鴨が泳いでました
 権太坂を下ってくると、東海道本線の高架手前の交差点を右に曲がります。
 角にあったセブンイレブンでトイレ休憩しました。
 東海道本線の築堤下をてくてく歩いて行くと、国道1号線に合流します。

紅葉が見事です

上方見附跡と一里塚跡
小さく復元されていました。
 国道1号線を歩いて行くと、保土ケ谷宿の上方見附跡、保土ケ谷の一里塚跡に着きました。
 いよいよ日本橋まであと8里(32km)です。

見附には石垣で枡形が
築かれていました。

東海道53次
保土ケ谷
 保土ケ谷宿は武蔵国の宿場町で、本陣1、脇本陣が3軒あったそうです。
 ここからはいくつか街道が分岐していたそうです。

旅籠屋跡
 あまり遺跡は残っていないようですが、それでも何軒かは残っていました。
本金子屋跡
建物は明治2年らしいです。

解説板
 保土ケ谷宿で東海道は大きく左に折れます。
 その場所に本陣がありました。旧北条家家臣、刈部家が務めた本陣跡です。

門だけ?残ってました。

保土ケ谷宿内
 左に曲がって東海道本線の大きな踏切をわたります。
 まもなく環状1号線と合流して道が大きくなり、相模鉄道本線の天王町駅に着きます。

金沢道道標
ここから金沢・浦賀への街道が
分岐していました。

保土ケ谷宿

相模鉄道本線
天王町駅
 天王町駅の高架下をくぐって街道をさらに進みます。
なんとなく街道っぽいですね

川を渡ります。
 帷子川を渡っても商店街が続いていました。

街道が商店街になってます。

橘樹神社
 この辺りの鎮守だった橘樹神社を通過します。
 松原商店街にやって来ました。

松原商店街
賑やかな商店街でした。

大山道分岐点
 商店街の終わりに大山道の追分がありました。
 大山は江戸時代を通じて信仰の対象でした。
 横浜開港以降は八王子方面から絹糸が運ばれ、絹の道と呼ばれたそうです。

管さんは横浜が地盤でしたねえ。
令和で有名になった?

浅間神社
 宅地化して地形がわかりにくいですが、崖下の街道を歩いて行きます。
 浅間神社がありました。
 健久4年(1193年)源頼朝が富士で巻き狩りをした際、洞窟に入った家臣が翌日ここから出てきたという伝説があります。
 横穴式古墳の石室に、このような伝説ができたそうです。

浅間下の交差点
奥の高台が浅間神社

オフィス街のそば屋さん
 街道は環状1号線と合流しました。
 第3京浜道路の高架下をくぐったところでお昼ご飯。
 三回目のサンマー麺をそば屋さんでいただきました。

サンマー麺!

環状1号線を歩いて
神奈川区へ
 この辺りが神奈川宿になります。
 神奈川宿は神奈川湊をを擁し、物流の結節点として栄えました。

解説板

東海道53次
神奈川
坂道が描かれてます。

神奈川宿は坂道
 幕末の頃、神奈川は欧米列強に対して開港しますが、東海道を行き交う日本人と欧米人とのトラブルを恐れた幕府は、神奈川の横にあった浜、横浜に港をつくり、こっちも神奈川港だよってことにしました。
 これが現在の横浜港です。

この下が海だったとは
信じられませんね

上り坂です。
 神奈川宿は海岸に面した高台に築かれました。
 よって坂を登っていくことになります。

外国人とのトラブルが非常に
多かったようで、神奈川宿では
関門を作って警備を強化したそうです。

料亭「たなかや」
かつては海を見える高台にあった
 文久3年(1863年)創業の料亭、田中屋さんです。
 広重の浮世絵にも「さくらや」として描かれています。
 高杉晋作やハリスも訪れ、坂本龍馬の妻、おりょうも働いていたそうです。

坂の下は海でした。

大綱金比羅神社
海運関係者の信仰が厚いそうです
 大綱金比羅神社のあたりに神奈川の一里塚があったそうです。
 日本橋まであと7里(28km)です。
 ここで街道は消失してまして、少々迂回します。
 東海道本線、京浜急行をまたぎます。

