金剛山
 先の東海道の旅から2週間後、再び我々は東を目指します。
 3連休初日の渋滞を避けるため、4:45に出発です。
 前日からの雨もやんでいました。
 6:40に針テラスを通過。順調です。

せんと君
針テラスにて

虎がこちらを睨んでます。
名阪国道にて
 8:05には長島を通過し、8:30に刈谷SAで休憩。順調すぎるほど順調です。
潮見坂
国道1号線

新居関跡
 10:00新居宿へ到着。
 前に見れなかった新居関跡を見学しました。

この辺りからは海でした。

旅籠 紀伊国や
紀州藩御用を務めました。
 紀州藩御用を務めた紀伊国やも見学していきました。
 明治時代の建物だそうですが、江戸時代の旅籠建築を残しています。すごいですね。

奥の間
床の間が見事です。

こちらは数寄屋風
釣床に床柱が凝ってます
 創業者が紀州出身で、江戸時代初めから紀州藩の御用を務めていたようです。
 せっかく新居まで来たので、あとひきせんべいをまた買いました(笑)
 しょうが味がやみつきになるんですよね・・・

急な階段

国道301号線から浜名大橋をみる
 前にふらふらしながら歩いた舞坂の松並木を走ります。
舞坂の松並木

着いた!
 浜松市は高松までやって来ました。
 今回はさわやかはスルー。
 浜松餃子を食べようと喜慕里さんにやって来ましたよ~
 見事開店10分前に到着しましたが、もう行列出来てました。

うまそー

ガルガル食べる
 餃子(大)20コと、海老、イカ、かに餃子を各6コづつで、二人で38コの餃子を平らげました。
 結構あっさりしていて食べやすかったです。
 いただいた浜松餃子のお店の中ではNO.1でした。 

ごちそうさまでした。

袋井でみた秋祭り
 再び国道1号線を走り出します。
 途中10分ほど高架下で仮眠しながら東へと走ります。
 14:00に掛川道の駅で休憩。藤枝岡部ICから新東名に乗りました。

日坂バイパスあたり

駿河湾沼津SA
駿河湾と伊豆半島
 15:30に駿河湾沼津SAにて休憩。富士宮やきそばを食べてみましたが、またもふつーでした。残念・・・
おやつは焼きそば

晩酌のお伴
 16:30、沼津の宿に到着しました。
駅前にあった静鉄ストアで晩ご飯を買いまして、ちょっと晩酌もしまして、21:00に寝てしまいました・・・

三島駅前
 翌朝、沼津駅前の金券ショップ?の自動販売機で10円安い切符を買って三島駅に移動。
 三島駅前8:15発の箱根行きバスに乗車しました。
 40円お得だった、みしまるきっぷという周遊券で乗りました。
 周遊するともっとお得になるようですが、我々は一路箱根峠を目指します。

箱根峠で下車
走り去るバス

車内
この後けっこう混雑しました。

峠を神奈川県側から
 神奈川県にやって来ました。ここからは関東地方を歩きます。
 箱根峠の道の駅でトイレを済ませて歩き出します。

箱根山を望む

芦ノ湖見えてきた。

ここから下に降りていくのです
 9:15本格的に歩き始めました。
 道脇にこんな立て杭があるので、入り口は迷わないのですが・・・

大丈夫かな?
と心配になる道でした

大丈夫かな~
 普通の登山道のような道なのでびびりました。
 

振り返ると
こんな登りです。

石畳が出てきて街道らしくなりました。

前日の雨で石畳が
よく滑ります。

江戸時代から続く
杉並木だそうです。
 でもこの辺りの杉並木は、江戸時代からの老木なんだそうで、風情はありましたね。
ほんとよく滑ります。

石畳の道
 足下に気をつけながら坂道を下ります。
 赤石坂の途中で国道1号線の下をくぐります。
 結構天井低かったです。
 向坂までやって来ました。
 出口には石仏がたくさんありました。
 朝は風情がありますが、夜はちょっと怖いかも。
 向坂を下ると芦川の集落があります。
 芦川集落を抜けると国道1号線にぶつかります。
 この辺りは箱根駅伝の中継なんかでよく見る風景ですよね。
 ここが箱根宿です。
 古くからの集落があった元箱根の住民が本陣の提供を拒んだため、小田原と三島から強制移住させた町民で開設したのが箱根宿だとか。
 半分を小田原藩、半分を韮山代官所が支配するという、変わった宿場だったそうです。

