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![]() なんか腫れてきましたよ・・・ しかもすごくかゆい! |
翌朝目を覚ますと首回りがえらいことになってました。 しかもすごくかゆい・・・医者に行こうと思いましたが、朝飯食って元気に出発することにしました。 |
![]() ホテルから富士山見えました。 |
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![]() 富士川を渡ります。 |
三島駅から電車に乗って富士川駅に向かいました。 乗車時間は32分。500円で富士川駅に到着です。 静岡に向かうらしい通勤・通学客で賑わう車内でした。 |
![]() 富士川駅に到着。 |
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![]() 富士川駅から富士山 |
富士川駅で降りる人は少なかったです。 しかし静岡もこの辺りまでくるとどこからでも富士山が見えます。 富士山が日常風景なんて贅沢ですなあ。 |
![]() 富士川駅前 |
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![]() いきなり常夜灯 |
富士川駅から道を渡って坂を登ります。 郵便局前を通って三つ辻に到着。3ヶ月ぶりに東海道に戻ってきました。 常夜灯がお出迎えです。 |
![]() ずんずん歩きます |
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![]() 岩淵の一里塚 西側の塚木は現存 東側は二代目だそうです。 |
しばらく歩くと街道は右にカーブしました。 そこには一里塚が現存していました。 岩淵の一里塚です。 日本橋まで37里(148km)です。 |
![]() 解説板 この辺りは栗粉餅が名物だったそうで |
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![]() 間の宿 岩淵 |
岩淵は間の宿で、富士川水運の中継地として賑わったそうです。 | ![]() 小休本陣常盤家 |
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![]() 宿場らしいクランク |
岩淵を過ぎると街道は富士川に向かって坂を下ります。 | ![]() 嘉永6年(1853)の常夜灯 |
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![]() 下り坂 |
この日は天気もよくて富士山もよく見えました。 | ![]() 富士川と富士山 |
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![]() 富士川橋 大正13年架橋のトラス橋 |
いよいよ富士川を渡ります。 橋からは富士山がとても美しく見えました。 |
![]() 富士川橋から 富士山と富士川 |
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![]() 水神社にあった石碑 |
かつて船渡しであった富士川を渡りました。 橋のたもとには水神社がありました。 神社には道標と渡船場跡の石碑がありました。 |
![]() 道標 |
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![]() 富士市のマンホール |
ここからはしばらく県道396号線を歩きます。 けっこう交通量の多い県道でした。 |
![]() 富士山のカラーコーン |
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![]() 左 東海道 の道標 |
四丁河原から県道を外れて脇道を歩きます。 再び県道と合流するところに道標と常夜灯がありました。 |
![]() 慶応元年(1865年)の常夜灯 |
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![]() 身延線の高架下を通過します |
間もなくJR身延線の高架下を通過しました。 ここが柚木駅になります。 この辺りはかつての柚木村でした。 |
![]() 天白神社 天正13年(1585年)建立 柚木村の鎮守です |
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![]() 秋葉山常夜灯 |
JR富士駅北側はかつて賑わっていたようで、駅前商店街がありました。 商店街を横切って街道は続きます。 |
![]() 札の辻跡 高札場があったそうで |
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![]() 舟肘木の家 |
富士駅を過ぎた辺りがかつての間宿本市場だったところで、ここから富士山を見ると中腹にある残雪が鶴が舞うように見えたそうで、「鶴の茶屋」と呼ばれたそうです。 | ![]() 鶴芝の碑 鶴の茶屋の碑です。 |
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![]() 富士山を左に見ながら歩きます。 |
本市場村の名前は、米の宮浅間神社に門前市があったことに由来するそうです。 | ![]() 花がきれい |
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![]() 病院越しの富士山 |
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![]() 吉原宿入り口 |
東海道14番目の宿場町、吉原宿にやって来ました。 吉原宿西側には直線道路が続いていますが、これには理由があります。 |
![]() 吉原宿 |