東海道本線と京浜急行

京急神奈川駅
浦賀行き普通電車が停車中
 京浜急行を越えると道は下り坂になります。
 その途中に州崎神社がありました。
 門前が神奈川湊だったそうです。

州崎神社
健久2年(1191年)に源頼朝が創建

神社の前のこの道の先が
神奈川湊です。
 坂を下りきったところが国道15号線です。
 東海道は国道15号線を進みます。

国道15号線

滝の川
 滝の川を渡ります。
 この辺りには青木本陣がありましたが、国道が大きすぎて風情は残っていません。
 この辺りには街道沿いにお寺がたくさんありますが、神奈川開港の時、欧米列強の領事館が置かれました。

良泉寺解説板
このお寺は本堂の屋根をはがし、
修理中だよってことで
領事館になるのを免れたそうです。

国道15号線を進みます。
 旧子安村までやって来ました。 
 この辺りでは横浜居留地向けの西洋野菜の栽培が盛んだったそうです。
 今で言う近郊農業の走りですね。
 で、トマトケチャップ生産が始まったのもここ子安村だったそうです。
 今は京浜工業地帯のまっただ中で、面影はみじんもありませんけどね。

トマトケチャップ発祥地

東子安一里塚跡
日本橋まであと6里(24km)
 国道15号線をひたすら歩きます。
 京急新子安駅の先に一里塚の解説板がありました。
日本橋まであと24kmです。

大麦
 ここで問題です!
 この両側にある材料で、出来る飲み物はなんでしょうか?

ホップ

ビール工場
 答えはビール
 キリンビール横浜工場へ寄り道なのであります。
 何時に着けるか分からなかったので、予約なしで飛び込んでみました。
受付のお姉さんは困惑していましたが、 なんとか予約なしで見学することができました。
(キリンビールさんありがとうです)
 ちょうど一番搾りをモデルチェンジしたところだったので、解説にも力が入ってました。

1番搾り麦汁と
2番搾り麦汁
その差は歴然です!(力説)

横浜搾り
9工場限定の一番搾り
 この見学の何がいいって、見学コースの最後に一人三杯までビールがいただけるってことです。
 横浜搾りが一番うまかったです!
 ビール好きなお友達にもしっかりお土産買いました。

一番搾り

キリン工場限定の柿の種
こいつもうまかったです。
 酔った勢いで併設レストランでもう一杯、変わったビールをいただきました。
 いくら芳醇好きでも、やはりキレ?がないとビールはうまくないって分かりました。

ちょっとお目にかかれないビール

ありがとうございました。
 ちょっと顔はお見せできませんが、真っ赤になって工場をあとにしました。
 キリンビールさんありがとうです。

夕暮れ迫るキリン横浜工場

自分ちへのお土産もばっちり
 東海道旅を再開します。
 酔っ払っているのでご機嫌ですが、息は切れます(笑)

生麦事件の現場です!
 キリンビールの横浜工場は生麦にあります。
 生麦と言えば、あの事件が有名ですね。
 そう、
「生麦事件」
です。
 文久2年8月21日(1862年9月14日)、島津隅州(久光)の行列を騎馬のイギリス人が乱入。薩摩藩士が是を切り捨てた事件です。
 これに端を発して翌文久3年に薩英戦争が勃発し、鹿児島市街が甚大な被害を受けました。

教科書で見た風景はみじんもないっす

JR鶴見線の高架
 JR鶴見線の国道駅下を通過します。
 映画のロケにも使われたほどの昭和レトロな景色でした。

風情があります。

映画のロケにも使われた場所だそうです。
 この辺りの写真、手ぶれが多くてお見苦しい限りですが、ビール飲みすぎによるものと思われます(笑)
さらに進みます。

鶴見駅
 酔っ払ってどうにも息が切れるので、今宵はここまでにいたしとう存じます。
 この日は戸塚中継所?から鶴見中継所?まで25km歩きました。
ごっちゃんでした。
 鶴見から500円の切符買って藤沢へ戻ります。

小田原鯛飯
 またしても藤沢の伊勢丹で晩ご飯購入。
 18:00チェックインしました。

うまそう!

相方さんが好き
 相方さんマイブーム、信玄餅アイスで締め
うまかったです。
東海道をゆく 続く
2019.4.21作成
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