熱海駅だったかな?
 さて次の日はホテルを7:35に出発。沼津駅7:56発の電車に乗って8:51、国府津駅に到着しました。

相模湾を見ながら

国府津駅到着
JR東日本には二階建てのグリーン車が
ありました。
 普通の快速にグリーン車があってびっくりしました。
 客単価を上げるのが最近の流行なんですねえ。

東京方面に向かう電車を
見送り

国府津駅構内
御殿場線(旧東海道本線)との
乗換駅です。
 そんなことよりびっくりしたのが、電車の行き先が東京ではなくて、その先ずいぶん遠いところまで直通運転していること。
 小田原から宇都宮まで行くんですねえ。

上野行きとか
宇都宮行きとか
古河ゆきとか

街道名残松
 国府津駅前、9:00スタートです。
西湘バイパス越しの相模湾

バイパスと併走する国道1号線

大山道道標
 江戸時代に崇敬を集めた大山への道標がありました。
 天保5年(1835年)のものです。

振り返って伊豆半島を見る

車坂
 車坂です。源実朝や太田道灌がここで歌を詠んだそうです。
 西湘バイパス橘IC付近で二宮町に入りました。

今日は快晴
気分は最高です。

二宮町に入りました。

二宮町のマンホール
 かつて小田原藩領境だった中村川を渡ります。
中村川

お魚たくさん泳いでました。

上り坂
 川を渡ったところで街道は国道を離れて坂を登ります。
 国道側を車が通りやすいように切り通ししたためのようです。

道祖神

松屋本陣跡
 この辺りは間の宿だったそうで、本陣がありました。
 松屋本陣を営んだ和田家には本陣を利用した客の帳簿が残されているそうです。

一里塚跡
 坂を登り切ったところで一里塚跡がありました。
 

国道と合流します。

国道との分岐点
 国道と合流してしばらく行くと、今度は北側に外れます。
 街道の正面に吾妻神社がある吾妻山が見えます。
 吾妻神社には弟橘姫が祀られています。
 相模から上総に舟渡りした日本武尊が嵐に遭遇した際、海に身投げした妃ですね。

旧街道
吾妻神社ってお城ありそうな立地

醤油の蔵元さんです。
 ちなみに二宮町というのは相模国二宮であった川匂神社があったことに由来するそうです。
二宮駅前まで来ました。

松の残る国道1号線を進みます。
 二宮駅の前あたりの海岸は袖ケ浦と呼ばれていますが、先ほどの弟橘姫の衣が流れ着いたことに由来するそうです。
 おそらくその衣が吾妻神社に祀られたのでしょう・・・

湘南ベルマーレの自動販売機

大磯町に入りました。
大磯町のマンホール
 大磯町に入ってしばらく歩くと、街道がまた北側に分岐していました。
 道に沿って歩いて行きます。

東海道が北側に分岐します。

一里塚跡
国府本郷の一里塚
 国府本郷の一里塚跡までやって来ました。
 日本橋まであと17里(68km)です。
 実際にあったのはここから江戸寄りに200m地点って書いてました。

賑やかな国道とは打って変わって
静かな旧街道

本郷箸をわたります。
正面左に見えるのは城山公園
旧三井財閥本家の別荘地だったところ。
城山の麓には血洗川が流れてます。
古戦場だったんでしょうか?
 ここはかつての国府本郷村があったところで、もっと昔には相模国国府(県庁みたいなもん)があったそうです。
 城山公園から国道はさんで海側には吉田茂邸もありました。
 山の間の切り通しの道を通過していきます。

八阪神社

見事な松並木
 見事な松並木が続きます。
 伊藤博文の別荘跡を通過すると東海道は国道南側のやや高い場所を通っています。
 ここ大磯には明治18年に日本初の海水浴場が開かれたため、別荘地になったそうです。

塀際の道が東海道
塀の向こうは大磯中学校

大磯中学校前交差点
 大磯中学校前交差点を過ぎたところが大磯宿上方見附跡です。
上方見附跡碑

古い町屋
 大磯宿に入りました。
 日本橋から8番目の宿場です。
 大磯宿は曾我兄弟の仇討ちで有名ですねえ。

鴨立庵
日本三大俳諧道場の一つだそうです。

湘南という通称の発祥地だそうで
 宿場の中で東海道は左に大きくカーブしています。
街道は左に大きくカーブ

東海道53次
大磯
雨の風景を描いてます。

大磯照ヶ崎海水浴場
とあります。
 カーブの出口に大正時代に建てられた海水浴場の道標が立っていました。
 名物は売り切れでした。
 関東の売り子さんってなんかつっけんどんに聞こえるのは関西人だからでしょうか?

名物の虎子まんじゅうは売り切れでした。

国道1号線からの分岐点
 箱根駅伝ルートの国道134号線分岐を過ぎてしばらくゆくと東海道は国道1号線を外れます。
 

松並木が続く静かな道になります。

江戸方見附跡
 しばらく行くと大磯宿の終わり、江戸方見附を通過して東海道本線の下をくぐっていきます。
 前日の箱根の下りの影響でこの日はかなり足が痛くて、なんてことない下り坂で苦労しました。
 箱根駅伝の選手はすごいなあ~

東海道本線の下をくぐります。

大磯町のマンホール
 ちょうどこの頃、大磯町は学校給食問題で揺れていましたが、無事に解決したんでしょうかねえ。
 東海道本線の北側も松並木が続く静かな道です。

東海道本線北側
この辺りに化粧坂の一里塚がありました。
江戸まで16里(64km)です。

車屋さん
 時刻もちょうどお昼時。
 道ばたにあったそば屋さんでお昼ご飯です。
 私は鶏南蛮、相方さんはもりそばいただきました。
 おいしかったです。

虚空蔵尊
ここには下馬標があったそうで、
参勤交代の大名は
東照大権現が祀られた高麗寺に
最敬礼したそうです。
 大磯宿はこれといった見所はなく、静かに通過しました。
 国道1号線と合流して歩くとかやぶき屋根の民家を通過します。

茅葺きの民家
屋根がうまく収まりませんでした。

花水川
桜の花びらが川面を覆ったそうです。
 民家を過ぎると花水川を渡ります。 
平成の一里塚
東海道の休憩所ってことらしいです。

東海道53次
平塚
ここに描かれた山が
上の写真の山です。

平塚市に入りました。
 国道1号線を外れて平塚市街に入ります。
 クランク状に面影を残す場所が上方見附跡です。

上方見附跡

平塚宿本陣跡
 平塚宿本陣跡です。
 総ケヤキ造りの立派なものだったそうです。
 代々加藤家が営み、14代将軍徳川家茂公や、明治天皇も宿泊したそうです。

平塚市のマンホール

平塚宿江戸見附跡
 平塚の起こりは、板東平氏の祖、真砂子がここで亡くなり、塚が築かれて「平塚」となったことからだそうです。
 平塚宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は54軒ありました。

解説板

獅子文六という作家が
ここのどら焼きが大好きだったそうです。
 うまそうな匂いにつられてお店の前に。
 みたらし団子が有名のようですが、どら焼きも有名のようです。
 もちろん両方買いましたよ~

平塚中村屋さん

さっそくいただきました
 待ちきれずに歩きながらみたらし団子をいただきます。
 これが旨かったのです。平塚に来たらぜひ寄ってみてください。

駅近くのアーケード街

平塚駅前通り
東海道をゆく 続く
2019.1.20作成
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