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![]() 東海道本線の踏切 |
さあ三嶋大社を過ぎて東見附跡を通過。大場川を越えて三島宿を後にしました。 山田川を越えてしばらくで県道を外れて旧道を歩きます。 東海道本線の踏切を越えると傾斜がきつくなり、相方さんがみるみる遅れていきます。 これが愛宕坂です。 かなりの傾斜で早くも箱根の恐ろしさの片鱗を味わいます。 |
![]() 愛宕坂 |
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![]() 愛宕坂 ものすごい急坂なのですが 伝わるでしょうか? |
早くも息が切れ始めます。 どうなることやら・・・ |
![]() 相方さん撮影の 愛宕坂 |
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![]() 初音が原の松並木 |
道は国道1号線と合流します。この辺りは松並木が美しい処です。 初めてバイクで箱根峠を越えた時も感動した覚えがあります。 この辺りは初音ヶ原の松並木です。 |
![]() 国道脇の歩道を歩きます |
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![]() 錦田の一里塚 現存の一里塚で 塚木は榎です。 |
錦田の一里塚までやって来ました。日本橋まであと28里(112km)です。 三島塚原ICを過ぎて塚原新田の交差点で国道1号線を外れます。 |
![]() 塚原新田の交差点 |
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![]() 飛行機が飛んでいきました。 |
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![]() 旧道を登っていきます。 |
臼が転がるほどの坂という名前のついた臼転坂を登ります。 ここだけ石畳が残っていました。 ここはまだそこまでの急坂ではなかったです。 |
![]() 臼転坂入り口 |
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![]() 標識と解説板あり |
この辺りの地質は粘土質で、雨が降るとかなりぬかるんだようで、石畳が敷かれたそうです。 | ![]() 石畳 |
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![]() 馬頭観音 文政5年(1822年)建立 |
しかしこの坂を石持って登る気にはなかなかなれませんねえ・・・ 馬頭観音は馬の神様で、荷物の運搬を馬などに頼っていた時代、馬が急死した路傍などに、供養のために建立されたそうです。 |
![]() 見事な石畳です |
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![]() 街道は階段になってました。 |
臼転坂を過ぎるとまた県道と合流します。 三叉路に出ますが、この辺りは道路建設のために地形が変わっています。 このため、道脇にある階段を登っていきます。 |
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![]() なんか雰囲気あるお堂です。 |
題目坂を階段で登ると雰囲気あるお堂がありました。 征夷大将軍足利尊氏の旧跡などがありました。 |
![]() 七面堂旧址 足利尊氏建立のお堂があったそうで |
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![]() 階段を登ると小学校の裏手に |
階段を登り切るとその名も坂小学校の裏手に出ます。 やがて県道と再び合流します。 しばらく歩くと松雲寺。 ここで明治天皇が富士を眺めたそうです。 あと、国父島津久光が生麦事件後に国元へ帰る途中、ここで昼食を取ったそうです。 |
![]() 松雲寺 長州征伐に向かう徳川家茂も 休息したとか。 |
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![]() 強飯坂に入ります。 |
松雲寺近くの山神社で買ってきたおにぎりを食べました。 ここからは強飯坂(こわめしざか)です。 名前の由来は、あまりの急坂ゆえ背負った米が人夫の汗と熱で蒸されて強飯になった、というところから来ています。 |
![]() おわかりいただけるだろうか この急坂を |
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![]() 相方さんは登りに弱い・・・ |
あまりの急坂で、相方さんはみるみる遅れていきました。 郵便配達のバイクも、下手に停めると転倒するので、民家の庭先まで乗り入れて停めていました。 国道1号線手前で傾斜が緩くなり、相方さんとほっとしました。 |
![]() 国道1号線を横切ります。 |
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![]() 上長坂 |
国道を横切ると上長坂。笹竹を敷いた道を意味しているそうです。 立場(休憩所)があったそうで、自然薯、田楽、餅を商っていたそうです。 |
![]() 笹原の一里塚 現存の南塚です。 日本橋まであと27里(108km) |
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![]() 史跡を示す碑がありました。 |
上長坂をゆっくり登っていきます。 | ![]() 石畳の道でした |
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![]() 三島スカイウォーク |
街道は国道1号線と合流。 箱根の新名所である、三島スカイウォークの長居吊り橋が見えました。 ここから再び旧道へ・・・と言いたいところですが、旧街道は工事中。 国道1号線を歩く羽目になります。 |
![]() 富士山が見えました。 |
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![]() な、なにー?! |
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![]() 国道1号線を登っていきます。 |