石仏群

よく見る景色
ここが箱根宿です。

芦ノ湖

東海道53次 箱根
芦ノ湖を望む峠を
大名行列が進んでいます。

箱根関所
 せっかくだからと箱根関所を見学しましたが、大して見るところもありませんでした。
 入場料500円は高かったな~
 関所破りをお勧めします(笑)

紋所は大久保家
小田原藩が関所を管理していました。

箱根八里の歌碑
この後はずっと箱根八里が
脳内で流れてました。
 関所跡を通過すると国道1号線の側道のように東海道と杉並木が続きます。
 元和4年(1618年)川越藩主松平正綱によって整備された杉並木で、樹齢360年なんだそうです。
 すごいな~

葭原久保の一里塚跡
日本橋まであと24里(96km)
 一里塚跡がありました。日本橋まで100kmを切りました。
 なんか感慨深いものがありますね~

関東圏の観光地は
人出が桁違いですごいです。

箱根神社の大鳥居
 箱根神社の大鳥居の手前から、再び街道は分岐します。
 石畳の街道を進んでいきます。

石畳の道

ずっとこんな感じです。
 石畳も乾いてきまして、だいぶ歩きやすくなってきました。
雰囲気いいですね。
 権現坂を登っていきます。
二子山が杉林の間からひょっこり見えました。
 石畳の解説板によれば、当初街道にはハコネダケという細い竹を切って毎年敷いていたそうですが手間なので、1680年に石畳が整備されたそうです。
 文久2年、14代将軍家茂公が上洛する際に全面改修されているそうです。

二子山

ここを家茂公も
通っていったんですなあ・・・

石畳の解説

天ヶ石の大石
 天ヶ石の大石を回り込むように街道は下っていきます。 
木漏れ日が幻想的です。

石畳の構造
 ローマ街道には及びもしないかもしれませんが、日本の石畳もよく考えられていますねえ。
 解説板を興味深く読みました。
 創業350年、甘酒茶屋までやって来ました。
 甘酒と力餅が名物で、さっそくいただきました。
 お茶は薬草茶で、どくだみなどが入っているそうです。

めっちゃおいしい甘酒と
お餅でした。
疲れた体に染み渡ります・・・

明治14年の甘酒茶屋
何軒か軒を連ねています。
昔ははげ山だったんですね・・・
 箱根はとても険しく、通常10里(40km)歩けるところ、8里(32km)しか歩けない、と言われました。
大正時代の甘酒茶屋
鶏を飼っていたようです。

現在の甘酒茶屋
 我々は通常8里(32km)で、峠は5里まで歩く距離が落ちます(笑)
 昔の人はえらいなあ・・・

かやぶき屋根も
珍しくなりましたねえ

猿滑坂付近
街道が道路で削られて
階段になってます。
 甘酒茶屋を11:15出発。
 急坂を下って行きます。
猿滑坂は階段になってました。

甘酒橋
 甘酒橋を過ぎると樫木坂。
あまりの苦しさに「どんぐりほどの涙こぼれる」と詠われた難所です。
 小田原側から登ってきた人の顔が半端なく疲れてます。
 が、我々は下りで楽ちんです。
 と油断しているそばからぬれた落ち葉で滑っております。気が抜けません。

七曲がり

小田原が見えました
 急な階段を下り、県道を歩き、国道をまたいでやっとのことで、間の宿だった畑宿に到着しました。
 一里塚発見。
 日本橋まであと92kmです。

畑宿の一里塚
日本橋まで23里(92km)
東海道をゆく 続く
2018.12.24作成
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