江ノ島がくっきり見えました
 翌朝は6:00起床。
 7:00に朝ご飯食べて8:00に出発しました。

小田急江ノ島線

小田急とJR
 藤沢から240円の切符買って戸塚駅まで移動します。
戸塚宿

戸塚駅前
東急なんかあったりして、
都会です。
 この日は快晴。気持ちよく歩くことができそうです。

戸塚駅前の交差点
  戸塚駅前の歩道橋を歩いて東海道本線をまたぎます。
歩道橋から戸塚駅をみる

大踏切跡
上の歩道橋が設置されて
廃止されました。
 東海道本線で東海道は寸断されています。
 ここには昔「大踏切」があって、いわゆる「開かずの踏切」だったようです。
 車道をトンネルでバイパスさせ、歩行者は歩道橋を渡す工事が終了したので踏切は廃止になりました。
 昔は箱根駅伝の選手が踏み切りをくぐったりしたこともあったようです。

平成27年に踏み切り廃止になりました。
ずいぶん最近ですね。

東海道旅再開です。
 戸塚駅の東側は静かな街でした。
 てくてくと歩き出します。

洋館発見

戸塚宿の浮世絵レリーフ
 戸塚宿の中を流れる柏尾川を渡ります。
 戸塚宿は本陣2軒、江戸からちょうど1泊目の距離にあったため、小田原宿に次いで賑わったそうです。

柏尾川
吉田大橋から

吉田一里塚跡
日本橋まであと10里(40km)
 東海道53次にも宿の前で馬から下りる旅人を描いています。
 吉田大橋を渡ってしばらく歩くと吉田一里塚跡。
 日本橋まであと40kmです。

戸塚
東海道53次

町屋

フォルクスのある交差点
「江戸見附前」
ここが戸塚宿の入り口でした。
 さらに歩くと戸塚宿の江戸方見附跡。
 さらに歩いてブリジストン工場前で右に折れて川沿いを歩きます。

ブリジストン工場

煉瓦造りの倉庫
たぶん鎌倉ハム発祥の地
 小さい交差点を左折すると街道っぽい雰囲気になります。
 国道1号線との合流点に大きなモチノキが立っていました。

益田家のモチノキ

解説板
 神奈川県の銘木100選にも選ばれているそうです。
 古いガイドに「かやぶき屋根の旧家が残る」とありましたが、更地になってました・・・残念。

それにしてもでかい

 気を取り直して国道1号線を歩きます。
 次の保土ケ谷宿まではあと8kmです。
 名瀬道路の高架脇を歩き、東戸塚駅入り口交差点を左に曲がります。

川沿いの道を北に歩きます。
正面に見えるビル群は
東戸塚駅前のもの
 小さな川沿いの道を歩いて行くと、住宅地の中の坂道を登っていきます。
坂道を登る

坂を登ると歩道橋が見えてきました
 歩道橋が見えてきました。
 環状2号線(県道17号線)によって大きく削り取られて歩道橋になってますが、ここが東海道品濃坂です。
 

品濃坂歩道橋

解説板ありました。
 かつてあった坂道がすっかり姿を消してしまいました・・・
 歩道橋を渡って街道を進みます。

歩道橋から南側をみる

歩道橋のたもと
 歩道橋を渡ると階段がありました。
南側をもう一度

坂が階段に・・・
 この階段が品濃坂の名残のようです。
かつての品濃坂
松並木が続いていたようです。

富士山が見えました。
 階段を登って再び東海道を歩きます。
 近所の方らしい方が歩く散歩道でした。

けっこう歩いてる

品濃一里塚
両塚が現存
 旧品濃村と平戸村の境に、品濃一里塚がありました。
 日本橋まで9里(36km)です。

住宅地の中ですが
東海道

切り通しの坂道
 東海道を歩いて行くと、切り通しの坂道にでます。
 ここが焼餅坂です。

ここが焼餅坂
焼き餅を売る茶店があったそうな

境木地蔵前交差点
 境木地蔵前に出ました。
 この地蔵尊の境内にある大ケヤキが相模と武蔵の国境でした。
 いよいよ旅も最終盤に差し掛かってきました。

相境木地蔵尊
万治2年(1695年)創建
強盗泥棒よけに御利益があるそう

道標

保土ケ谷宿まであと4km

ここにも立場があったようです。
 境木中学校前を左折すると道は下り坂に入ります。
下り坂

昭和初期の権太坂
 ここが有名な「権太坂」です。
 箱根駅伝によく出てきますよね。(コースはここではないですが)

現在の様子
坂の両側には学校があります。

石碑
 交通量も少ない静かな坂をぐんぐん下ると高速道路の上にでました。
横浜横須賀道路の上に出ました。

横浜横須賀道路
 横浜横須賀道路をまたいでさらに坂を下ります。
 昔はかなりの難所だったことでしょう。

まだ続く下り坂。
東海道をゆく 続く
2019.4.14作成
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