まあ歩道があるからいいんですが、横を車はビュンビュン走るし、距離は伸びるし、あんまりでしたねえ・・・・ | ![]() またも通行止め |
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![]() 富士見平から |
建武2年(1335年)南朝方の菊池肥後守武重は、竹竿の先に短刀をくくりつけた武器(槍の原型)で足利軍と戦い、大勝利を収めました。 それを記念した碑です。 |
![]() 菊池千本槍の碑 |
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![]() ここまで通行止め |
山中城口交差点でようやく東海道に復帰出来ました。 この辺りの国道1号線は新線になってまして、私が以前通った道は旧道になってました。 旧道をしばらく歩くと、さらに東海道が分岐します。 |
![]() 東海道の分岐点 |
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![]() 「昼猶暗き杉の並木」 |
滝廉太郎の箱根八里に謡われた風景になってまいりました。 | ![]() 黙々と歩きます。 |
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![]() 山中城跡 岱崎出丸跡です。 |
かつて訪れた山中城を通過しました。 後北条氏の城でしたが、豊臣家の軍勢に攻められて一日で落城しています。 城横を過ぎて国道を外れたところに雲助徳利の墓がありました。 |
![]() 雲助徳利の墓 剣術指南役でしたが 酒が元で首になって雲助に。 親分として慕われたそうで。 |
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杉林の中をひたすら歩きます。 やがて街道は階段を登って国道1号線に出ますが、ここが危ない! 横断歩道も何もないところで、歩道の切れ目から国道を横切るのですが、下り車線側がブラインドカーブのため、下り坂を勢いよく下ってきた車がカーブの出口で道路を横切る歩行者を見るという最悪の場所。 なんとか整備していただきたいものです。 |
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![]() 所々に石畳が残ります。 |
危ない思いをして国道を横切ると民家があります。 この民家の庭先を横切って街道が続きます。 石畳の道が所々に残っているのですが、石が浮いているので非常に歩きにくい状態でした。 |
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![]() 笹の間を歩きます。 |
街道の両側に竹がたくさん生えていますが、石畳になる前はこの竹を折り敷いて歩きやすくしていたそうです。 また、この箱根竹はキセルの管に使われたそうです。 |
![]() 明治天皇小休止碑 昔はここから駿河湾が望めたそうです。 |
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![]() 甲石 |
甲石がありました。 小田原攻めに向かう秀吉が脱いだ兜を置いた岩だそうです。 元々は甲石坂にあったのですが、昭和の初め国道拡張工事の時に移されてきたそうです。 |
![]() 接待茶屋の解説板 箱根を行き交う旅人の救済のため 炊き出しなどを行っていた茶屋。 何度か中断はありましたが 昭和45年まで続いていたそうです。 |
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![]() 接待茶屋の一里塚 |
接待茶屋のあった場所には一里塚がありました。 日本橋まであと26里(104キロ)です。 |
![]() さらに登ります |
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![]() すごい竹 |
箱根の西側は尾根筋ルートなのですが、これは江戸に向かう軍勢の動きを見やすくするためだと言われています。 接待茶屋を過ぎて甲石坂を登ると国道がちらほらと見えてきました。 少し雨が降ったようで石畳がぬれてまして、滑って困りました・・・ |
![]() あ、国道に出てきた。 |
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![]() 京まで百里 |
ゴルフ場の横を歩いて行くと箱根峠のパーキングエリアに出てきました。 ようやく箱根峠のてっぺんに到着です。 ここまで結構苦労しましたので、相方さんと二人で喜びもひとしおでした。 |
![]() やっと着きました! ここまで6時間10分 24km歩きました。 |
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![]() ここからバスに乗ります。 三島駅まで940円 ほぼ1時間の乗車です。 |
時刻は14:10。やはり沼津から歩いたので明るいうちに小田原へ下るのは無理のようです。 雨もぱらつきだしたので、ここで引き上げる事にしました。 足も限界ですし、バスに乗って三島駅まで戻ります。 |
![]() バスの中から山中城跡を見る |
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![]() 伊豆箱根鉄道三島駅 |
15:30、三島駅まで戻ってきました。 伊豆箱根鉄道三島駅にあったうどん屋さんで、三島コロッケ入り温蕎麦を食べました。 お昼おにぎり一個だけだったので染みました。 ちなみに三島駅は駅の南北を結ぶ自由通路がないため、駅北側にあるホテルまで足を引きずって移動したのが少しつらかったです(笑) |
![]() 三島コロッケ入り温蕎麦 |
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![]() 今回の行程 |
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東海道をゆく 続く | |||
2018.12.9作成 | |||
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