JR鶴見駅前 |
翌朝も好天に恵まれました。 この日は土曜日。7:55に電車乗りましたが車内も空いてまして一安心。 無事に鶴見駅まで戻ってきました。 8:30、駅前をスタートしました。 |
解説板 |
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鶴見駅界隈の東海道 |
駅前なので東海道もビルの谷間を進みます。 文政11年に再々建された道標のレプリカ(ややこしい・・・)が立っていました。 |
寺尾稲荷道道標 |
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鶴見川橋 |
すぐに鶴見川が現れました。 鶴見川橋を渡ります。 |
鶴見川 |
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東海道はまっすぐ |
鶴見川を渡ってしばらくいくと市場村一里塚跡まで来ました。 武州橘樹郡市場村一里塚の石碑がありました。 日本橋まであと5里(20km)です。 |
市場村一里塚 |
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一里塚跡はちいさなお社になってました。 |
一里塚からさらに歩くと熊野神社がありました。 | 熊野神社 |
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狛犬さん |
この神社の狛犬さんたちは、慶応二年(1866年)建立のものだそうです。 | 狛犬さん |
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川崎市のマンホール |
熊野神社を過ぎてしばらく行くと横浜市はおしまい。 川崎市に入ります。 間もなくJR南武線のの高架下をくぐります。 |
JR南武線高架をくぐります。 |
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芭蕉句碑 後ろの京浜急行の橋台も気になる・・・ 煉瓦造りで隅を石で補強しているのは 昭和初期のものかなあ? |
京急八丁畷駅の踏切を過ぎると芭蕉句碑がありました。 元禄7年(1694年)ふるさと伊賀に帰る途中、見送りの門人たちとここで別れたそうです。 川崎警察署東川入口交差点を過ぎてしばらく行くと川崎宿の京口土居跡です。 |
川崎宿案内板 |
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東海道53次 川崎 |
川崎宿には本陣3軒、旅籠が72軒あったそうです。 六郷川(多摩川)の橋が流出するまでは利用客が少なかったようですが、六郷川が渡しになると賑わったそうです。 |
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小土呂橋擬宝珠 |
宿場の中を流れていた新川堀に架かっていた小土呂橋の擬宝珠が残されていました。 | 解説板 |
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川崎宿ののぼり |
駅前の大通りを渡って東海道を歩き続けます。 | ビルの間が東海道 |
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シャッターにも川崎宿 |
そこかしこに川崎宿の解説板がありました。 町を挙げてプッシュしてますねえ。 |
街にも解説板 |
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駅前なのでビルが多いのです。 |
街道の途中にかわさき宿交流館がありました。 川崎宿に関する展示と出版物を販売していました。 トイレ休憩がてら見学してきましたが、思いのほか楽しくて長居しました。 入館料無料ですし、お近くまでお越しの際はぜひ。 |
川崎宿交流館 |
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川崎屋東照 |
そう言えば川崎宿の万年屋では奈良茶飯が名物だったそうです。 奈良茶飯というのは米に大豆や小豆、栗などを塩や醤油で味付けした煎茶やほうじ茶で炊き込んだものだそうです。 街道途中の和菓子屋さんで、奈良茶飯風のおこわを売っていたので買ってみました。 |
奈良茶飯風おこわだって。 「うるち米と餅米に、勝栗と 煎った大豆、粟や小豆をくわえて お茶の風味でおこわに仕上げた」って 書いてました。 |
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包装紙にもこだわりが |
その日の夕飯にいただいたのですが、お茶の香ばしさがある炊き込みご飯って感じでおいしかったです。 | こんな感じでした。 |
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京急大師線 |
東海道は国道15号線に出ました。 多摩川を渡る歩道橋に出ます。 その下を京急川崎大師線の電車が走っていきました。 川崎大師と言えば創建が1128年の名刹。ここへの参拝客を運ぶために開業した大師電気鉄道が、今の京急の元になりました。 鉄道黎明期は参拝客を運ぶために鉄道を引くというのはよくあることでした。 |
多摩川(六郷川) |
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東京都に入りました。 |
六郷橋を渡りまして、いよいよ東京都に入りました。 よもや歩いて東京入りをすることがあろうとは、想像もしていなかったです。 人生って楽しいなあ。 |
六郷橋 |
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六郷橋から富士山を見る |
六郷橋の上からは富士山が見えました。 同じく川に架かった鉄橋には京浜急行とJRの電車がひっきりなしに行き交っていました。 |
東京都のマンホール |
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日本橋までいよいよあと18km |
六郷橋を渡ると街道はしばらく側道になります。 六郷神社がありました。源氏所縁の神社で、創建は平安時代にさかのぼるそうです。 ここからは国道15号線の歩道をひたすら歩きます。 |
六郷神社 この辺りに一里塚があったそうですが 消滅しています。 日本橋まであと4里(16km) |
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京急蒲田駅 |
京急蒲田駅までやってきました。 以前、飛行機で東京に来たときはまだ地上線で踏み切りがあり、高架工事中だったのですが、見事に高架になっていました。 |
見事な高架になってました。 |
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みたらし団子 おいしかったです。 |
蒲田駅近くに和菓子屋さんを見つけたのでお団子を買いました。 近くのベンチでおやつタイムです。 |
大福 |
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呑川 |
呑川に架かった夫婦橋を渡りました。 この川の河口ではかつて盛んに海苔が採取されていたそうです。 梅屋敷公園を通過しました。 この地に屋敷を構えた山本家は、屋敷内に多くの梅を植えて茶店を開いて有名になったそうです。 公方様やシーボルトも立ち寄ったとか。 |
梅屋敷公園 |
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貴舩神社 |
国道15号線は大森警察署前で国道131号線と合流します。 東海道は国道を渡って脇道へと入っていきます。 |
大森付近 |
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羽田道 |
羽田道の道標がありました。 ここから羽田弁天や川崎大師への街道が分岐していたそうです。 |
内川 |
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商店街 |
東海道は商店街になっていました。 創業享保元年(1716年)創業の和菓子屋さんがありました。 安倍川餅が名物だとかで買って見ました。 |
餅甚さん |
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東海道をゆく 続く | |||
2019.4.28作成 2019.5.1追記 |
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