桃カステラ
 博多で朝を迎えました。
 朝ご飯は長崎で買ってきた
桃カステラと、
スーパーで買った大阿蘇ヨーグルトです。
 桃カステラはひな祭りなんかで、女の子の健康を祈って食べるお菓子で、カステラの上に桃をかたどった砂糖菓子が載ってます。

屋台発見
 宿を出発して酒屋さんを探して福岡の街をうろうろ。
桜咲いてました。

酒屋さん発見
 ようやくお目当ての酒屋さんを見つけました。
 福岡県や山口県のお酒を大量購入しました。

福岡城
 相方さんが来たことなかったので、福岡城にやって来ました。
 追廻門から城内に入ります。

南の丸多聞櫓と北隅櫓

本丸南側の石垣
 南の丸にやって来ました。
生捕櫓付近

北隅櫓
 櫓は工事中で、内部を見学出来ませんでした。
 残念。

西平櫓

変わった形です。
南の丸西隅櫓
 雨が降る中をてくてくと歩きます。
桜が見事です。

御武具櫓門跡
 以前にも紹介してますが、福岡城は関ヶ原合戦後に豊前中津から52万石に加増転封された黒田長政が築きました。
 元々商都として栄えていた博多に対して、那珂川を挟んで西側に築城しました。
その際、福崎という地名だったものを福岡に改名しています。
 縄張りが石垣山城(神奈川県)や、肥前名護屋城に似ています。

現状
 裏御門と古時打櫓門跡です。
古写真

天守台石垣
 鉄門跡から天守台に上ります。
鉄門跡

埋門跡
 鉄門跡を通ると、小さな枡形空間があります。
 そこから階段で天守櫓台に上って橋を渡ると天守台の穴蔵に入ります。


天守台穴蔵
 天守台穴蔵から階段で天守台上に上れます。
 福岡城に天守があったかどうかはいろんな意見があります。
 大坂城普請のさい、天守を壊して建材を幕府に献上したという説もあります。

中天守、小天守台跡を見る

小天守台から大天守台をみる。
 本丸跡をうろうろして、表門跡から二の丸へ抜けました。
祈念櫓
旧状をとどめているかは
微妙だそうで

二の丸松木坂門跡
 二の丸から三の丸へ出ると、名島城から移築されたと言われている名島門がぽつんと置かれていました。
名島門

下の橋大手門
 福岡城はいくつか建物があるのですが、復元だったり、城外に移築されていたものが旧状と違う場所に再移築されてきたりと、いまいちやる気が感じられません。

下の橋大手門と伝潮見櫓
 復元計画が持ち上がっているようですが、まずはその辺の整理からでしょうかねえ・・・
大手堀

おいしい!
 お昼時が近づいてきました。ランチタイムになる前にお店に到着しようと焦ります。
 お城からほど近い大名というところに、某ケンミン番組で紹介されていた
「天ぷら処 ひらお」
大名店があったので、急行します。
 元城下町だけあって、細い道の一方通行だらけで苦労しますが、ようやく到着。
まだ11:30なのにもう行列でした。
 天ぷら定食770円で、
白身、キス、イカ、アジ、なす、かぼちゃ、ピーマンが揚げたてで次から次へとやって来ます。熱々うまうまです!
 あと、食べ放題のイカの塩辛がゆず風味でとってもおいしかったです。
30分で完食です。

日銀福岡支店
こちら昭和26年の建物
 大名って天神のすぐそばだったんですねえ・・・すごい人出でした。
 日銀福岡支店や赤煉瓦の建物前を通過して福岡市街からの脱出を図ります。

赤煉瓦文化館
明治42年の建物で
元々は日本生命九州支店だったそうです。

国道3号線沿いにもひらおさんありました。
こっちにすればよかった・・・
 国道3号線に乗りました。
 あんまり急いでもフェリーの時間まで退屈なので、下道を走ります。

国道3号線を走ります。

井筒屋さん
 北九州市までやって来ました。
 北九州と言えば工業地帯のイメージが強いですよね。
まだ14:00過ぎだったのですが、地元の名物を食べて行くことにしました。

細い道を走ります。
 「今浪うどん」さん
に到着しました。
 某ケンミン番組で紹介されていたので、一度来てみたかったのです。
 ちょうどお昼の混雑時間が終わったところのようで、すぐに入店できました。

お店発見!

これが肉肉うどん(中)
 中でも大盛りの存在感でした。
 濃そうな見た目とはうらはらに、ショウガと七味であっさりといただけます。
 甘塩っぱい、すき焼き風なうどんなんですけどね・・・
 麺は太めでした。とっても旨かったです。また来たいなあ。

これが肉肉うどん(小)

ビルの谷間から天守が見えます。
 まだ15:00.
 フェリーの時間までだいぶあります。
 行く気はなかったのですが、小倉城に寄っていくことにしました。

本丸堀

小倉城天守
もともと破風のない南蛮造りだったそうですが、
鉄筋コンクリートで再建するとき、
破風がないとさびしいってことで、
外観復元すらしてません。
 小倉城は細川忠興が築いた平城です。関ヶ原合戦後、細川忠興は39万9千石で黒田家の旧領中津城に入りますが、ここ小倉城を築いて移りました。
 熊本の加藤家改易後、細川家は熊本へ移ります。
 その後には大坂夏の陣で戦死した小笠原秀政の次男、忠真が15万石で入城して明治維新まで続きます。
 小倉城は幕末に長州藩に攻められて守り切れず、城に火を放って退却しているので、現存の建物がありません。
 また平城の悲しさ、市街化の波にのまれてあんまり遺構が残ってないのです・・・

額が小笠原家の家紋
三階菱です。

北九州市のマンホール
 17:00前に新門司港に到着。
 時間ありすぎて暇をもてあまします。
18:00ようやく乗船開始。
 20:30には寝てしまいました・・・・
2018九州縦断記 つづく
2019.8.25作成
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