿
 夕暮れ時の浅間大社は明かりが入って人も少なく、幻想的でした。
 しっかり今回の道中安全を祈願してまいりました。

ちょっと幻想的

やまだ食堂
ほんとはここで食べたかったの・・・
 日も沈んだ頃、ようやく宿に向かって移動開始。
この日のお宿は三島でございます。
 下道の渋滞にしびれを切らし、国道139号線から新東名にのって長泉沼津ICで降りましたが、伊豆縦貫道に乗ってしまって大きく遠回りしてしまいました。
 が、19:00過ぎ、ようやく三島駅前の宿に到着。
すぐお風呂に入ったのですが、なんか首筋がかゆくなってきました・・・
 が、すぐに寝てしまいました。この日は510km走りました。
東海道をゆく 続く
2018.11.11作成
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