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![]() 宿場の一部は商店街に しかしかなり寂れています。 |
吉原宿は二度移転しています。 はじめはもっと海側にあったのですが、寛永16年(1639年)の津波で壊滅し、元吉原から中吉原に移転。 しかし延宝8年(1680年)に再び津波により壊滅し、現在地に移転してきました。 |
![]() 吉原宿 左富士を描いています。 |
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![]() つけナポリタンが名物みたいです。 (時間が合わず食べられませんでした) |
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![]() 商店街の中程に |
こうして二度にわたる移転のため、宿場前後の街道が付け替えられて直線道路になったということです。 この街道付け替えにより、有名な左富士の景観が生まれ、浮世絵にも描かれました。 |
![]() 創業300年の旅籠屋さんが まだ営業していました。 創業天和2年(1682年) 山岡鉄舟や清水次郎長も利用したとか |
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![]() 結構お安い |
![]() 店内 |
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![]() ハロウィン電車? |
街道は岳南鉄道吉原本町駅横を横切っていました。 もともとは町はずれに出来た国鉄吉原駅と吉原宿を結ぶために出来た鉄道で、全盛期は貨物輸送で栄えたそうです。 専用線や引き込み線の総延長が本線を上回っていたという逸話もあります。 |
![]() 本吉原駅 |
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![]() 平家越の碑 |
源平合戦の「富士川の戦い」が行われたのはこの辺りだそうで、「平家越」の地名が残っています。 富士川の戦いと言えば、夜襲をかけようとした源氏の兵に驚いた水鳥たちが一斉に飛び立ったため、その羽音に驚いた平家の兵が逃げ出したという逸話で有名ですね。 公家化した平家を象徴する逸話としてよく聞くお話です。 |
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![]() 左富士の碑 |
平家越を過ぎると左富士の碑がありました。 | ![]() 工場の屋根越しに見ました 「左富士」 |
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![]() 左富士神社 |
津波被害による東海道の付け替えにより、街道の左手(江戸方面から来た場合)に富士が見えることから名所とされました。 |
![]() 一里塚碑 |
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![]() ぽつんと残った古そうな民家 |
依田村の一里塚跡がありました。 日本橋まであと34里(136km)です。 |
![]() この辺りは工場がたくさんです。 |
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![]() 運河を渡ります。 |
国道1号線・新幹線の高架下をくぐり、国道139号線へ。 国道139号線も外れて吉原駅へと歩いて行きます。 |
![]() 昭和初めくらいかな? |
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![]() 東海道本線の踏切を渡る |
吉原駅前を過ぎ、東海道本線の踏切を越えたあたりが元吉原です。 津波被害で移転するまではここが吉原宿でした。 |
![]() これも昭和初期くらいでしょうか? |
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![]() 愛鷹神社 |
この辺りの街道南側は砂丘が続いており、砂丘には松が植えられていました。 私のふるさとの風景にそっくりで、なんか落ち着きました。 街道はやがて県道380号線と合流します。 増田平四郎は原宿の人で、海岸沿いの砂丘北側に広がる低湿地(ラグーン跡)の水を放水路を掘削して海へと流し、この辺りを開拓した方です。 |
![]() 増田平四郎像 |
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![]() ルマンドアイスに出会えました。 |
休憩で入ったコンビニで、ルマンドアイスに遭遇! この時は中部地方限定販売のアイスだったので感激しました。 早速購入してコンビニの前で食べました。 子供の頃、ルマンドって高級なお菓子のイメージだったんですが、よそではどうなんでしょうかね? |
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![]() うまい ラーメンショップ発見! |
いい加減お腹も空いてきたその時、ラーメンショップを発見しました。 今回は食べられるうちに食べましょう!ってことで、ラーメン食べました。 うまかったです。 390円とお財布にもやさしかったです・・・ |
![]() いや、ほんまうまかったっす |
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![]() 沼津市に入りました。 |
ラーメン食べて歩き出してすぐ、沼津市に入りました。 沼津までくると関東圏近し!って感じしますねえ。(個人の感想です。) |
![]() 沼津市のマンホール |
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東海道をゆく 続く | |||
2018.11.18作成 | |||
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