虫刺されがひどくなってきました。
 翌朝目を覚ましたら、虫刺されが順調に悪化していました。
 しかし病院にはいかず、街道旅を再開します。
 三島駅から沼津駅に戻り、8:00から歩き始めました。

歩道橋は地味にダメージあります。

一里塚跡
沼津日枝一里塚で
日本橋まであと30里(120km)
次の伏見一里塚との間が3.2kmしか
ありませんが、沼津宿内に塚を
造るのを避けたためだそうです。
  早くも沼津宿を出て一里塚を通過しました。
日本橋まであと120kmです。
 

是より西 沼津領
 沼津藩の成立は遅く、1777年になってからです。
 翌年に韮山代官所が黄瀬川村と下石田村の境界にこの碑を建てて沼津藩領を確定したそうです。

江戸時代の沼津藩領の図

潮音善寺
 まもなく黄瀬川を渡ります。
 ここ黄瀬川は平家に反旗を翻した源頼朝と、奥州から駆けつけた源義経が対面した場所として有名です。

かの有名な黄瀬川

智方神社
護良親王の首が祀られた神社
 智方神社は護良親王の首を葬られた場所だとか。
 この辺りには松並木が残っていました。

松並木

八幡神社
 八幡神社に来ました。
 ここが源頼朝と源義経が対面した場所だとされています。

鳥居

これが対面石
 この神社の境内にある対面石に二人は腰掛けて対面したとか。
 遠く平安時代末期の出来事でございます。

清水町のマンホール

国道1号線を横切ります。
 国道一号線を横切りました。東京まで125kmの標識を見て元気が出てきました。
 一日30kmペースであと4日で到着です。

どんよりと曇ってきました

伏見の一里塚
こちらが南塚(復元)
 国道1号線を横切って狭い県道を歩いて行くと、両側に一里塚がありました。
 伏見の一里塚で、日本橋まで29里(116km)です。
 北側の塚は現存なんだそうです。

伏見の一里塚
こちらは北塚(現存)

ここにも伊豆石の石蔵が
 この辺りにも石蔵があります。
 珍しいサボテンの花が咲いていました。

サボテンの花

常夜灯
弘化3年(1846年)建立
 しばらく歩くと小さな川がありました。
 これが駿河・伊豆の国境の川、境川です。
 はるばる紀州から11カ国め、伊豆の国までやってきました。

境川

秋葉神社
 境川を渡ると秋葉神社があってここが三島宿の西見附になります。
 

三島宿の現在

三島広小路駅
 東海道は伊豆箱根鉄道の三島広小路駅脇を通過します。
 

三島広小路駅

電車が来ました
 踏切を渡ったところに三石神社がありました。
 源兵衛川の川辺に三つの巨石があり、その上に社殿を建てたところから、この名前がついたそうです。

三石神社

源兵衛川
 三島宿は本陣2,旅籠74軒を数えました。
 幕府直轄地で伊豆支配の代官所も置かれました。

三島宿

樋口本陣跡
 二つあった本陣のうちの樋口本陣跡です。
 もう一つの本陣、世古本陣には米国領事ハリスも宿泊したそうです。

伊豆半島の成り立ち解説板

三嶋大社
 三島宿まで来ると、いよいよ東海道最大の難所、箱根越えです。
 道中の無事を祈願すべく、三島大社に立ち寄りました。

三嶋大社

山門
 三嶋大社は伊豆國一の宮。
 創建は不明で記録に現れるのは750年頃のことだそうです。
 源頼朝が源氏再興を祈願し、社殿は祈願成就のお礼に建立されました。
 現在の社殿は安政元年に再建されたものです。

彫り物が見事

拝殿
国重要文化財
 家内安全と道中の無事を祈願してきました。 
樹齢1200年のキンモクセイ
国の天然記念物

三嶋大社名物
福太郎餅
オカザえもんに似てると思ったのは
秘密です。
 道中の無事も祈願しましたし、いよいよ箱根峠に挑みます。
途中、ご飯にありつけないかもしれないので、街道沿いのセブンイレブンでおにぎりだけ買い込みました。
 10:20、三島宿を出発します。

東海道52次
三島
箱根に向けて駕籠に乗る人、
沼津に向けて朝靄の中に消えていく人、
三嶋大社の鳥居が
描かれてます。
東海道をゆく 続く
2018.12.2作成
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